発達障害と診断されることの意義
(転載貼り付けはじめ)
類の子育てのターニングポイントは、アメリカに渡ったことでした。
日本に発達障害を診断してくれる医師がほとんどいなかった時代に、アメリカでは教師が「気になる」と思った時点で、すぐに支援チームが作られて、診断から支援までを受けられるプロセスができていました。その様子に「へぇ、すごいな」と感心しました。ただ、アメリカで発達障害の説明を受けてショックだったのは、「こういう障害だから、一生治りません」と言われた時でした。私は時間をかければ、いずれできるようになるものだと思っていたので、「え?できるようにならないかもしれないの?」と、戸惑いました。「そのために早めに対応して、トレーニングをしていけば、できるようになることが増えていくから頑張りましょう」と言われました。でも、行動療法を受けたところで半年や1年くらいでは、あまり変わることもなかったなという印象です。もちろん、5年前に比べると成長したなと思うことはたくさんありますが、即効性はなかったですね。ただ、診断がついたことで、周囲から配慮されることはたくさんありました。それだけ、日本では、周囲に言えなくて苦しんでいる人が多いのでしょう。事実は事実として受け止める、というアメリカの考え方に対し、日本は、親が離婚したことを隠し通す人がいるように、「人と違う」ことを人前でいうと、その人が傷つくという前提があります。その前提こそが、人と違う人たちを生きづらくさせているのに、「そんなこと、言っちゃいけません」みたいな、要らぬ気遣いが横行する社会ができあがっています。アメリカは、発達障害を公表した方が、みんなが配慮してくれるから得する社会。言うことにインセンティブがあります。でも、日本の場合は、インセンティブがなさすぎるから、言わない方がいいよね‥‥となっています。それは「うちの子、診断を受けると障害者になっちゃう」で頭が止まっているからだと思います。診断がつく、つかないことより、もし子どもが困っているのであれば、問題を抱えているのであれば、それを解決した方がいいと思います。もちろん、診断がついたら生きやすい社会になっていれば、迷うことはないのでしょうが。(転載貼り付け終わり)
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