『激励禁忌神話の終焉』
いつの頃からか「うつの人を励ましてはいけない」という言葉が流布するようになっていました。うつ病当事者の方から「頑張れと言われてつらかった」といった訴えもあったりして、今やメンタルヘルスの常識みたいになっています。
確かにその考えにある程度の妥当性はあると思いますが、果たしてそれだけでいいのか、ではどう言葉をかければいいのか、うつの人を本当に励ましてはいけないのか、良い場合だってあるのではないか、という疑問がわいて当然です。私もそう思っていました。あまりにも画一的ではないかと。
励ますは英語で「encourage」になりますが、これはアドラー心理学では「勇気づけ」です。うつの人に勇気づけてはいけないのか、ほんとかよ?という気になります。
私の見渡す限り、結局問題となる励ますというのは「頑張れ」というワンパターンの言葉を指しているようです。あるいは上から目線のコンテキストで発せられる激励の言葉のようです。
精神科医の井原裕氏の『激励禁忌神話の終焉』(日本評論社)は、この問題についてとても示唆的でした。同書は『こころの科学』誌に連載されていたのをまとめたもので連載当時、関係者の反響は大きかったそうです。
結局「うつ病の人を励ましてはいけない」という言葉が定着したのは、それが医師の国家試験に出るようになってからで、画一的な医学教育のためだといいます。試験に出るのだからと、医師をはじめ、医療者は条件反射的にそう考えるようになってしまい、それが広まって結局、みんな萎縮してしまったようです。
しかしアメリカでは認知行動療法などでも、励ます(encourage)はうつ病の治療にむしろ勧められているそうです。
全体として、英語圏においては、「うつ病に激励は禁忌」との記述は認められない。むしろ、患者を治療に促すために激励すべきだということ、治療に希望を持たせるために、適度に激励することを推奨している。 p8
そりゃそうでしょう。井原氏は、
「激励」は、多義的な語であり基本的にはポジティブな語感を含んでいる。 p11
「語の意味とは、言語のなかでのその語の使用である」(ヴィトゲンシュタイン)といわれる。「激励」という語も、文脈により多様な意味合いで使用される言葉であって、単一の定義によって規定された概念ではない。・・・・それらはじつに多様であり、けっして、すべてが怠慢非難を含むような激しい叱責であるわけではない。 p12
とまっとうなことを言っています。「激励」は、「勇気づけ」と言い換えてもいいでしょう。
希死念慮を訴える患者に、むなしく手をこまねいてはいけない。無力な治療者ほど患者の絶望を深める存在はない。「頑張って生きていきましょう」と強く激励すべきである。 p15
「激励するかしないか」は、結局、国家試験が一義的に決定する性質の問題ではなく、臨床の場で患者の状態に応じて、常識的に判断すればいい事柄に過ぎない。 p17
全くその通りです。試験のために考え方が画一的になって不自由になるなんて、いかにも日本的ですね。
井原氏は、
人はだれも愛されないと生きていけない存在であるように、励まされないと生きていけない存在でもある。 p17
と励まし励まされることが人間にとって不可欠であることを言います。
アドラー心理学の立場からも、もっとメンタルヘルスにおける勇気づけ(励まし)の意味と要因、プロセスを研究して発信したいものだと思いました。
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