酒折宮で古代を感じる
私のオフィスや実家のすぐそばに酒折宮というのがあるのですが、なんと古事記や日本書紀にも出ている極めて古いお宮です。
ヤマトタケルノミコトが蝦夷まで東征した帰りに立ち寄ったことが記紀に記されており、ミコトが歌を読んだら、その土地の者と思われる人物(古事記には御火たきの老人)が返歌を詠んだということで、酒折宮は「和歌(連歌)発祥の地」とされています。和歌や俳句関係の人にとって、非常に重要な土地らしいです。
小さなお宮ですが、境内には本居宣長が作って平田篤胤が書いたという碑も立っています。
何を隠そう、私はこのお宮の氏子です。あまり氏子らしい仕事はしてないけど、やはり何となく関心はありました。
昨日は山梨学院大学で、平川南先生(山梨県立博物館長、国立民族博物館長)の講演「酒折宮と古代甲斐国」というのがあったので、聴きに行きました。
古代、甲斐は大和朝廷にとって特別の地で早くから直轄地だったみたいで、東国支配の拠点であり、酒折宮を起点に放射状に道が伸びていたそうです。
東海道と東山道(中山道)を結ぶ要衝の地であり、馬の生産地であったことが重要だったらしい。
「宮」とは単なる神社とは違い、伊勢につながる特別な神、聖地とされるところにつけられるものらしいです。今風にいうとパワースポットでしょうか。
そしてヤマトタケルの歌の相手をした人は、平川先生によると、この地域にいた武装集団の人物ではないかということです。その根拠は日本書紀にあるのですが、ここでは省きます。
今は静かな田舎の町に過ぎませんが、古代、酒折の周辺はかなりにぎわっていたようです。
とても壮大な古代史の講義でした。
そして翌3日は、この酒折宮で雅楽と能楽の奉納があると聞いて、近いので仕事の合間にちょっと覗きに行ったら、私の前に席に横内知事が座っててびっくり。前日の講演会もこの日の奉納も、国民文化祭・やまなし2013の一貫らしい。
秋の涼しい空気の中に雅楽が響き渡って気持ちよかったです。
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