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December 25, 2014

武道とは何か

 心理学者で空手家の湯川進太郎先生は「空手と禅」(BABジャパン)の中で、武道の定義にかなり紙幅を割いています。辞書や中学校学習指導要領、武道憲章などを検討していますが、その辺のしつこさは学者ならではですね。

 著者の武道についての考え方は、伝統的、本格的に武道を志そうという人なら納得の内容で、私も以前から同じ考えでした。師匠からいわれたことと一致します。でも、一般の人から見るとおそらくなじみがないでしょう。普通の人は、部活や国体、オリンピックなどでやっている剣道や柔道、空手などを武道と思うでしょう。でも、違います。

 それらは武道ではなく、スポーツです。

 もう少し穏やかに言うと「スポーツ武道」です。詳しい説明は本書を見ていただくと明快なのですが、競技化、点数化した途端、ルール化した途端、勝敗を目指した途端、それは武道ではなく、厳密にいうとスポーツになります。

 これに対して、「武道」とは本来、勝ち負けを問題にしません。あるいは、勝った負けたという次元での身体活動ではない、といってもいいでしょう。そうした優勝劣敗を問題としないことから、「武道」には本来、ルールや審判はありません。技術的には生きるか死ぬかが課題であり、思想的にはさらにはその生死という次元を超えたところを目指すのが「武道」ですので、その身体活動にルールや審判という他者的な規定装置である外的規準は必要ありません。また、「武道」の技術は本来、ルールや審判の存在以前に(ルールや審判とは独立して)、成立、発展しています。さらに、こうしてルールや審判を必要としないということは、「武道」は要するに他者と巧拙を競い合うということを目的としていないということです。他者と競わず、そのためルールや審判を必要とせず(それとは独立して技術は成立、発展し)、当然の結果として勝ち負けを問題としない、そうした身体活動が「武道」です。このような点から、「武道」は明らかに「スポーツ」ではないということになります。 p79

 誤解のないようにいうと、著者は別にスポーツ武道を貶しているわけではありません。スポーツの素晴らしさ、社会的意義を十分に理解してあえて言っているわけです。

 そこで、では、武道とは何かというと、マインドフルネスの心理学、禅と通底するものだと強調しています。

 つまり、武道とはマインドフルネス瞑想であり座禅であり、今ここに在る身体を意識しながら(それでいて修行段階が進めば全方位的に万遍なく意識を向け、一つのところに注意が留まらないようにして)、生死や勝敗といった思いを含むあらゆる思考への囚われからの解放を目指して(あらゆる思いを手放し)、ひたすらにマインドフルネスあるは覚触をし続ける、そういった「身体」の修行です。つまり、武道もマインドフルネス瞑想や座禅と同様に本来的には目的はないのですが、従事している活動は何なのかという意味であえて目的を言葉にするなら、「身体の現在性(今ここに在る身体)の追求」だといえるでしょう。 p83

 著者は日本の武道としての空手(試合のない沖縄伝統の空手)の意義を強調していますが、私にとって太極拳や形意拳、八卦掌はまさにマインドフルネス瞑想そのものだと思っています。

 そういう点を意識しながら、最近私は心理療法としての武道の視点から臨床で実践しています。とてもいい感触を得ています。いつか表に発表できる日が来るといいと思っています。

 

 

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