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November 23, 2017

攻防を資とする

 清水豊著『老子と太極拳』(ビイングネット・プレス)からしばらく、時々、メモします。
 
 来年以降、いよいよ武術や気と心理臨床、アドラー心理学を絡めたものを書いてみようという気になってきたから、資料集めを始めようと思います。ブログは私にとって、クラウドの公開メモみたいなものです。
 
 老子には「一」の思想があるといいます。
 
(引用開始)
 使えないような人や物であっても、おおいなる道の悟りを体得した人であれば、棄てて顧みないということはない、というのである。これは、あらゆるものが、全体を構成するたいせつな一部であるとする老子の「一」の思想を如実に示すものにほかならない。
 
 どのような部分でも、それを欠いては、全体である「一」が完成されないのである。老子は言う。使えないと思われるものでも、「資」となり得るのであると。「資」とは、いうなれば資材のことであり、そのままでは使えないが、手を加えれば、十分に有効なものとなる、ということである。
 
 この「一」の考え方こそが、太極拳のベースなのである。あらゆるものが、調和の中にある。それは、すべてのものが、連関性をもって存しているからである。こうした「一」なる感覚のことを、太極拳では「太和の気」という。・・・(中略)・・・
 
 武術も同様で、闘争のための技術を身につけるような「武術」は、この宇宙の中にあって存すべきではないのである。しかし、本来あるべきではない「攻防」も、我々の世界には確実にある。しかし、これは老子の教えるところによれば、「攻防」も「資」ということになるのである。一部の宗教のように「攻防」を、ただ否定しても意味がない。大切なことは、現実にある「攻防」を「資」として、本来の道である「調和」をいかに学ぶかにあるのである。
 
 太極拳にあっては、「攻防」を通して、その中にある「調和」を見いだそうとするわけである。この発見が、太和の気の発現となるのである。  p101
(引用終わり)
 
「一」の思想はアドラー心理学の「全体論」に、「資」の発想は「大切なのは持っているものをどう使うか」という考えに通じますね。
 
 太極拳は基本的に戦闘術に過ぎないのですが、どうしてそれがマインドフルネスとか「悟り」の道につながるかというと、老子の思想をバックボーンにしたからこそということができます。
 
 
 

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