新型コロナと心理職
前記事で、『これから怖いコロナの副作用』の著者の和田秀樹先生が、感染症学者やマスコミのいいようにされて文句も言わなかった他分野の専門家たちを批判していたことを紹介しました。
これは、私の属する心理臨床の世界もまさにそうだったと思います。
2年前、新型コロナが騒がれ出して、学校の休校や緊急事態宣言が出されたころは、ストレスマネジメントを専門とする先生らが、ステイホームや自粛のリスクや対策をアナウンスしていたように思います。
しかしそれ以降、専門家による特に目立った活動や声が聞こえてこない気がします。
自殺、マスクを子どもに着けさせること、コロナ差別、ワクチンハラスメントなど、いくらでも懸念材料はあったような気がするけど、誰かが激しく声をあげたり、発言をしたという感じがありません。
コロナ禍前は、多様性だとか、当事者の声を大事にとか、弱者に寄り添うなどと盛んに訴えていたオピニオンリーダー的な人たちの声はどこへいったのでしょう。
いや、心の専門家たちは変わらず訴えていたけど、何か言ってもコロナ一色の報道にかき消されたということだったのかもしれません。
確かに、コロナ禍になってそれまでの活動を続けるのは大変だった人は多かったと思うけれど、私の知る限り、心理学者や心理職の人がこの現状を批判した発言はほとんどなかったような気がします。
むしろ大半の心理の専門家たちは新型コロナの官製情報やマスコミ情報を前提にして、「困った困った」と悩むくらいが関の山だったのではないかと、私はにらんでいます。
そして手指消毒の徹底や、面接室にアクリルパネルを設置するのを当然と受け入れたでしょう。
つまり、大半の学者や専門家が無自覚のうちに御用学者側の発言に染まっていたので、心理的な懸念材料を感じていても、発言を控えたり、トーンが落ちたということがあったかもしれません。
そうしないと下手をするとマスコミや社会からバッシングされたり、職を失うかもしれなかったから。
しかしそれは多くの心理の専門家たちが、新型コロナについて、ワクチンについて、科学的に考えるとはどういうことか、さらにその科学はどういう社会的・政治的・経済的文脈の中にあるのかについて洞察が足りなかったことを意味するのではないかと、私は思います。
だからこの狂った世界について、根源的な批判ができなかったのでしょう。
ちなみに私は、昨年7月に出した『アドラー臨床発達心理学入門』で、「コロナ禍の心配」としてマスク着用を子どもに強いることのリスクを問うています。
この点で私は無名の小者ではありますが、一言論人としての責任は果たしたと思っています。
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