善意だけでは
前記事で新型コロナ対策批判、ワクチン批判に腰が引けていた心理・メンタルヘルス専門家をディスりましたが、もちろん彼らは悪い人たちではありません。
一部の学者が、子どもへのマスク着用などを新聞で批判していたのも知っています。
むしろ彼らは、やさしくて、穏やかで、どんな人に対しても性善説で見る「良き人たち」です。
だからこそ、困難な臨床ができる。
ただ、ナイーブ過ぎるのが難点でしょう。
その善意の視線で、この極めて複雑な問題を見てしまうのです。
そういえば、どこかのブログかサイトで、「反ワクチン者に対して動機づけ面接で応じる」といった言葉を見て驚いたことがありました。
「変化の発言」をとらえて、接種へ動機づけるとでもいうのでしょうか。
それはそれで一つの立場かもしれませんが、相手のワクチン拒否の思いを尊重していないのなら心配です。
きっと、このパンデミック(でもないのだが)を収めるには、一人でも多くの人がワクチンを受けなくてはならない、という善意がその人にはあるのでしょう。
ここはアドラー心理学もそうですが、相手を根本から信頼して関わっていく「臨床思想」による対人支援実践者の陥穽があるように思います。
クライエントや、日常生活の近い人たちには当然それでいかなければいけないのですが、それを政治、社会、経済に広げてはいけません。
必ずと言っていいほど、騙されてしまうでしょう。
評論家・思想家の副島隆彦氏は、「政治の本質は悪である」と言っていましたが、卓見だと思います。
どんないい人も政治、すなわち権力や力を得ること、テリトリーを広げること、利益を得ることを過度に追及していけば、必ず多かれ少なかれ、「悪の世界」に触れることになるのです。
そして、その世界の「達人たち」は、善意の人たちには想像すらできない謀略を思いつくことができるのです。
これを「陰謀論」と呼ぶなら呼べ。
人にやさしい「臨床思想」と、悪を見抜く「政治思想」の両立こそが、この時代を生き抜くのに必要だと思う今日この頃です。
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