March 18, 2017

ドラマ『嫌われる勇気』終了

 ドラマ『嫌われる勇気』が終わりました。日本アドラー心理学会の抗議でネガティブな意味でも話題をまきましたが、内容的には悪くなかったと今でも思っています。ネタバレになるので書きませんが、最後にいい感じにまとまったのではないでしょうか。真犯人もビックリでした。
 
 終わりの方で同僚刑事も言っていましたが、ああいうツンデレ女子がたまに見せる笑顔はなかなかいいものですな(完全オヤジモード)。
 
 同学会が中止要請までしたにもかかわらず、最後まで放映されてよかったです。フジテレビは正しい判断をしました。
 
 視聴率的には苦心したとされていますが、昨今のドラマ全般の低調傾向の中で、内容的にも難しいテーマだし、確かに庵堂蘭子の性格はかわいくないので、それほど高くなることはないだろう、と予想はできました。あんなものでしょう。
 
 私的には、これまで再三、本ブログで擁護してきて言うのもナンですが、当初それほど熱心な視聴者ではありませんでした。「ブームに乗ってよくやるよ」と思ったのが正直なところでしたね。多分、多くのアドレリアン、アドラー心理学ファンもそうだったのではないでしょうか。
 
 ところが突っ込みどころがありながらも意外に面白いので、楽しんで観るようになりました。そしたら日本アドラー心理学会の抗議がマスコミに出てビックリ。
「人が楽しんでいるんだから邪魔すんじゃねえよ」とムカついたと同時に、「これは放っておくといかんぞ」と気づいて、もっときちんと考えて発信しなければと思い直しました。
 
 いかんぞ、というのは、先ず報道記事を読んで、日本アドラー心理学会の抗議内容は私とは正反対の意見で、私から見るとアドラー心理学的にも間違っている可能性が高いこと、同学会があたかも日本のアドラー心理学シーンの代表で、引っ張ってきたような間違った印象を人々に与えてしまうことでした。
 私が書いてきたことは同学会員には不愉快でしょうけど、またそこにも良い先生がいることは知っているけど、アドラー心理学的解釈として間違っていること、事実として違うところは指摘する必要を感じたわけです。
 
 庵堂蘭子張りに、「その抗議、明確に否定します」
 と人々に伝えようと思いました。
 
 それでさらに真剣に観るようになって、これほどドラマに向き合ったのは、『真田丸』ぐらいでしたね(笑)。
 
 
 いっぱい書きましたね。
「正しいアドラー心理学」を発信しなくては、という私なりの共同体感覚の発露でした。少なくとも「視聴者共同体」には貢献できたのではないかな。
 
「アドラーの思想とかけ離れている!」と騒いだ人たちより、深くて良い解釈ができたのではないかと思います。やっぱりドラマは真剣に観て、かつ楽しまなきゃね。
 
 庵堂蘭子の造形について、発達障害特性があるのでは、と書いたことがありましたが、(どんなキャラがいいかな)、前回のドラマで、庵堂蘭子自身が「私は子ども頃からなぜか人とうまくやれなかった」などと話していたので、もちろん診断名は言わないものの、そのような視点で作ったキャラであることが推測されました。つまり、そのような人物がアドラー心理学に救われた、ということが暗示されていたわけです。
 だから「協力の姿勢が見られない」「共同体感覚に欠けている」なんて単純に言わない方がいいってことです。
 
 まったく、読みが浅いんだから。
 
 そんなことを書いていたら、ひょんなことからマスコミ2社から取材の申し込みがあり、1社は実現しました。出してみるものですね。
 
 
 取材を受けるにあたって、初めて日本アドラー心理学会の抗議文を読みましたが、こんな内容では私のブログ記事の方がよっぽど正しい、まともだと思いました。
 たかがテレビドラマだから見解の違いは別にかまわない。しかし、今回は抗議という政治的行動に出ているので、改めてこのままではいけないと思って話をさせていただきました。
 
 この影響や反響はどうだったのかはよくわかりませんが、twitterの『嫌われる勇気』クラスタの人たちには話題になったみたいで、熱心な視聴者らしき人が何度もリツイートしてくれたようです。
 
 ヒューマンギルドの岩井先生もニューズレターで「大変説得力がある。是非お読みください」と勧めてくれていました。ありがたいことです。多くの会員の人たちも読んでくれたことでしょう。
 
