死の臨床を学ぶ
6月2日、山梨県立大学にて行われた「日本死の臨床研究会第20回関東甲信越支部大会」に参加しました。
終末医療、ホスピスの研究家、臨床家による学術団体です。
私は直接その領域には携わってはいませんが、私のオフィスの同僚が緩和ケア病棟の心理士もしているので、紹介されて行ってみたのでした。
それにしても前記事のとおり、前日は「性愛」について学び、今度は「死」について学ぶとは、我ながら何とも幅が広いというか、節操がないというか、2日間で人間の本質に一気に触れるという感じですな。
大会は医師、看護師、コメディカル、福祉従事者など260名も集まって盛会でした。
オープニングは、陸前高田の流木から作ったというバイオリンとピアノによる演奏。あの「奇跡の一本松」の一部も使われているそうです。このバイオリンをリレーのようにつないで各地で演奏会をしているそうです。
今回は地元甲府の甲斐清和高校の女子高生が見事な演奏をしてくれました。最初から感動です。
内容は、ホスピスにかかわる地域の実践発表もよかったですが、何より二つの講演が素晴らしかったです。寡聞にして私は存じ上げませんでしたが、お二人ともこの分野の第一人者らしいです。
神戸、尼崎の長尾クリニック院長、長尾和宏先生(オフィシャルサイト)の「現在の終末期医療に思う」、そして金城学院学院長、柏木哲夫先生の「生きること、寄り添うこと」という講演でした。
長尾先生は病院での延命治療ではない、在宅での「平穏死」を提唱して実践されています。著書も多く出され、在宅ホスピスのテレビ番組にも取り上げられたそうです。
長尾先生は「死ぬのに医者はいらない」とおっしゃっています。一見過激ですが、確かにそうかもしれないと先生の地域に根差した確かな実践をうかがってそう思いました。
先生のブログにこの日のことを書いてくれています。甲府最高!
柏木先生はアドラー心理学ともかなりダブることをお話ししていたので、少しメモします。
・がんの発見、初期、治療期に必要な医療者の態度は、「励ます」でいい。人を外から動かそうとすること。上からの働きかけ。技術が大事。
再発がん、進行がんには「支える」。その人が落ちないために下から支えていくという態度が重要。
末期がん、終末期には、「寄り添う」。寄り添うとは横の関係。相手の力を信じる。信頼感を持って、逃げ出さず、空間を共有すること。
・スピリチュアル・ケアギバーに求められるものは、「人間力」。人間力とは何か。人間力を構成するのは「聴く力、共感する力、受け入れる力、思いやる力、理解する力、耐える力、引き受ける力、寛容になる力、存在する力、ユーモアの力」。
・共感とは難しいが一言では「入れかえ」と呼んでいるもので、その人の立場になりきって考えてみること(アドラーの「その人の目で見て、耳で聞いて、心で感じる」とまったく同義でしょう)。
・人は生きてきたように死んでいく。それまで文句ばっかり言ってきた人は、最後になっても文句ばかり言う(アドラー心理学でいうライフスタイルが基本的には維持され続けるということでしょう)。
・しかし、時には死の前に「最後の跳躍」をする人もいる。その人が自ら人生の振り返り、「自主的内観療法」をすることで変わる人もいる(ライフスタイルは個人の主体的決断で変わり得る。アドラーは性格の可変性について聞かれ、「死の二日前でも人は変われる」と話したと伝えられますが、それと重なります)。
・死は生の延長ではない。人は死を背負って生きている。紙の裏表のようなもの。
両先生とも、真面目一方ではなく、実にユーモラスで、私たちを笑わせてくれながらエピソードに満ちたお話しをしてくれました。
研究会全体も、何かとシビアな心理学学会や何やら暗い心理臨床団体とは違って、温かくゆるい雰囲気に満ちていましたね。
誤解を恐れずに言うなら、終末期医療の「楽しさ」について教えていただきました。
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