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August 04, 2019

紀元前と未来のシンギュラリティと心の発達

 前々記事で古事記の面白い話を紹介した能楽師の安田登さん、前記事で東洋文庫ミュージアムで文字の歴史を学んだことを記しましたが、その両方にかかわるようなことを、またも安田登さんが述べているのを見つけました。とても面白いです。

 一般に「シンギュラリティ」と呼ばれることは、AIが発達した近未来に起こると推測されていて、人の存在意義や労働の在り方についてなど、不安や希望など多様な意見があります。

 安田登さんは、該博な古典の知識を活かして、シンギュラリティは過去にも起こった、それは文字の発明とそれに続く心の発見となり、それを外在化することによって成し遂げた人は進化したと語っています。

 よろしかったらご覧ください。

 紀元前に起きたシンギュラリティからの「温故知新」:能楽師・安田登が世界最古のシュメール神話を上演するわけ

 孔子やニーチェは「人間のバージョンアップ」を目指していたのではないか。「仁」とはその意思を表し、そのための道具立てを孔子は論じた。それが「礼」であった。紀元前の中東やアジアで起こったことに続いて、新たなシンギュラリティによって、「新しい心」が生まれるのではないかというのは、大変スリリングに感じます。

 一部、メモしておきます。

(引用始め)

安田 孔子の言行録である『論語』のなかで最も重要なテーマは「仁」です。しかし、実は、孔子は「自分ですら、『仁』に至っていない」というようなことを述べていました。そもそも、当時まだ「仁」という漢字がないのです。

酒井雄二(以下、酒井) すっかり、孔子は仁を体現している人なのだと思い込んでいました。

安田 孔子はもう少し先の人間を想像していたのではないでしょうか。『論語』は「ひとはそろそろ、いまの人間を超える新たな存在になるべきではないか」と提案しているように読める。そして孔子は、「人」と「二」から成る「仁」という新たな人間像を創出したのではないか、なんて話をしたら、ドミニクさんが言うんですよ。

ドミニク それはまるで「Human2.0」じゃないか、と。

一同 (笑)

ドミニク まさに「人」と「二」という漢字の組み合わせなので。

酒井 字面から。

ドミニク 字面もそうですが、仁についての孔子の説明を聞いていると、それを聞いて真っ先に思い浮かんだのがニーチェの「超人」の概念なんです。「人間のヴァージョンアップ」という意味と近しいことが言われている。

酒井 時代も地域も異なる孔子とニーチェが、人間のさらなる進化について考えていた、というのは興味深いですね。

ドミニク 最近だと、イーロン・マスクが「ニューラル・レース」の構想を発表しましたよね。脳内にコンピューターと通信できるモジュールを挿入して、人工知能に勝てる人間をつくる、という。

酒井 いよいよ『攻殻機動隊』や『マトリックス』の世界だ。

ドミニク レイ・カーツワイルはシンギュラリティについて、機械の知能が人間を超えると言いました。一方で、人間がどう変わるかということについては、彼はあまり言いません。そこで、イーロン・マスクは「ニューラル・レース」というヴィジョンを打ち出した。

安田 人工知能の進化に警鐘を鳴らし続けた、彼らしいヴィジョンではありますね。シンギュラリティに「リテラシーを高めて対抗する」というのはイマイチです。いっそ、人間が機械を取り込んでしまおう、という。

(中略)

酒井 安田さんはなぜ、『イナンナの冥界下り』や孔子に注目しているのですか。

安田 『イナンナの冥界下り』から孔子の時代、つまりポスト心の時代になったばかりの混乱は、いま、次のシンギュラリティを迎えようとしている現代社会に近いという気がしているんです。

ドミニク なるほど。新しく生まれ、広がった概念により混乱が起きたというのは、いま、フィルターバブルやポストトゥルースといった問題で混乱する現代社会と似ています。そうだとすると、今度はどんな時代になるのでしょう。

安田 わたしは、いまの「心」を上書きする新しい概念が生まれてくるのではないかと思います。

酒井 それは、どうしてですか?

安田 心ができたばかりの神話や文学には、心以前の世界の記憶が残っています。その時代の神話には、たとえば「未来のことを考えない」、「話が突然飛ぶ」、「色が少ない」などといういくつかの特徴があります。これはわたしたちが夜見る「夢」の世界に似ているでしょう。

心以前の世界は、言葉によって生みだされた「心」によって上書きされ、夢の中に封じ込められたのだと思います。そして、文字の発明というシンギュラリティによって「心」が生まれたなら、ロボットやAIによって生まれる次のシンギュラリティは、まったく別の何かになるはずです。「知」という精神活動、すなわち「温故知新」はビッグデータによってAIでも可能になりつつあります。

ならば、脳や身体をさらに外在化したことによって生じる余裕によって生みだされるものは何か。それが「ポスト心」をつくるのではないかと思っています。そして、いま心を持て余したり、あるいは心によって苦しめられたりしている人の方が、その時代をつくることも十分に考えられます。

 

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