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August 19, 2019

『春宵十話』

 岡潔著『春宵十話』(角川ソフィア文庫)

 数学者・岡潔の評判は方々で聞くことがあったので、代表的なエッセイを読んでみました。評判通りでした。天才の直観と経験に基づいたエッセイだと思うのですが、非常に重要なことを述べているように思いました。一見奇をてらったような言葉も、当たり前に感じられるのは普遍性に到達した言葉だからでしょうか。

 有名な「数学は情緒である」というフレーズは、初めて聞いた時は、面白いなと感じながらも、数学は論理だけだと思っていた文系人間にはなかなかわかり難い感じもしました。本書で、岡先生独自の非常に深い教育論であることがわかりました。こんな理解で数学をやれたらよかったです。

 印象的なところはたくさんあるのですが、後学のためにメモします。

 人の中心は情緒である。…(中略)…数学とはどういうものかというと、自らの情緒を外に表現することによって作り出す学問芸術の一つであって、知性の文字板に、欧米人が数学と呼んでいる形式に表現するものである。  p3

 頭で学問をするものだという一般の観念に対して、私は本当は情緒が中心になっているといいたい。  p13

 本当は情緒の中心が実在し、それが身体全体の中心になっているのではないか。その場所はこめかみの奥の方で、大脳皮質から離れた頭のまん中にある。ここからなら両方の神経系統(自律神経の交感、副交感神経のこと=ブログ主注)が支配できると考えられる。情緒の中心だけでなく、人そのものの中心がまさしくここにあるといってよいだろう。  p13

 面白い視点ですね。こめかみの奥の中心って、松果体でしょうか。岡先生の数学をやっている最中の身体感覚なのかもしれません。神秘主義者やオカルティストはよく松果体を直感や霊感の座ということがありますが、関連があるように感じてしまいます。

 さきに副交感神経についてふれたが、この神経の活動しているのは、遊びに没頭するとか、何かに熱中しているときである。やらせるのではなく、自分で熱中するということが大切なことなので、これは学校で機縁は作れても、それ以上のことは学校にはできない。  p15

 文化の型を西洋流と東洋流の二つに分ければ、西洋のはおもにインスピレーションを中心にしている。たとえば、新約聖書がインスピレーションを主にしていることは芥川龍之介の「西方の人」を見ればよくわかる。これに対して、東洋は情操が主になっている。孔子の「友蟻遠方より来る、また楽しからずや」などその典型的なものだし、仏教も主体は情操だと思う。  p36

 仏教では視覚、聴覚の中枢を五つ考えて、五識としています。これをまとめるのが第六識で、第六識をあらしめているものが第七識となっていますが、これが情緒の中心と言えます。つまり情緒の中心が第六識以下の感覚をあらしめているのに違いないと思えるのです。  p86

 本当の数学は黒板に書かれた文字を普通の目玉で見てやるのではなく、自分の心の中にあるものを心の目で見てやるのである。これを君子の数学という。  p119

 数学教育の目的は決して計算にあるのではない。かたく閉じた心の窓を力強く押し開いて清涼の気がよく入るようにするのにあるのだ。  p120

 

 

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