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January 17, 2021

仏教の未来

 仏教が好きな人はいまだに多いと思いますが、余程熱心な人でなければ教義を丸ごと信じている人は少ないんじゃないかと思います。

 西方浄土が本当にあるとか、何とか観音とか菩薩が存在するとか、〇〇を唱えれば救われると信じている人は少なくとも私の身近にはいないようです。因果応報といった社会道徳的な考え方や、座禅をして心が鎮まるみたいな心の持ち方みたいなところを仏教の教えととらえているのではないでしょうか。

 葬式仏教と揶揄される日本の仏教界も、「これではいかん」といろいろな試みがなされているようで、時折仏教者からの発信を耳にします。

『集中講義 大乗仏教』(NHKブックス)の著者・佐々木閑先生は最終章「大乗仏教はどこへ向かうのか」で、その辺を考察しています。

講師 これからの時代は、科学的に証明できるか否かがすべての物事の判断基準となるため、仏教はおそらくこの先、どんどん変容を迫られることになるでしょう。それで、どんな方向に向かうかと言えば、科学とうまく擦り合わせできないことを「心の問題」に置き換えて解釈するようになっていくはずです。それは仏教にかぎったことでなく、キリスト教やイスラーム教も同じです。そしてやがては、世界の宗教は「こころ教」とでも呼ぶべきものに一元化されていくと私は考えています。  

青年 「こころ教」とは、具体的にどんな教えを説いたものなのですか?

講師 科学と擦り合わせできない教義を掲げても誰も信じないので、絶対神の存在や、輪廻、業、浄土といった神秘的な概念は次第に薄まっていき、最終的には「今をどう生きるか」を示す単純なものになっていくと思われます。  p189

 確かに最近のリーダー的な、あるいは若手の仏教者や宗教者の発言は、ほとんどカウンセラーや心理学者と変わらないですね。ただそこに、歴史や伝統の重みというか権威性がまとわれているという感じです。受ける側は、大学の研究室で言われるのと、お寺で言われるのとどちらが好きかという違いだけのような気がします。

 ただ、そこには難しさもあって、

「こころ教」のキーワードは「心」と「命」、動詞でいうと「生きる」です。最近の仏教宗派が掲げるキャッチフレーズをみると、「生かされている私の命」「命が心を生きている」といった意味不明で、しかし口当たりのよい言葉ばかりです。・・・(略)・・・なんとなくよいことを言っているように聞こえるので、すっと心に入ってくるのです。しかし、すべての人の心に軽く入っていく教えとういのは、じつは何も言っていないのと同じです。その宗派の教義と関係のないありきたりの標語だからみんなが受け入れるのであって、受け入れたところで、一時の気休めになるだけで何の役にも立たない。それが「こころ教」の本質です。  p189-190

 と手厳しいことも言っています。

 なかなか難しいところですね。

 つまり仏教単独の、あるいは各宗派の教えの救済力がなくなってきたということです。一般の人々みんなもそれを承知して、仏教と付き合っているのが現在でしょう。

 そしていずれは、「こころ教主義者」と一部の「宗教原理主義者」の二極分化が起こるだろうとおっしゃっています。

 私も妥当な推測だと思います。

 あと、意外と葬式仏教の部分は形や様式、コストを変えても生き残っていくと思います。やはり人は死は免れないもので、その処理(遺体の扱いとかいわゆるグリーフケアとか)は大変です。そこに仏教者や宗教者のかかわりは求められるでしょう。

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