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April 29, 2016

三島由紀夫の早期回想

 再び山崎行太郎先生の『小林秀雄とベルクソン』(彩流社)ですが、その「第5章三島由紀夫論」に、三島の『仮面の告白』の冒頭が引かれています。小説でありどこまでが事実かわかりませんが、主人公の「早期回想」が語られています。
 永ひあいだ、私は自分が生まれたときの光景を見たことがあると言い張つてゐた。それを言ひ出すたびに大人たちは笑ひ、しまひには自分がからかはれてゐると思つて、この蒼ざめた子供らしくない子供の顔を、かるい憎しみの目つきで眺めた。それがたまたま馴染みの浅い客の前で言ひ出されたりすると、白痴と思われかねないことを心配した祖母は険のある声でさへぎって、むかうへ行つて遊んでおいでと言われた。 (同書p205 引用ママ)
 このエピソードを、アドラー心理学的には一種の早期回想としてとらえることもできます。生まれたときのことを覚えていると言う人は時折いるようですが、普通は初めての記憶は早くても2、3歳です。経験的には、小学校以前のことを思い出せないという人も結構多いです。
 このようなことをいう人はどのような「目的」の下に出してくるのでしょうか。むろん、このエピソードが実際にあったかどうかは解釈上関係はありません。
 
 山崎先生は文芸評論家でアドラー派ではないにもかかわらず、かなり近い立場で考察します。それはこのエピソードを大人に得々と話す主人公の意図に着目することです。小説では、この思い出を聞いた大人たちは、そんなことはありえないと説得をしようとムキになることが多かったと述べられています。
 この大人たちの過剰反応こそが、この主人公の告白=意見の目的である。この主人公の突飛な意見の目的は、これら大人たちの過剰反応によって、十分に達成されたわけである。自分が話題の中心になること、つまり関係のネット・ワークの中に存在の場所を獲得すること、それがこの告白=意見の第一の目的だったといってもいいからだ。  p206
 まさに「目的」とここではいっています。ほとんどアドラー心理学の目的論と同じ視点です。いわゆる「注目・関心を引く」というやつです。
 ここから山崎先生は、主人公(=三島由紀夫)は人との差異を意識し、強調することを人生の目的とした、思想なき思想家、アンチ・テーゼとしての思想家であったと三島の生き方を暴いていきます。
 
 これは私や今の人たちみたいな三島の派手な行動を後付けでしか知らない人にとっては驚くべきことです。
 むしろ三島由紀夫という人は「思想」や「意見」を持たない人であった。だからこそ逆に、いつでも、その時代の思潮に反対するような逆説的な、反時代的な「思想」や「意見」をもののみごとにあやつることができたのである。  p208
 三島由紀夫のライフスタイル(アドラー心理学用語の性格)は、作品分析によっても推測することができることを、本書によって確認することができました。
 
 また私が山崎先生に共感することが多いのはなぜか、理解することができました。
 

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