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October 29, 2016

発達障害と診断されることの意義

 モデル・タレントの栗原類さんがテレビに登場した時、「これは!」と発達臨床に携わる人ならだれもが思ったでしょう。ただ、公にはいわないだけで。
 
 ところがすでに、ご本人とお母さまがカミングアウトしてくれていました。
 お母さまの発達障害の子どもを持つ子育てについて語っているのが、すごく参考になります。
 
 
 ここでお母さまは、発達障害とはっきり診断を下されることの大切さを明言しています。ただ、残念ながら当時の医師ははっきりと言わずに、アメリカの医師に下されたそうです。今は日本でもだいぶ変わっていると思います。
 
(転載貼り付けはじめ)

類の子育てのターニングポイントは、アメリカに渡ったことでした。

類自身もとても楽しそうに学校に通っていましたし、発達障害の診断を受けたのもアメリカでした。
 
日本に発達障害を診断してくれる医師がほとんどいなかった時代に、アメリカでは教師が「気になる」と思った時点で、すぐに支援チームが作られて、診断から支援までを受けられるプロセスができていました。その様子に「へぇ、すごいな」と感心しました。
 
ただ、アメリカで発達障害の説明を受けてショックだったのは、「こういう障害だから、一生治りません」と言われた時でした。私は時間をかければ、いずれできるようになるものだと思っていたので、「え?できるようにならないかもしれないの?」と、戸惑いました。
 
「そのために早めに対応して、トレーニングをしていけば、できるようになることが増えていくから頑張りましょう」と言われました。
 
でも、行動療法を受けたところで半年や1年くらいでは、あまり変わることもなかったなという印象です。もちろん、5年前に比べると成長したなと思うことはたくさんありますが、即効性はなかったですね。
 
ただ、診断がついたことで、周囲から配慮されることはたくさんありました。
 
クラス内では「類は発達障害だから、こういう時は類を優先的にさせてあげましょう」とか「近くで大きな声をなるべく出さないようにしてね」と言ってもらえました。
 
クラスメイトとトラブルがあっても、先方の保護者から「発達障害だと聞いているから、大丈夫よ」と言われることもありました。
 
類が今回、自分が発達障害であることをカミングアウトしたことについて、「よくぞ言ってくれた」という声が多いようです。
 
それだけ、日本では、周囲に言えなくて苦しんでいる人が多いのでしょう。
 
事実は事実として受け止める、というアメリカの考え方に対し、日本は、親が離婚したことを隠し通す人がいるように、「人と違う」ことを人前でいうと、その人が傷つくという前提があります。
 
その前提こそが、人と違う人たちを生きづらくさせているのに、「そんなこと、言っちゃいけません」みたいな、要らぬ気遣いが横行する社会ができあがっています。
 
アメリカは、発達障害を公表した方が、みんなが配慮してくれるから得する社会。言うことにインセンティブがあります。でも、日本の場合は、インセンティブがなさすぎるから、言わない方がいいよね‥‥となっています
発達障害の診断を受けることをためらう保護者も多いと聞きます。
 
それは「うちの子、診断を受けると障害者になっちゃう」で頭が止まっているからだと思います。
 
診断がつく、つかないことより、もし子どもが困っているのであれば、問題を抱えているのであれば、それを解決した方がいいと思います。
 
もちろん、診断がついたら生きやすい社会になっていれば、迷うことはないのでしょうが。
 
(転載貼り付け終わり)
 診断すべきかどうかというより、お母さんがおっしゃる通り、「人と違うこと」を極端に恐れる日本の空気(圧力)は、明らかに診断されることと、障害受容のプロセスに悪影響を与えていると思います。

 

 

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