 実は上記ブログ記事のほとんどは、アップする度に番組HPのメッセージコーナーから、メールと共に送っていました。香里奈さんはじめ、制作陣を勇気づけるためです。「アドラー心理学的にもいろいろな考え方があるのだよ。(抗議は)気にしなくていいよ」ということを伝えたかったのです。
 
 その効果は定かではありませんが、制作陣が少しでも励まされ、番組継続に役立ったのなら幸いです。
 
 とにかく、私にとっては、アドラー心理学を思い切って好きなように論じることができて(なんといっても架空の話ですから)、なおかつドラマの進行と共に社会活動までしてしまったという面白い体験でした。その意味では、日本アドラー心理学会に感謝しなきゃね。
 そして、同学会員に限らず、私の記事で考え直してくれる人、違った視点を持ってくれる人が増えてくれたら幸いです。
 
 難しいテーマに挑戦して、なんとかドラマを創り上げた制作陣、役者さんたち、アドバイザーの岸見一郎先生と古賀健史さんには賛辞を贈りたいと思います。
 
 ありがとうございました。
 お疲れ様でした。
 
 

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March 14, 2017

『アドラー臨床心理学入門』増刷!

 一昨年に出した『アドラー臨床心理学入門』(アルテ)の増刷が決まったようです。
 
 これで3刷りになるかな。
 
 もはや、アドラー心理学の基本テキストの一つにはなっているような気がします。
 
 一般書とは言い難いので、他のアドラー本に比べて出ている数は大したことないけど、多くのカウンセラーや支援者に読んでいただけているようでうれしいです。
 
 もちろん、一般の方も、自己啓発書などでアドラー心理学を知った後の、アドバンス編として触れていただけます。
 
 より深く、アドラー心理学の理論と技法を知ることができます。
 
 

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March 12, 2017

『嫌われる勇気』誕生秘話

 いまだにベストセラー上位の『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)の制作に携わった敏腕編集者の対談記事がありました。

「僕が一番影響を受けたんです」 天才編集者・柿内氏が『嫌われる勇気』に費やした3年を振り返る

 共著者の古賀さんと共に、岸見アドラーに惚れぬいて、岸見先生のところに通い詰めながら、時間をかけて作り上げていったようです。

 1冊に入れこむ熱量が他の本とは違っていたんですね。それに応えた岸見先生もすごいと思います。

 ところで、私は今2冊の本が進行中です。同じくらいのエネルギーを注いでいきたいとは思いますが、 ただ、臨床系は「熱さ」があまり前面に出ない方がいいと思います。自己啓発系、教育系とは違うところです。

 むしろクールさと信頼性が高いイメージを与えるものがいいでしょう。そのためには学術的体裁をある程度整えるとともに、アドラー心理学には数字的なエビデンスで示すのは難しいところがあるので、何人かで書く共著という形で、多様性とある程度の普遍性、妥当性を示すというところだと思います。要するに、勝手にいい加減なことをやっているのではない、というのを示すということです。

「単著を書いたら」と言われたことがあるのですが、私は今のところそこまでの気はなく、一般向けだったら岸見先生や、岩井先生とその関係の方々がわかりやすくていいものを出し続けてくれているし、専門家向けは仲間と進めていけばいいかな、という気持ちです。

 私が書くとしたら、これまでの万人向け、あるいは専門家向けではなく、マニア向け、武道やスピリチュアリティー・神秘思想に絡めるとか、場合によっては物議をかもすようなものが書きたいですね。どっかから抗議されたりして。つまり売れないものですね。だから日の目を見ることはないでしょう。

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March 10, 2017

ビジネスジャーナルに掲載

 前々記事であるところからインタビューを受けたと書きましたが、それが表に出ました。
 ネットのニュースサイトである「ビジネスジャーナル」です。
 
 
「専門家」というところに、私からそれこそ「疑義」を出したいですが、実際これだけ自分のブログでアドラーを連発していて、あまつさえ本まで出しているから世間的にはやむを得ないでしょうね。
 
