長篠の戦いの真実
11日放送の「どうする家康」は長篠・設楽が原の戦いでした。
最近の学説の「鉄砲三段撃ちはなかった」が採用され、五月雨式に撃っていく形になっていました。
大敗して武田家を滅ぼした凡将とされがちだった武田勝頼も、メチャクチャかっこよく描かれていて、「強い武将」としての再評価を反映したものになっていました。眞栄田郷敦君もかっこよかった。
それはよかったのですが、
しかし戦いそのものは、これまで通りのの紋切り型の踏襲。
無謀にも突進する武田軍に織田・徳川軍の鉄砲が火を噴いて、バタバタと倒れていくというシーン。
実際はそうではなかったということが分かってきているのに、黒澤明の「影武者」や「ラスト・サムライ」へのオマージュか、時代劇王道のワンパターンを敢えて演出したのか。
同ドラマの時代考証の一人平山優先生の記事は、ドラマとは全く違う戦いの像を解説しています。
岡田信長が言ったような「これからの戦い」なんてなかったし、一瞬でけりがついたわけでもないし、早朝から昼過ぎまで何時間も丁々発止で戦い続けて、双方多くの死者を出したのでした。
15,000の武田には1,000丁以上は鉄砲があり、35,000の織田・徳川には3,000丁で、比率的には同じくらいだったようです。
結局、勝敗の分けたのは、当時の西日本優位の経済力の差といったところでしょう。
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