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March 10, 2016

「真田丸」:天正壬午の乱、終結

「真田丸 第9話『駆引』」では、天正壬午の乱が終わってしまいました。昌幸大活躍です。
 でも一回で終わってしまったのは残念です。本当は真田などの国衆と北条、徳川の間で、今回のタイトル通りの駆け引きが実に複雑に展開されて面白いのですが、ドラマではかえって複雑になりすぎて一般の視聴者はついていけないからでしょう。
 
 興味のある人は先ごろ紹介した平山優著『天正壬午の乱』をお読みください。
 
 この戦い、北条は3万とも4万ともいわれる大軍で、徳川は8千程度しかなく、圧倒的に北条有利で、家康は絶対絶命だったのです。碓井峠から小諸、八ヶ岳山麓を超えて今の北杜市を攻め降りてくる北条氏直率いる本体と、御殿場側から河口湖畔を通って御坂峠を越えて甲府盆地に侵入しようとした別動隊で、家康は完全に挟み撃ちになって殲滅される危険性がありました。
 ドラマで内野家康が北条を異様に怖がっていましたが、間違ってはいないわけで、マジでそういう状況でした。
 
 下手をすると歴史が変わった可能性がある重大な局面だったのです。
 ここで、御坂(現笛吹市)であった「黒駒の戦い」で徳川軍が北条別動隊を奇襲して押し返したことと、ドラマであった通り、真田軍らが碓井峠で北条軍の補給路を断ったことで、一気に形勢が変わり、両軍にらみ合いの膠着状態になります。
 
 結局和議が結ばれ、徳川は甲斐、信濃の中部、南部を取り、北条は北関東を取ります。
 
 家康は領地が広がり、さらに武田の家臣を大量に雇い入れました。リストラされて無職状態だった武田遺臣たちは天正壬午の乱の時にほとんどが家康の側につき、戦後は徳川家の内部に入り、軍事や経済、行政の要職に就くようになりました。結局これが家康の力を一気に増し、天下取りの基礎となったといわれています。
 
 戦国大名の戦いといっても、結局戦いのキャスティングボードを握ったのは真田昌幸らの国衆と地元の武田遺臣たちだったわけです。
 
 関西で織田家家臣団が仲間割れしていたころ、家康は着々と力をつけていたわけですね。

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