明智光秀と快川和尚
大河「麒麟がくる」はいよいよ最終回。前回(1月31日)も緊張感のある場面が続き、見応えがありました。
ドラマの中盤では、ついに武田家が滅び、信長と家康が諏訪で落ち合って喜び合う場面がありました。
まさに先日のここで紹介した、諏訪大社が織田軍によって焼き討ちされた頃、ということです。
もちろんドラマではそんなことには全く触れず、この後安土城での家康饗応の宴へと進んでいきました。
実は諏訪に着いた後の織田・徳川軍は、そのまま甲斐に入りました。
そして織田軍は、武田家の菩提寺で信玄の墓があった恵林寺を、敵方の武将をかくまったとの咎で焼き討ちしてしまいました。
恵林寺は臨済宗の名刹で、正親町天皇(坂東玉三郎さんが演じてた)より国師の称号を得ていた名僧、快川紹喜が住職でした。信玄や勝頼はじめ多くの人からの崇敬を集め、快川の弟子は伊達政宗の師匠にもなったそうです。
ですから、当時の仏教界のトップクラスの人物だったのですが、残念ながらこの時焼死してしまいました。有名な「心頭滅却すれば火も自ずから涼し」という偈を遺したと伝えられています。
実はこの快川和尚、美濃の土岐氏の出身とも伝えられています。だから明智一族という説もあり、昔の大河「国盗り物語」では、近藤正臣演じる明智光秀が快川和尚と対面しており、焼き討ちにショックを受ける場面があったように覚えています。幼い頃なのでうろ覚えですが。
「麒麟がくる」の時代考証を担当した小和田哲男先生も、恵林寺焼き討ちが光秀謀反の引き金の一つになった可能性があると述べていたネット記事があったので、今回も少しそういう場面があるかと期待しましたが、さすがにいきなりそれを入れると話が散漫になってしまうからか、全く触れられませんでしたね。
まあ、いいです。
この件も含めて、以前この時期の甲斐の状況を書いたことがあります。
「麒麟がくる」は初めて光秀がよい意味でクローズアップされて、とてもよいドラマでした。
最後が楽しみです。
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