 まあ、アドラー心理学的に考えてもいろいろな見方があるよ、やっている人達にもいろいろいるんだよ、ということを世の中に言いたかったので、インタビューを受けました。
 
 内容的にはこれまでここで書いてきたことを、簡潔にしたものです。
 
 つまり、庵堂蘭子は、社会共同体にとってユースフル(有用)な行動と考え方を示している。つまり、共同体感覚があると推測していい、という私見です。
 
 楽しんでいただけたでしょうか。

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March 01, 2017

共同体感覚、ありました

 先週のドラマ『嫌われる勇気』、日本アドラー心理学会の抗議の焦点となった共同体感覚がテーマでしたね。
 
 同僚たちの生命の危機に対して、必死に駆けずり回る庵堂蘭子を描いて、最後に加藤シゲアキ演じる青山刑事に「庵堂蘭子さんに共同体感覚、ありました」と言わせました。
 これが制作サイドの、「答え」でしょう。
 
 まあ、あんな感じでいいんじゃないかな。
 
 ちょっとベタというかストレートすぎて、面白みに欠けるとは思いましたが、共同体感覚をストーリー化するには、あれくらいが普通の人には最も入りやすい内容かもしれないとは思います。
 
 あれ以上だと、壮大になりすぎたり、妖しくなったりするでしょうし、それ以下というか、アドラー心理学の実践報告によくある子育てや生活のエピソードはご本人たちには意味があるでしょうけど、関係ない人には全然面白くないでしょう。
 
 まさか、真面目なアドレリアンさんたちは、そんな話を求めてないよね。
 
 私としては、抗議をするような人たちに「あんなのアドラーじゃない!」「アドラーの思想とかけ離れている!」と怒り狂わせといて、最後にチラッと共同体感覚の片りんを見せる、ぐらいの内容が良かったですけどね。
 
 普通の人は、またアドレリアン諸氏も、ドラマを見て、ただ楽しいの、つまらないの、わけわかんないの言っていていいと思うのですよ。
 ただ、厳密にアドラー心理学的観点からどうかというのなら、十分に「あり」の内容だったと思います。
 
 庵堂蘭子に共同体感覚はあるか で私が見事に(?)「学術的に」示したように、これは見る側の課題です。
 
 まさに「認知論」「目的論」で、何を観ようとするかというこちらの決断次第で、評価はガラッと変わります。
 
 私は基本好意的なので、庵堂蘭子の共同体感覚がきちんと見えている。
 そうじゃない人は、別の認知があって、例えば所詮はお金儲けだの、協力のあるべき姿はこうでなければ、みたいな世界像や理想像があって批判的に見てしまう。
 
 楽しみながら、自らのアドラー心理学的理解が点検できるという稀有な教材ですね。
 
 今度、「庵堂蘭子ごっこ」を課題の分離のワークとしてやってみようかな。アドラー心理学的には「アズ・イフ・テクニック」ってやつです。

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February 27, 2017

日本臨床・教育アドラー心理学研究会第7回大会成功!

 ここでも何度かお知らせした通り、2月26日(日)、埼玉県越谷市の文教大学で日本臨床・教育アドラー心理学研究会第7回大会が開催されました。
 
 最近何かと話題のアドラー心理学と大物講師をお呼びしたためか、たくさんの事前申し込みがあり、当日参加も含めて90人を超えたそうです。会場もいつものところから変更して、大きな階段教室になりました。
 
 大物というのは、諸富祥彦先生(明治大学教授)でした。カウンセリング界で知らぬ人はいない先生です。テーマは「アドラー心理学とフランクル心理学にみる幸福の極意」。
 
 いきなり始まった。参加者全員を巻き込むワーク、圧倒的なパフォーマンスと話術、初めて接した人は驚きだったようです。
 
 そしてアドラーとフランクルの深い一致点。
 
 先生は、臨床心理学全体を見通してある座標軸を設定し、フロイトやユングを「深層心理学」とすれば、アドラーやフランクル、マズローを「高層心理学」と呼ぼうという提案が面白かったです。
 
 私としては、トランスパーソナル心理学にも造詣が深い先生と、講演終了後のランチセッションでお互いの若い頃のトランスパーソナル心理学体験について話し合えたのが、最大の収穫でした。同世代、同時代にそれぞれがかかわっていたはずなので、一度このネタで先生と語り合いたかったからです。先生も、「それは大変でしたね」とビックリされてました。中身は言えませんが。
 
 午後は発表、山梨県甲州市立松里小学校の岩下和子先生による「アドラー心理学との出会い-勇気づけで変わった子どもたちとの関わり」という研究と教育実践について。
 総合教育センターでのアドラー心理学を使った授業研究の結果と、地元の学校に戻ってからの実践の2本立てで、2年間という短い間によくここまでやったと本当に感心しました。
 
