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April 27, 2016

科学と科学主義

 小林秀雄の研究者なら自明かもしれませんが、山崎行太郎『小林秀雄とベルクソン』(彩流社)で、小林秀雄が理論物理学に極めて多大な関心を寄せて研究していたことを知りました。当時の文芸評論家、文学者の中では極めて珍しいことでした。
 
 そして湯川秀樹や数学者・岡潔と対談もしていたそうです。
 
 別に小林秀雄は物理学を上、文学を下に見るといった通俗的な科学主義者ではありませんでした。思考を徹底的に突き詰めるとき、相対性理論から量子論に至る物理学革命は避けて通ることはできず、科学主義やマルクス主義を批判するためには必要なことだと考えたようです。
 
 小林秀雄を思考のスタイルをたどりながら、山崎先生は小林秀雄の姿勢について説明しています。
 小林秀雄は、自然科学、とりわけ物理学が絶対的に、客観的な真理を体現しているとは思っていなかった。小林はむしろ物理学がいかにその基礎論という部分では、不安定な、相対的なものでしかないか、という点に目を向けていた。だが多くのマルクス主義者たちは、科学的真理を絶対的な真理と見なし、それに批判的なものを、反科学的だとか非合理的だとか言って批判していた。・・・・(中略)・・・・
 
 科学と科学主義は同じではない。真にラディカルな創造的な科学者は、科学が普遍、妥当な絶対的に確実な土台の上にきずかれた学問だとは思っていない。そう思うのは科学主義者だけである。科学主義者は、科学の「基礎」や「根拠」を問うことはしない。ただ、盲目的に、科学を他の分野に応用することを考えているだけである。
 
 小林が絶えず批判したのは、科学主義であって、科学そのものではない。科学は決して科学主義的ではない。科学者はいわば科学主義が無効になる時、はじめて科学者になるといってよい。たとえば湯川秀樹は、科学的発見をもたらすのは、≪結局直覚しかない。いろいろ理屈は言うているが、結局直覚しかない≫といっている。・・・・(中略)・・・・
 
 要するに、第一線の、本当に創造的な科学者は、科学主義というような便利な思考法に頼ってはいないということだ。彼らが頼るのは、結局直覚しかない。つまり、科学者の思考も、芸術家の思考とほとんど変わらない。ということは、、科学も芸術も等価だということだ。芸術より科学が本質的なわけではないし、また、科学より芸術の方がより本質的だというわけでもない。科学主義者には、このことがよくわかっていないのである。  p37-38
 山崎先生はブログやメルマガで、存在論的思考とイデオロギー的思考の違いを、マルクスとエンゲルスの違いとして良く言っているのですが、私はそれがいつも気になっています。
 
 原理的思考と原理主義は違うとも言えるかもしれません。
 
 実践を重視するアドラー心理学も、それを原理主義的にとらえると途端にイデオロギーを主張するだけになってしまうかもしれません。アドラー心理学原理主義者(いるとしたら)は、実はアドラーを原理に生きるのとはまるで違っていることになるかもしれない。つまりアドラーを生きていないことになる。
 
 なかなか微妙なところですが、こういうことは思想を学んで実践するときに常に起こりうる問題と考えられます。
 
 

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