真田丸:武田勝頼の最期
昨日の「真田丸第2回」は、前回に続き武田家滅亡に翻弄される真田家でした。何となく雑感を。
脚本の三谷幸喜さんが「敗れる側に興味がある」と常々言っていたように、今回ほど武田勝頼(平岳大)がクローズアップされ、かっこよく描かれたことはなかったと思います。信長、家康の敵役か父信玄に劣る愚鈍な武将という描き方が多かったですからね。
勝頼が切腹する時に武田信玄の幻、亡霊(?)が現れて、「父上、申し訳ござりませぬ、お怒りでございますか・・・・四朗を叱ってくださりませ」のくだりは甲州人ならジンと来てしまいます。
その信玄の幻が時を同じくして、真田昌幸(草刈正雄)の眼前にも現れます。昌幸はすべてを察し慟哭します。昌幸は子どもの頃から信玄を師として側に仕え、信玄から「我が眼」と呼ばれ、周りからも「小信玄」と呼ばれていたそうですからね。自分を育んでくれた主家滅亡という思い通りいかぬ現実に内心忸怩たるものがあったでしょう。
ちなみにこの幻の信玄を演じたのは殺陣師の林邦史朗さんのようです。長年大河の殺陣を担当し、毎年チョイ役でもちょこっと出ていて、マニアには見つけるのが楽しみです。林さんは日中の武術に通暁している名人です。今回は信玄の鎧兜を着けて目しか出ていませんでしたが、迫力がありました。
ところで、源義経や豊臣秀頼、真田信繁(幸村の)ように非業の死を遂げた人について、日本人はそっと慕い、各地に「実は生きていた」という生存伝説が残っています。武田勝頼にもあるのです。ずっと以前本ブログで紹介しましたが、実は昌幸の手引きで四国は土佐まで落ち延びて、長曽我部の領地でひっそり生きていたというのです。興味深いですね。
実際勝頼の首は、たくさんある首の中でどれかわからなくなり、勝頼の家臣に確認させたという話をどこかで読んだことがあるので、その人が「これかなー、きっとこれです!」と主人を慮って、あるいは察してテキトーなことを言えば、そのままだったかもしれません。
そして徳川家康演じる内野聖陽さんが、「武田が滅んでもなぜかうれしくない」と苦虫をかみつぶしたような顔で言います。それはあなたが山本勘助だったからだろうと、「風林火山」のイメージがダブって面白かったですね。
実際、この後信長は甲斐の武田の侍たちを根絶やしにしようと探し出しては殺しまくりますが(ドラマであったように温水さん演じる最後に勝頼を裏切った小山田信茂は親子共々首を刎ねられます。私の実家のすぐ側の甲斐善光寺でした)、家康は秘かに大量の武田遺臣を雇い入れます。それが後年の井伊の赤備えになるのはよく知られています。
武田信玄を敬慕した家康と、山本勘助だった内野さんをだぶらせたセリフは、これも三谷マジックでしょうか。
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