なぜ保守はワクチンを忌避したか
前記事でリベラルがなぜ、コロナワクチンを安易に受け入れたか、その内在的論理を『ワクチンの境界』を引用して紹介しました。
一方で欧米でも日本でも、コロナワクチンに疑問を呈し、義務化に反対の意思を示したのはどちらかというと保守的な思想を持つ人たちでした。
リベラル系ではほとんど思い浮かばない。
その中で、古武術研究家の甲野善紀さんはリベラル的知識人と多く対談して本を出しているし、保守的な武術・武道界ではリベラルな方だけれど、やはり武術をしているだけあって身体的な直観が優れているのでしょう、Xで(Twitter時代から)コロナ対策とワクチンに猛然と反対をしていました。
そのくらいかな。
『ワクチンの境界』によると、保守思想の特徴は「過去からの伝統を重視する立場」「人間社会にいにしえから伝わる道徳的伝統を堅持することにある」といわれます。
ただ保守はひたすら伝統を守ることだけに終始するのではなく、必要があれば修正する、という立場でもあり、変化を漸進的に進めることを求めます。
急進的、抜本的な変化を求めるリベラルとはそこが違います。
これを感染症対策の問題に置き換えると、感染症対策はワクチンも含めて、伝統の枠組みに入りません。しかも今回のワクチンは、従来の方法で製造されたワクチンではなく、人類へ本格的に接種する初めての遺伝子ワクチンですから、保守が慎重になるのは当然です。‥‥保守がワクチンの義務化に反対するのは、それがまだ人間の伝統になっていないからです。 p148
最近、私自身がなぜ、コロナワクチンに直観的に反対の立場を取れたかを考えるのですが、別に私が特段優秀な知能を持っていたわけではないのは明らかです。
いや、多少は並みの人より優秀だと思わないことはないけれど、それも文系科目に限ってのことで、私より知能の高い人は無数にいます。
ワクチンに対する道が分かれたのは、私がアドラー心理学的なリベラル思想を理想に持ちながらも、実践的には伝統思想、保守思想に親しんでいたことと、武術や心身の修行経験で身体的な感覚を磨いてきたことにあったからと思います。
性格的には(アドラー心理学的にはライフスタイル)、反権威主義的で、文化の境界領域、外れ値を好むところも大きかったでしょう。
同書では、リベラルと保守は対立する思想ではなく、「二つがセットになって初めて、人間社会がうまく動くようになる人間の知恵」と、民主主義社会を発展させるための車の両輪のようなものであると説かれています。
私も賛成です。
リベラル思想の中に、コロナワクチンに反対の思考を持ちうる可能性があるのか、最近の保守勢力の躍進、リベラル勢力の退潮というトレンドの中で、そこがリベラルが生き残るカギのような気がします。
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