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September 17, 2016

第2次上田合戦の描き方

「真田丸」は基本的に全面的に推しているのですが、前回「第36回 勝負」には、「あれ?」と物足りなく感じたのは事実でした。
 関ケ原が合戦シーンがなく、報告のみなのはいいのです。信繁目線に徹すれば、あれがリアリティーです。
 
 ただ、当の上田合戦が、せっかくの昌幸パッパ最後の戦で、信繁に戦略を伝授する場としたらもうちょっと物足りない気がしました。
 
 昌幸と本多正信の知恵比べは、中々良かったですが、信繁の奇襲が空振りのあっけない引き分けのような感じで終わったのはどうだったのでしょうか。
 
 第1次上田合戦と同じく、徳川方が手ひどい損害を被ったといわれていますが、ドラマでは小競り合い程度でそのシーンはなかったですね。
 最近の研究ではあんな感じだったという時代考証の結果でしょうか。
 
 と思ったのは私だけではないようで、真田の地元信州の学者さんのブログ「代替案のための弁証法的空間」で同じ感想がありました。本格的な考証をされているので、大いに参考になります。
 
 同記事によると、徳川方は本多正信と仲が悪い大久保忠隣らが上田城下に突撃して昌幸に返り討ちされ、正信はその責任をとらせるため大久保らの腹心の部下を切腹させたそうです。それがさらに両者の関係を悪化させ、後々徳川幕府成立後、本多家と大久保家の対立と悲劇を生むことにつながったのかもしれないとのことです。
 
 本多正信は、真田が挑発してくることを百も承知で、刈田に徹して決して挑発には乗らないように厳命してあったようです。
 対する昌幸は、現場の指揮官は激高すれば上官の命令なしでも、猪突猛進してしまうという心理を読んでいたのでしょう。しかも、現場にいたのは本多正信にはライバル心が強い大久保忠隣でした。はたして、昌幸の挑発にのって、徳川方の大久保忠隣隊や牧野康成隊は城下に乱入し、第一次上田合戦の二の舞を演じてしまうのです。

 昌幸の作戦を読んでいた正信ですが、昌幸はさらに現場の将兵の心理まで読み切っていたのではないか・・・・。そこは、正信よりも実戦経験豊富な昌幸の読み勝ちだったといえるのではないでしょうか。

 さて、その後のエピソードが恐ろしい。正信は、自分の命令がないのに、挑発にのって勝手に攻め込んだ将兵たちを軍令違反で厳しく処罰します。なんと、大久保忠隣の旗奉行であった杉浦文勝、ならびに牧野康成の旗奉行の贄掃部(にえかもん)に切腹を命じるのです。(この切腹命令のシーンは大河「葵・徳川三代」ではちゃんと描かれていました)

 それにしても、正信さん、切腹はひどすぎるのでは・・・と思わざるを得ないエピソードです。冷静な正信が思わずキレてしまうほど惨憺たる結果だったのでしょう。この昌幸と正信の知恵比べ、負けた正信の悔しさ・・・・こういった点を丹念に描いてくれれば、もっと深みが出たと思います。昌幸最後の大舞台として、すべてのパパ・ファンも満足できたことでしょう。

 大久保忠隣は、大事な家臣を切腹させられてしまい、正信に恨みを抱いたようです。その後、長く尾を引くことになる徳川家中での大久保vs本多の怨恨バトルは、第二次上田合戦のこの時に始まる、という説もあります。それが結局のちの大久保家と本多家の悲劇にもつながっていったのかも知れません。徳川家にとっても第二次上田合戦というのは、後々まで尾を引く家中の深い亀裂を残す結果になったようなのです。
 
 ちょっと豊臣時代の描写に時間を割き過ぎたところもあったかもしれません。ここはこれまでの真田信繁(幸村)のドラマにない視点だったので、評価したいところですが、時間と予算の都合もあったのでしょうか。
 
 これから一気に最終章です。これまで観察者だった信繁は、いよいよ本格的に舞台に乗ることになります。
 
 

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