 続いて産業医でヒューマンハピネス(株)代表の上谷実礼先生による「アドラー心理学を産業保健の現場で活かす~『患者』ではなく『社員』との関わりにおいて~」。
 先生の口調は切れ味とテンポがよく、気持ちよく話が聞けました。産業保健の歴史と現状を教えていただきました。
 
 そもそも臨床家、アドラーの出発はサーカスの軽業師の相談や、仕立て屋の衛生環境に関するものだったので、産業保健のさきがけの一人だったのです。そういう意味ではアドラー心理学の原点回帰を味わいました。
 
 特に働く人のメンタルヘルスにかかわることの多い私としては、産業医とは何か、どういうことをするのかを明確に知ることができたのが良かったです。意外と知っているようで知らないところでした。
 
 とにかく中身の濃い一日でした。
 
 この研究会はもう7回も大会を重ねてきたわけで、仲間とゆるやかで穏やかに、地道な活動を続けてきましたが、大分定着した感があります。
 ここも日本のアドラー心理学の拠点の一つとなってきたと思いました。
 
2017226

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February 22, 2017

共同体感覚の使い方

 遅ればせながら先週のドラマ『嫌われる勇気』を観ましたが、こちらも慣れたのもありますが、全体になじみやすい感じで、これなら多くの人が受け入れやすいんじゃないかと思いました。やはり色恋っぽいのが入ると、これまでの堅い感じから俄然雰囲気が変わりますね。
 
 私も庵堂蘭子みたいなツンデレ女子が好きです。
 
 ドラマの完成は日本アドラー心理学会の抗議の前だろうから、こういう流れのつもりだったんでしょう。やはり早まったんじゃないかな。まあ、気に入らない人は最後まで気に入らないでしょうけど。
 
 フジテレビは「このままいく」と決めたみたいだから、それでいいと思います。一応「参考にします」とはして、何らかの「色」を付けるかもしれませんが。岸見先生たちと対応を話し合ったのだろうか。
 
 ちなみに、先日なんとある週刊誌からこの件について私に取材依頼がありましたよ。ただ、最近はいろいろなニュースがあるので、紙面構成が変わったとかで流れましたが。ちょっとホッとした。世間はいくらか注目しているのですね。
 
 共同体感覚は、私の理解では、相手と関わる時の「作業仮説」みたいなもので、これを使うことで相手と仲良くなったり、信頼関係を築いたり、援助しやすくなるためのもの、相手からするとこれをきっかけに成長するためのものであり、けして他者を判定したり責めるためのものではありません。
 そもそもそれができるだけのきっちりした概念ではないのです。
 
 わたしが、庵堂蘭子に共同体感覚はあるか、で軽く示したように、ちょっと考えても全く違うアドラー心理学的解釈ができるのだから、共同体感覚を批判の根拠にしたとしたなら脆弱そのものです。
 
 だから、気に入らない人たちは内輪で文句を言い合っているか、SNSで「いかがなものか」と騒いでいればよかったのですよ。発言はもちろん自由ですから。私もそのつもりで好きなことを言っています。
 
 

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February 20, 2017

日本臨床・教育アドラー心理学研究会第7回大会間近!

 アドラー心理学がいろいろな意味で注目を集めている今、改めて学び合う貴重な機会です。もう今週末に迫ってきました。
 
 今回は諸富祥彦先生によるフランクル心理学とアドラー心理学の講演があり、ある意味原点回帰的な内容になるかもしれません。先生の講義は抜群に面白いと思います。
 
 当日いきなり来ていただいても大丈夫だと思いますが、ランチセッションの注文の関係もあるので、できれば事前申し込みをお願いします。
 
 会場で会いましょう。
 
(コクチーズから引用)
 
「日本臨床・教育アドラー心理学研究会」は春に研究会、秋に研修会を開催し、今回で研究会は6年目を迎えました。
 午前は、明治大学の諸富先生からアドラーとフランクルの幸福論についてご講演をいただきます。昼食を摂りながらの懇親会をはさんで、小学校の教育現場から岩下先生による実践的研究をうかがい、続いて、産業の現場から上谷先生によるアドラー心理学の実践を発表していただきます。盛りだくさんのアドラーの一日をお楽しみください。
                 鈴木義也(東洋学園大学)
                 会沢信彦(文教大学)
                 深沢孝之(心理臨床オフィス・ルーエ)



