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January 11, 2016

真田信繁(幸村)は甲府育ち

 大河ドラマ「真田丸」が始まりましたね。
 本当なら昨年やるはずだったのが、NHKの何とかという会長が安倍首相にすり寄って無理やりねじ込んだと噂される「花燃ゆ」が見事にこけて、井上真央ちゃんがかわいそうでした。だってつまんなかったから仕方ない。大河好きの私の母親も途中から観なくなっていました。

「真田丸」は真田好き、武田好きの私もしっかりフォローさせていただきます。素人ながら歴史男子として、勝手な解説、突っ込みもさせていただきます。

 第1回は武田家崩壊の中で揺れる真田家が描かれました。堺雅人演じる真田信繁(幸村)が、韮崎の新府城を発つ前日か、甲府盆地と南アルプスの景色を見て、これが最後になるかもしれないからよく見ておけ、といった感じのセリフを言っていました。

 三谷幸喜さんの意図はわかりませんが、私はこれは信繁にとって生まれ故郷との別れのシーンと解しています。
 一般に真田は信州、上田のイメージが強いと思いますし、その通りでいいのですが(今頃は盛り上がっているでしょうね)、実は真田信繁は甲府生まれ、甲府育ちと考えられています。少なくとも武田滅亡の機に上田に戻る前までは(ドラマでは16歳らしい)。

 父親の真田昌幸が武田信玄、勝頼の重臣として「お館様」のお側近くにいたからですね。そもそも昌幸は、長篠の戦で真田家を継いでいた兄2人が戦死したためにやむを得ず信州の真田家を継いだので、それまでは幼少のころから甲斐の武田家の中で暮らし、奥近習という信玄の側近を務め、武田一族の武藤家に婿養子にまでしてもらっていたから、武田家を担うエリートでした。その子の信繁は完全に甲州人といってもいいかもしれません。

 だから信繁も「ほうけ?(そうなの?)」「~ずら」「ててて(驚くときの言葉)」と甲州弁を喋ってたかも。

 第1回の舞台の新府城には子どもの頃の遠足で行きましたし、今でも何度も通りかかったり、時には入ったことがあります。今は静かな森だからデートには最適、フフフ。でも夜には亡霊が出るとのうわさも。

 新府城

 巨大な河岸段丘で断崖絶壁の上にあり、昌幸が普請したと言われています(異説もあります)。織田の侵攻の前、もっと早く完成していたら、真田昌幸・武田勝頼vs織田信長の決戦があったかもしれませんね。後年、上田城で徳川を撃退した昌幸ですから、信長との戦いも見物だったかもしれません。

 今の新府城は、ひっそりとした寂しい小山です。歴史を偲ぶには良いところです。

 それにしても「武田崩れ」と言われる、武田滅亡時の様子は悲惨、哀れにつきますね。重臣たちの裏切り続出の崩壊過程について、知人の山梨出身の作家は、「甲州人の悪いところが出たね」と言っていました。利に敏く、忠誠心より独立心が強く、外から来た人間には厳しいところというニュアンスでした。勝頼は元々諏訪の人でしたからね。もちろん戦国のならいと言えばそうなのでしょうけど、生粋の甲州人の私としても、何か腑に落ちてしまうところです。よそ者扱いすると厳しいんだよな、ここは。
 私など、あんな終わり方をさせてしまって、武田勝頼公には申し訳ない気持ちがしてしまうのです。

 1年間、大河で楽しめそうです。

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