京都と靖国
明治維新を無血の革命だとみなしたがる人も一部にいるが、それは正しくない。前にもふれたが、あの政権は、越後長岡や会津の流血を経たうえで、なりたった。成立後も西南戦争などで多大が犠牲をだしている。だが、明治の新しい体制は、自分たちがほろぼした政敵の鎮魂につとめていない。会津戦争などの死者たちが怨霊になるかもしれないと、おびえはしなかった。そのあたりをおそれるそぶりも、会津への冷淡な戦後処理に明らかだが、見せてはいない。新政権が慰霊の対象としたのは、討幕派、いわゆる官軍側の戦死者だけである。自分たちの味方になって死んだ者の霊は、招魂社、のちの靖国神社をもうけ、合祀した。しかし、彼らが賊軍とみなした側の死者については、その霊的な処理を怠っている。政権樹立後の内戦についても、事情は変わらない。招魂社、靖国神社は西南戦争の敗者、西郷隆盛らをまつろうとしなかった。佐賀の乱をおこした江藤新平らの霊も、そのままほったらかしている。日清戦争後の対外戦争でも、慰霊の対象となったのは、味方の戦死者のみである。中世までの怨霊思想にしたがえば、敵の霊こそが、手あつくまつられるべきだったろう。 p205~206嵯峨でそだち、後醍醐天皇をまつった天龍寺になじんできたせいだろう。私は敵を供養する考え方に、さして違和感をいだかない。霊的な信仰をもたない現代人だが、それでもわかるところはあると思っている。むしろ、味方の慰霊ばかりを気遣う靖国のやり方に、ためらいをおぼえる。 p208だが、私は靖国のあり方に、むしろ新しい近代の影を読む。保守的という点では、怨霊思想の残渣をとどめる自分のほうが、よほど後ろ向きである。靖国に気持ちがよせられない自分こそ、真の保守派だと言いたい気分もないではない。 p208
私は国旗や国歌、日の丸や君が代に伝統を感じる人々のことも、いぶかしく思っている。あんなものは、東京が首都になってからうかびあがった、新出来の象徴でしかありえない。嵯峨が副都心だった平安鎌倉時代には、まだできていなかった。そこに、たいしした伝統はないんじゃあないかと、彼らには問いただしたくなってくる。 p210
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