1.日 時
  2017年2月26日(日) 10:00~16:00

2.場 所
  文教大学越谷校舎 12号館1階 12101教室
           学生食堂2階(ランチセッション)
           (東武スカイツリーライン「北越谷」駅下車徒歩12分)

3.参加費
  予約参加(2/19(日)まで、こくちーずまたはFAXによる申込) 4,000円
  当日参加(2/20(月)以降の申込および当日) 5,000円
   いずれも当日会場で支払。ランチセッションの昼食代も含みます。途中参加や早退可能。

4.内 容
  10:00  開会挨拶
         講演「アドラー心理学とフランクル心理学にみる幸福の極意」
         (明治大学教授 諸富祥彦 氏)
  12:00  ランチセッション(昼食を取りながらの懇親会。昼食代は参加費に含まれます。)        
  13:30  研究報告「アドラー心理学との出会い──勇気づけで変わった子どもたちとの関わり」
         (山梨県甲州市立松里小学校 岩下和子 氏)
  14:40  事例検討「アドラー心理学を産業保健の現場で活かす
                 ──『患者』ではなく『社員』との関わりにおいて」
         (ヒューマンハピネス株式会社代表取締役、
                    千葉大学非常勤講師、医学博士 上谷実礼 氏)
  16:00  閉会

5.参加資格
  教育あるいは対人援助に携わる専門職の方、もしくはその分野の学生。

6.申込方法
  このサイトからお申込みください。
  FAXでの申込みも受け付けます。
  申込専用FAX 03-5256-0538
  当日参加も可能です。

7.問合先
  文教大学教育学部心理教育課程 会沢 信彦
  〒343-8511 埼玉県越谷市南荻島3337
  TEL 048-974-8811  FAX 048-974-8877
  E-mail aizawa@koshigaya.bunkyo.ac.jp 
  日本臨床・教育アドラー心理学研究会HP  http://adlerian.jimdo.com
  ※ 学校心理士の方は更新ポイントB研修会(B-16-193)となります

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February 18, 2017

どんなキャラならいいかな?

 ドラマ『嫌われる勇気』(フジテレビ)の庵堂蘭子は、そのぶっきらぼうなキャラで大分損をしているような気がします。
 
 今回日本アドラー心理学会が下らない抗議をしているようですが、あのキャラでなければどうだったのかという気がしています。
 
 真面目で融通が利かず、こだわりが強く、字義通りに物事をとらえ、世間一般でいう意味のスムーズな対人関係に気を遣わず、空気を読まない。
 
 もう診断がつきそうですね。
 
 ここでごまかしてもしょうがないから、彼女は自閉スペクトラム症の諸特徴を持つ人といって差し支えないでしょう。
 
 私は元々テレビドラマはあまり見ないし、作劇のことは全然知らないので、印象でしかありませんが、最近のドラマの主人公にはこのタイプの人が増えている気がするけどどうでしょうか。
 最近のそういうタイプというと『逃げ恥じ』の星野源が演じた津崎平匡さんでしょうね。
 もし庵堂蘭子みたいじゃなくて彼だったら、「かわいい!」とうるさ型のおばさんアドレリアンたちも手を緩めたかもしれません。
 
 あるいは『ガリレオ』の福山雅治が演じた湯川学博士(だっけ?)だったら、学会の全面的なバックアップがあったかも。
 
 登場人物の構成についていうと、原作の『嫌われる勇気』は終始、哲人と青年の対話でした。二者関係ですね。
 
 実は、他のアドラー心理学本も、ストーリー仕立てにしているもの、マンガになっているものはほとんどが基本は二者関係です。いろいろな壁にぶち当たって悩む主人公が、なぜかアドラー心理学にやたら詳しい人(アドラーの霊はもちろん詳しいですが、塾経営者だったり、大学教授だったり、喫茶店のマスターだったりします)から教えを授けられて成長する話になっています。もちろんほかにも登場人物がいても、あくまで主人公に課題を与えるだけの副次的な存在です。
 日本のアドラー心理学初期に出た野田先生の『トーキングセミナー』(最近再版された)も先生本人と編集者の対話型でした。理論や知識を伝えるにはやりやすい構成なんでしょう。
 
