なんとフジテレビ「嫌われる勇気」に日本アドラー心理学会がいちゃもんをつけたようです。
何考えてんだか。
真面目なアドレリアンほど明確に否定する「嫌われる勇気」と、以前書いた通りになってますね。
あっ、私は昔々会員だったけど今は違うので、関係ありませんよ。
私は香里奈さんを応援してます。
「正統派」の諸君、庵堂蘭子共々私を「偽アドラー」と呼ぶなら呼べ。
それでも日本アドラー心理学会には、古い知り合いや好感を持っていた人もいたので、こんなことをするとは残念です。
原作者の岸見先生と古賀さんはもちろん、制作陣を信頼、応援しています。
ニュースによると抗議文には
具体的には、“ナチュラルボーンアドラー”という設定のドラマの主人公が、「私はただ、感じたことを口にしているだけ」などと言っていることを問題視しており、アドラーの教えである「『他者の幸福のため』に自分がすべきことをする」という部分が「欠落している」と主張。同局に、放映中止か、脚本の大幅な見直しを求めている。
だそうです。
本当にそう見ていいのか。
庵堂蘭子は、他者の幸福のために自分のすべきことをしていない、と言っていいのか。
大きな枠組みの中では警察組織の中で、ちゃんと仕事しているじゃないか。つまり、協力ができている。犯人を捕まえているから、社会貢献している。
まあ、前も書いたけど外から見たアドレリアンなんて、あんなふうに見えなくもないし。
特にアスペっぽいアドレリアンなら、余計あんな感じになりそうだし。あの辺りにいそうだなあ、と思うんだよね。
勇気づけが足りないとは思うけど、確か、勇気づけは褒めることやおべんちゃらと違うよね。勇気づけられたかどうかは相手次第だよね。
つまりこの場合は、加藤君や犯人かな。彼女だけ見てはダメです。全体論、人間関係論を勉強し直そう。実際彼は庵堂蘭子によって変わりつつあるのだから、勇気づけられているのだろう。
結局、古賀さんの言う「カリカチュアライズ(戯画化)されたキャラクター」の表現や造形の仕方が気に入らないか、理解できないということだろう。
理想のアドレリアン(というその人の私的論理)から引き算して批判するのは、正しいのか?
それを放送中止を要請するとはねえ。お得意の関西風味の突込みで楽しく批評(批判ではなくて)してほしかったな。
私は庵堂蘭子を、「課題の分離」スペシャリストのアドレリアンと解しています。実は専門、得意分野がアドレリアンそれぞれにあるんですね。私はカウンセリング・スペシャリストを目指すアドレリアンです。だから、「これはあなたの課題であって、私の課題ではありません」なんて言わないですよ、けして。当たり前じゃないか。
もちろんカウンセリング以外に実践しないというわけではないよ。大分適当だけど。
だから、あれはあれでありだと思う。実際にいたら尊敬します。私、嫌われる勇気ないので。
というわけで私はその抗議、明確に否定します(笑)。
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