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March 26, 2017

木村政彦と合気道

 前記事で木村政彦の強さに、なんともいえぬ柔軟な思考・行動傾向(遊び好き、いたずら好きといった感じで人々に記憶されている)があることを、 『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(増田俊也、新潮社)から引きました。
 
 もう一つ、木村の柔道を飛躍させたものがあったようなのです。
 
 それはなんと、合気道です。
 
 木村が合気道を学んだわけではありません。
 
 拓大予科2年の若い頃、既に中学時代に柔道日本一を経験していた木村は無敵の勢いを示し始めた頃でしたが、合気道を学んだことのある柔道家にもてあそばれるようにして負けたのです。昭和11年6月1日、宮内庁主催の選抜試合でした。
 
 木村を翻弄したその相手は、阿部謙四郎という武道家でした。
  しかしその名前は、合気道史によほど詳しい人でないと知らないと思います。当時から天才と称され、のちにイギリスに柔道と合気道を広めた人だそうです。私は、阿部が極めて実戦的で強い人だったという話を、以前ある合気道の本か雑誌で読んだ記憶があります。本書でその具体的なエピソードを知って、とても興味深く思いました。
 
 阿部は既に柔道で相当の力があった20歳前後、偶然汽車内で出会った合気道開祖・植芝盛平に簡単に組み伏せられ、その場で弟子入り、10年間合気道を修行したとのことです。
 
 木村の自伝の言葉です。
「彼と組み合ってまず驚かされたのは、ふんわりとしか感じられない組み手の力と柔軟さだった。試合ともなれば誰しもがある程度両手に力を込めて握ってくる。当然、肩や足腰にも、相手の動きに対する警戒感から多少の力が入るのだが、彼の場合はどこにも硬さというものが感じられなかった。文字どおり掴みどころのない感触で、どんな技でも簡単に吹っ飛びそうな気さえした。
 これはたやすい。私は思い切って得意の大内刈り、大外刈りを放った。ついで一本背負い。しかしどうだろう。まるで真綿に技をかけたようにフワリと受けられ、全然効き目がない。かける技、かける技すべて同じ調子で受けられてしまう。グンと弾ね返されるならまだしも、これではまるで一人相撲ではないか・・・・。私は焦った。その瞬間、ビュンと跳ね上げられた。ようやくのことで腹ばいになって逃れる。跳ね腰だ。次に大外刈り。これも私は、危うく半身になって難を逃れた。しかし阿部五段の攻撃は矢継ぎ早に続く。私はかろうじて腹ばい、半身になるのが精一杯であった。相手の技に対して戦々恐々、防戦一方で試合は終わった。結果はもちろん、私の判定負けである」
 
 木村は筋骨隆々、すさまじい腕力の持ち主で、その大外刈りはあまりに強烈で相手が後頭部を強打して失神してしまうことも少なくなかったそうです。だから稽古では相手が怖がって、木村が大外刈りを打とうとすると、「それだけはやめてくれ」とその場で座り込んでしまうほどだったそうです。
 
 それを柳に風のごとく、まさに「柔(やわら)」というにふさわしく、剛力の木村を難なく制してしまった阿部は相当な手練れだったと間違いなく言えるでしょう。
 
 ところが木村は、阿部が合気道をやっていたことを死ぬまで知らなかったようです。
 
 しかし、木村も天才、阿部に弄ばれたことにかなりショックを受けて一時は柔道をやめようかとさえ思ったものの、師匠の牛島辰熊にさとされ(というか怒られ)、自分に足りないものを分析し、柔の要素を入れた独自の稽古を工夫して猛特訓し、1年後、今度は阿部を何度も投げ飛ばすことができ、リベンジを果たしました。
 
 心は子どものように柔らか、体の動きも柔らかくなった木村は、以後無敵となっていったのです。
 
 武道家の上達プロセスとして、大変興味深いですね。
 
 そして実は、木村に影響を与えた合気道家がもう一人いました。(続く)
 

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