 しかし、この形式は学習漫画とか自己啓発書だと成り立ちますが、ドラマだと動きがなくなってしまい、ひどく退屈なものになるかもしれません。
 きっと文部科学省辺りから出る教材ビデオみたいに、くそおもしろくないものになってしまうでしょうね。 
 
 そこで、制作陣は、「アドラー心理学の達人」を庵堂蘭子と十文字教授に分裂させて、アドラー心理学そのものをキャラクター化させたのが庵堂蘭子、その説明役を十文字教授とし、過去に何らかの関係性があったことをにおわせる謎も与えて、青山年雄(加藤シゲアキ)との3者関係にして、物語を動かそうとしたのかもしれません。私の勝手な思い込みですが。
 
 数学の三体問題じゃないですが、3つ組の構造は物語に限らず、何事も物事が動き出す基本と聞いたことがあります。
 
 なかなか苦労や工夫の跡が見られます。

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February 15, 2017

庵堂蘭子に共同体感覚はあるか

 前記事は、ちょっとカッコつけて論文調にしてみました。けっこういいこと言っていると思うんだけどな。
 
 私は別に日本アドラー心理学会にケンカを売っているわけではないですよ。抗議文も全然関心ないから読んでいないし。論争する気もない。
 ただ、自分が楽しんでいたところへ、とんでもない邪魔をされてムカついているだけです。しかも広い意味でのアドラー仲間にやられるとはね(確かに仲が良いとは言えないけど)。余計頭にくるし、残念です。
 
 それにしても、ドラマ『嫌われる勇気』に庵堂蘭子という架空の人物が登場したことによって、「あれはアドラー心理学か」「正しいアドラー心理学か」という議論が気軽にできるようになったのはよいことです。
 
 実在の人物に対してそれをしたら、単なる人格攻撃、誹謗中傷にしかならず、ひどい勇気くじきになってしまいますからね。そういうことをする人は「偽アドラー」と呼ばれるべきだよね。
 ここは「認知論」のトレーニングとしてこの教材を使おう
 
 ネットを見ると庵堂蘭子は、「アドラー心理学の思想とかけ離れている!」という声が散見されました。言っているのはどういう人かよくわからないけど、熱心に学んでいる人、「信者」っぽい感じではありました。
 
 そのアドラー心理学の思想って、「共同体感覚」のことみたいです。庵堂蘭子の行動をあれこれコメントしているようです。多分日本アドラー心理学会に限らず、私に近い人たちも同様の感想をいだいた人はいるんじゃないかな。
 
 でも私には、庵堂蘭子にそれがないとは全然思えないけど。
 
 果たして、庵堂蘭子は、共同体感覚が欠けていると判定していいのか。
 ナチュラル・ボーン・アドラーということですから、これは重大な問題ですね。
 でもこれに決着をつけるのはそう簡単な話じゃないと思います。
 
「共同体感覚とは何か」、そして、「人は他者の共同体感覚を判定できるのか?」という根源的問題になるからです。
 
 確かに、彼女が100%共同体感覚を体現しているか、と問われるとそうではないでしょう。でもそれは誰でもそうなはずです。
 
 そもそも共同体感覚がある状態って何だ?という疑問がわいてきて、あんな多義的な概念、誰も共通のイメージができていないじゃないのか。それをどうして「共同体感覚が欠けている」と言えるのだろうか。
 
 共同体感覚のよくある表現は「他者の関心に対する関心」であり「共同体への所属感、貢献感などなど(論者によっていくつかあります)の総称」といったところですが、あくまでその人の主観世界のことです。だから、原理的に客観的に判定できるわけがない。
 
 だからドラマのキャラクターを見て、判断できるわけはない。
 でも、みんな勝手にやっているわけだ。
 それで勝手に怒ってクレームつけている人がいるわけだ。
 
 でもそこを批判してもしょうがないし、面白そうだから、私もちょっと考えてみよう。
 
 共同体感覚は主観世界の現象である。つまりその人がどう思っているかが、最も重要なはずである。
 
 しかし主観世界は見えないので、外から観察するしかないけど、庵堂蘭子は無表情なのでわからん(笑)。
 
 そこで、客観的に判定できるものとして「共同体感覚尺度」というものがあります!
 和光大学の高坂先生や友人の橋口先生や早稲田大学の向後先生のお弟子さんが作ってくれた、統計学的に妥当性が確認された立派なものがあるのです。 もしこれを庵堂蘭子がやってくれたとしたら…
 
