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August 15, 2015

デザインの世界の闇

 東海大甲府高校は残念でした。早実の清宮選手一人ににやられたという感じですね。お父さんは私と同世代で同じ大学にいたので(もちろん知り合いではなく、あちらはラグビー部のスターでした)、親近感を持っていましたが、その息子にやられるとはやや複雑です。

 とまあ、よその子どもたちの玉遊びに一喜一憂する私たちですが、5年後の巨大な運動会、東京五輪に一喜一憂する前に、実際にできるのか心配になってきました。

 国立競技場に続いて、五輪のエンブレムのデザイン問題、誰もが素朴に「似ているよな」と思ったでしょうが、ネット界では盗作の追求がすさまじいことになっています。

 その中で、特に秀逸と思ったのがカレイドスコープというブログの「東京五輪エンブレム盗作疑惑-さらにコピペ疑惑も浮上」

 ブログ主はこのようなデザインの発注側にいたことがあり、業界の裏も表も知り尽くした人のようで、辛辣ですが五輪にたかる人たちの様子が浮かび上がって、非常に学ぶところが多い。
 ブログ主の判定では今回の件は完全に黒。

 盗作の有無に別にしても、主観的なデザイン性の点でもなぜダメかの専門的分析が面白い。あのエンブレムはスポーツの祭典には全くふさわしくないそうです。

 それにしても、なぜこれほど迷走する五輪なのか。リーダーたちの五輪に対する理念のなさが全体のデザイン性に影響を与えているというリーダー論も優れていると思いました。一部転載します。

前稿で書いたように、なぜ新国立競技場の建設で、こんなトラブルが起きてしまうのかというと、東京五輪には普遍的な理念がないからである。

それは、各国のリーダーが示すべきことであるが、このトラブルによって証明されてしまったことは、日本には真のリーダーがいない、ということである。

真のリーダーは理念から生まれる。
安倍晋三らには、それがないどころか、逆の「悪」があるだけである。だから、東京五輪は開けないか、失敗すると私は断言しているのである。

国としての普遍性から、たった一つの理念が生まれる。(これを、東京五輪の場合に限って、「コンセプト」と言い換えてもいい)
それは「平和」である。

しかし、なんと平和のデストロイヤーが平和を訴えているのがヘンテコリンな国・日本だ。

一つの確固たる理念があれば、不思議なことに、その理念の下に、ロゴも新国立競技場の外観デザインも、すべてのデザインの間に整合性が生まれるのだ。

だから、そもそも、それらの間に不協和音など生じるはずがないし、オリンピックに向かう国民の行動にも矛盾がなくなる。これは、体験した者でなければわからないだろう。

その一つの理念とは、唯一の被爆国である日本の場合は「平和への永遠の希求」である。これ以外の普遍的な理念は存在しないだろう。

だから、おそらく新国立競技場を設計したザハ氏に対するオリエンテーションにおいても、それが伝えられていないから、突拍子もない(気持ちの悪い)受け狙いのデザインが出てくるのである。それを「やけくそ」という。

だから、今回のロゴにしても、安値のデザイナーからテクニック論だけの差別化のない盗作デザインしか出て来ないのである。
オリンピックを推進する人間たちが、安倍晋三を筆頭として、ゼニゲバの好戦的で安値の人間だからである。

そうした社会では、当然、騒々しい「やけくそ」が受けるのである。

いずれにしても、精神的な「核=コア」がない東京五輪である以上、これからも整合性において、何度も分裂し、矛盾が噴出することは避けられない。

 是非、全文をご覧ください。少し目が覚める人もいるかもしれません。

 

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