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July 22, 2013

右上からくる!

 前々記事の「一つを極めよ」の続き。山田英司著「合気道と中国武術はなぜ強いのか?」(東邦出版)より、武器を持った時の人間の意外な弱さ、単純さが指摘されて興味深かったので、引用します。

 これだと合気道の横面打ちへの対処技とか、格闘技的には実戦的ではないと思われる動きが実は、戦いの現実を見据えた合理的なものということになるかもしれません。

 実際、様々なデータから、人間は興奮状態で物を持つと、利き腕で斜め上からの攻撃しかできないことが報告されている。

 前述の軍事訓練の専門家、デーヴ・グロスマンも著書の中で、実際の戦闘でも、銃剣を打ち下ろすことはできても、直線的に刺す行為は、軍人でもためらいがあり、戦闘状態でも上官の命令に従わない例を記している。今日では、軍事訓練でも、銃剣の斜め上からの打ち下ろしが技術の基本に改正され、出力しやすい体型に変えられたそうだ。人は、興奮状態では打ち下ろしの攻撃しかできないものなのだ。

 確かに人間も哺乳類の一種であり、哺乳類は猫でも虎でも熊でも、前手の打ち下ろしは行える。人間も興奮状態になると、動物の本能に従う攻撃しかできなくなってしまうのだろう。

 フィリピン武術の実際に棒で打ち合う試合でも、右利きの人間は9割以上の確率で、右上から棒を振ってくるそうだ。初撃は右上からの攻撃しか出せないのが人間だ。

 示現流が出力に優れていることは先に述べたが、示現流の初撃は必ず右上からの斬り下ろしだったことも思い出してほしい。

 従って、ナイフや棒に対しても9割近い確率で振り下ろしてくる動きに対応できれば十分だ、と私は考える。

 残りの一割が不安なため、あらゆる角度からの攻めを想定したい気持ちはわかる。事実、フィリピン武術でもクラヴマガでも、あらゆる角度からの攻めとあらゆる局面を想定して訓練している。それが完全な体系だと彼らは考えているようだ。

 結論からいえば、こうした練習体系には、私は疑問を感じる。完全な体系を整えることが実戦的だと考えるのは、安直である。

 示現流のように、興奮状態でも技が出力できるような体系こそ、実戦的であると考える。選択肢が多ければ多いほど、人間は興奮状態では出力しにくくなる。

 では、なぜフィリピン武術はあれほど多様な技術を誇っているのか?一つにはスティックを使った打ち合いが、格闘技ルールとして確立し、世界中に広がっていることが挙げられる。勝つために、様々なコンビネーションが確立され、右上からの対処だけでは到底格闘技的な試合では勝てない。格闘技の技術と同じく、ルールの中で、どんどん技が変化、発展してしまっている。

 2つ目は、練習段階の問題だ。ナイフの格闘経験のない今日の我々は、何より出力することが最大の課題である。しかし、戦闘経験があり、出力が容易な熟練者ならば、複雑な技もまた出力可能であろう。

 自転車に乗れない子は、まずは、どうすれば通常の自転車を運転できるようになるかに力を傾けるべきで、初めから曲乗りなど練習してもできるわけがなかろう。

 士心館の林悦道氏の指摘によれば、ケンカ名人は、相手の右パンチにしか対応しないと言う。では、他のパンチがきたらどうするか?何もしないのである。もちろん、ステップバックしたり、よけたりはするだろうが、技はほどこさない。なぜなら、右利きの者なら、必ず右パンチを打ってくるし、右手に武器を持っていたら、必ず右斜め上から打ち下ろしてくる。そのときに対応すればいいのだ。

 ケンカ名人は出力の難しさを熟知しているのだ。出力するには、技は一つに限定する。相手が斜め上から振り下ろしてくるのに対し、左手で受けつつ右掌で封身する。p162‐164

 なるほど。私のようにケンカ名人ではない者は、なおさら心がけておくとよいかもしれませんね。

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