大河「おんな城主直虎」が先日終わりましたね。
昨年の「真田丸」は全回コンプリートしましたが、今年は6、7割くらいかな、観たのは。それでも面白かったと評価しています。
ほとんど実像がわからない人物だったから、1年間ストーリーを創り上げるのは大変だったと思います。その分、脚本家やスタッフの想像力を発揮する余地が大きかったでしょう。
特に本能寺の変で、話題になった
明智憲三郎氏の「本能寺の変 431年目の真実」を明らかに下敷きにしたのは良かったです。明智光秀と徳川家康の共同謀議説です。歴史ドラマでは、初めての試みでしたかね。ただ、全面的に採用ではなく、信長は本当は家康を殺す気はなかったという「本当はいい人」説という落ちでしたが。
ラストのラストで、元服して侍大将になった井伊直政に、武田の赤備え隊が配属されたシーンがありました。武田ファン、戦国好きなら周知のことですが、武田家滅亡後潜んでいて、織田信長が倒れた直後に反乱を起こして織田勢を甲斐から追っ払った武田の旧臣たちは、かなり多くが徳川家康の配下に就きました。その数は500人とも800人にもなったそうです。
つまり職を失った侍たちが再就職を果たしたのです。
武田家の歴史を記した有名な史書「甲陽軍鑑」では、最後はなぜか武田の滅亡時ではなく、徳川家康と豊臣秀吉が戦った小牧・長久手の戦いで終わっています。
井伊隊に属した武田の旧臣たちは、再就職後の晴れの舞台として燃えたのでしょう、直政と共に突撃、豊臣勢を蹴散らし、池田恒興や森長可といった織田家家臣で秀吉についた有力武将を次々に討ち取りました。長篠の戦い以降やられっぱなしだったから、「この野郎!」と奮い立ったのに違いありません。
その活躍から直政は「赤鬼」と呼ばれるようになりました。
つまり「甲陽軍鑑」は、滅びたとはいえあの武田軍だった侍たちが、「俺たちはここにいるぞ!」と世にアピールした書でもあったと思います。
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