 例えば、いつも自信満々だから「自己受容」は高いだろう。職場である警察にちゃんと通っているし、反社会的な価値観も特にないみたいだから「所属感」もそこそこありそうだ。天才的な直観力とアドラー心理学で鍛えた思考力で見事に事件を解決し犯人を逮捕するから「貢献感」だって無表情だけど別に謙遜していないからあるだろう。合計すると…
 
「共同体感覚は高い」という結果になるのでないか。
 
 つまり、庵堂蘭子は共同体感覚が高い。
 
 本来、これで終わりでいいはずだ。ご本人の反応を尊重して。
 
 あと何か文句があるとしたら、細かいところの彼女の行動だろうか。
 
 よくわからないけど、そこに日本アドラー心理学会はいちゃもんをつけて、他のアドラー仲間たちも不満で、「欠けている」と言っているのかもしれない。職場での非協力的態度や愛想のないぶっきらぼうな姿勢を責めているのだろうか。
 しかし、それは共同体感覚なんて大げさな言葉でなくて、協調性(日本人的な)が少々足りない、ぐらいでいいのではないか。実際彼女は対人関係を避けているわけではない。捜査会議にも出ているし、必要なら鑑識に自ら頼みに行くし、こういうの対人関係に入る勇気があるって言うんじゃなかったっけ。
 
 最後に私は臨床家として、庵堂蘭子の内面にアプローチし、推測してみたい。
 
 さっきの共同体感覚尺度は科学主義、客観主義であるが、ここでは構成主義である。つまり相手と二人での対話で協同することにより、共同体感覚が現象するように関わるのだ。ただ、残念ながら庵堂蘭子と面談できないので、その前の段階として、こちらの姿勢を明確にしておくことで推測の土台を作る。
 
 その際必要なのは「共同体感覚があるかないか」「欠けているか」ではなくて、「この人は共同体感覚がどのくらいあるか」「どこでどのように発揮されているか」という問いであろう。
 
 これは仕事がら、非行少年や犯罪者、依存症者、精神障害者、発達障害者にたくさん接し、援助してきた経験から私が日ごろ思っていることだ。
 
「この人は共同体感覚がある!」とまず決め打ちするのだ。
 
 そしてどのようにそれが発揮されているか、強いところは、弱いところはどこかを観察し、推測し、クライエントへ向かい合うのである。
 
 庵堂蘭子は、先にも言ったように、警察組織に所属し、職務分掌の中で仲間と協力し合い、犯罪捜査の使命を立派に果たしている。係長と違って特に出世欲が感じられず、自分の関心で動くことは少なそうだ。
 
 確かにコンビの加藤シゲアキ演じる青山年雄君を無視する行動をよくとっているが、目先の人間関係より組織の目標、使命を果たすことにエネルギーを注いでいるように見える。彼女の関心はより広いところにあるといえる。一般に共同体感覚は広がっていく。彼女のそれは少なくとも日本社会レベルにはあると推測される。
 そして課題の分離や目的論に沿って犯人の心理をバサッと切っていて、伝え方は個性的だがその判断自体は的確で、相手の関心に関心がなければできることではない。
 
 したがって結論としては、「なかなかいいんじゃない。共同体感覚、あるよ君」というところだろう。
 
 そして庵堂蘭子への支援のポイントとしては、
「職場の仲間と、交友のタスクとして、もっとうまく関わろうか」という提案だろうか。
 
 まあ、彼女は、
「けっこうです」
 と言うだろうけど。
 
 という感じです。どうですか。
 こちらの視点や姿勢を変えるとまるで解釈が違ってきますね。
 
 結局ネットやみんなの反応を見る限り、「私の好みの共同体感覚」から批判しているだけの気がする。ここが「正しく実践」の人たちの陥りやすい陥穽ではないかと今回思いました。自分のやり方に関心があるので、ちゃんと見ていないし、考えていない。
 
 ここはアドラーの言う「相手の目で見、相手の耳で聴き・・・」の言葉を思い出そう。たとえテレビドラマでも油断しちゃダメだぞ。
 
 こう考えると、共同体感覚の有無を批判、抗議の根拠にするのは薄弱極まりないわけです。
 アドラー仲間の友人として言いたくなるのは、やっぱり日本アドラー心理学会は間違ったんじゃないかな。謝るなら今のうちだよ。
 
 ほら、勇気を出して。

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