甲府城探訪
JR甲府駅のすぐ側、甲府の中心に立派なお城があります。
甲府城、別名舞鶴城。
県外の人からよく勘違いをされるのですが、武田信玄のお城ではありません。
武田家滅亡後の豊臣政権時に豊臣家臣によって造られ、江戸時代も政庁として使われていたお城です。
当時は現存するよりずっと広大な面積を持つ、関東でも有数の城でした。
今は本丸周辺のみが残っています。
明治期にお城を東西にぶち抜いて鉄道を敷いて、昭和の戦後に南北にぶち抜いてバイパスの道(舞鶴橋)を作ってしまいました。
堀も南側以外をすべて埋め立てられ、建物が建てられました。
なんともったいない。
特に城のすぐ北側にある高層のホテルが邪魔だ。どいてくれ。
それでも立派な石垣が遺っていることで、お城マニアの間には知られているようです。
私は子どもの頃から、遠足とかお祭りの時とかよく来ていましたが、詳しく知っているわけではありませんでした。
今回甲府市主催、山梨県埋蔵文化財センター連携企画の「甲府城が大好きな私たちと歩く城☆城下町さんぽ2025」という催しに参加してきました。
この暑い中、誰が来るんだろうと思っていたら、県内外のお城好きが集結というか、60人ぐらいはいましたね。
灼熱の太陽の下、センターの研究員の案内と説明で、城内をぞろぞろ歩きました。
お城の正面です。
石垣は「野面積み」といって、豊臣政権期の城の特徴がよく残っています。岩や石をそのまま、多少は割ったりしているようだけれど、使っていて野性的な感じです。
本丸に向かう鉄門(くろがねもん)です。建物は明治期に全て解体されてしまいましたが、近年研究が進んで、門や櫓が復元されています。
同じ野面積みでも、時期によって修理を受けていて多少の違いがあるそうです。ある角の石垣ですが、右の方が古いそうです。そういえば、左側は加工され成形された石のようですね。
最期に城内の発掘現場の見学と説明を受けました。石垣の裏側を調べているそうです。修復や復元の為には石垣の構造がどうなっているかを知る必要があるからです。
センターの方の説明もわかりやすく、研究のプロセスも聞けて、ただ観光するだけではなかなかわからないことを知ることができました。
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