マリーナ先生から本物のアドラー心理学を学ぶ
更新が大分空きました。
先週末からずっと上京していたためです。基本、私は旅の間はブログをしないことにしています。
2月1日は神楽坂のヒューマン・ギルドで、「アドラー心理学の歴史的流れ」、2、3日は「アドラー心理学(困難の乗り越える心理学)のエッセンス」でした。2つの講座に続けて出たことになります。
昨年のマリーナ先生の来日時は主催側でしたが、今回は日本臨床・教育アドラー心理学研究会は後援させていただきました。
3日間に渡って内容的に濃く、ものすごく刺激になりました。
最初の「歴史」は、アドラーとドライカーズの人生を中心にアドラー心理学の歴史を学ぶことができました。アドラーの人生は大分知っていますが、ドライカーズはあまり詳しくないので、彼の波乱に満ちた人生を聴けたのはよかったです。
ドライカーズさん、当時けっこうアメリカのテレビに出演していたそうです。
後半の「エッセンス」では、「ライフスタイル」の本質的な意味を「運動の法則」として、キチンととらえることを主張されていました。我々はつい人の性格を「~型」「~タイプ」と分類してとらえてしまう傾向があります。講義では「カテゴリカル」と言っていましたが、カテゴリカルナ理解はわかりやすいのでこれは避けられません。でも、それでは人を変化し、動き続ける、変わりうる存在であることを見えなくしてしまいます。
アドラー心理学は本来、カテゴリカルな考え方ではなく、運動としてとらえることを主張しています。
これはとても重要なポイントです。
しかしここで、ジレンマというか葛藤が支援者に生じます。医療や心理臨床の世界、あるいは福祉や司法でもそうですが、基本的には人をカテゴリカルな分類をしてから、支援を考えることが基本です。こういう世界で、どのようにアドレリアンらしく振舞えばよいか、みんな試行錯誤しているはずです。
そこで私は質問させていただきました。
マリーナ先生の詳しい答えは割愛しますが、一つの驚きは、なんとマリーナ先生はDSM5の作成に協力していたとのことで、巻末(?)にお名前が載っているそうです。
だから簡単に言えば、カテゴリカルな見方と運動を見る見方、その両方が大事で、両立させることはできる、ということなのでしょう。もちろん私も、まったく同意しますし、そのように努めてきました。
他にも印象的な言葉に、「人は往々にして自分の『強み』をやり過ぎてしまう」というのがありました。問題行動や症状はその結果である、ということです。強みや得意なことであるからこそ、やり過ぎてしまう。
これは問題行動や症状を、「病理」「弱さ」と見る態度と対極をなしています。
「強み」であるのだから、その量を減らしたり、やり方を調整したり工夫する余地が生まれてきます。セラピーは楽観的になれます。
クライエントの劣等感を補償するために、強みを使って完璧を目指す道筋が「運動」ということです。
講座の様子は、岩井先生のブログが写真が豊富でわかりやすいです。懇親会では、僭越ながら私が乾杯の音頭を取らせていただき、写真もありますよ。
マリーナ・ブルフシュタイン博士のアドラー心理学の歴史的流れ」
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