November 26, 2009

SMILE開催!

 最近私は風邪気味でイマイチの体調ですが、アドラー仲間は絶好調です。

 アドラー心理学をベースにしたセミナーSMILEが開かれます。

 SMILE(Seminar of Mother(Father)-child Interaction with Love and Encouragement)は「愛と勇気づけの親子関係セミナー」という意味です。6~20名ほどの少人数グループで、テキスト輪読とディスカッションと実習で構成されています。

 親子関係のみならず、あらゆる対人関係に応用できます。

 第1章「子どもの行動を理解しよう」
 第2章「聴き上手になろう」
 第3章「子どもを勇気づけよう」
 第4章「誰の課題でしょう」
 第5章「子どもを傷つけないで意思を伝えよう」
 第6章「体験を通じて学ぶ機会を与える」
 第7章「新しい家族のあり方」
 第8章「社会性のある子どもに育てよう」

 という内容です。
 今回は、

 11月29日、12月13日、平成22年1月10日、1月24日(いずれも日曜日)
 時間は、午前10時から午後3時まで。
 場所は、木の国サイト情報館研修室(山梨県南アルプス市上今諏訪850-1)

 リーダーは、芦澤千秋さん。SMILE開催は初挑戦です。
  連絡先:0551-35-9191、serendic@voice.ocn.ne.jp

 私もアドラー心理学学びたての若い頃これを受けたことで、とても対人関係がスムーズになって、生きるのが楽になり、その後の道が開けました。

 是非、お勧めしますよ。

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November 09, 2009

アドラー心理学Q&A・5

Q.アドラー心理学は実践の学だが、厳密な学問としては、構成概念としての諸概念がきちんと定義されていない、十分に整理されていないように思われる。

A.劣等感や目的、勇気、共同体感覚などの諸概念は、もちろんいわゆる構成概念であり、何か手に触れられるような「実体」を指し示すものではない。説明のため、実践のために論理的に一貫して使えればよいと考えるものである。

 一方で、私は単なる構成概念であることを常に意識しているつもりだが、実践していく上には諸概念があたかも実体であるかのような実感、臨場感を持つことは必要であろう。
 そこでは「勇気がある/ない」「共同体感覚がある/ない」と言い合っても、あながち間違ってはいないと思う。
 数学者にはそれよりはるかに抽象度の高い数学的概念を、臨場感を持ってありありと感じる人がいる、例えば「虚数は存在する」などととまで言う人もいるらしい。それくらいでないと本物ではないのかもしれない。それに比べれば臨床心理なんてかわいいものだ。

 アドラー心理学の構成概念のほとんどは、操作的に定義されていないのも事実で、その点ではオーソドックスな研究者には問題に見えるかもしれない。

 ただ、私から見ると他の心理臨床学の学派に比べて、ことさらアドラー心理学の概念が曖昧であるようには見えない。自我やリビドー、転移、無意識などの精神分析学の概念よりよほどクリアーだし、共感や愛着、トラウマより扱いやすくできていると思う。

 さらに目的論や主体性、人間関係論、認知論といったアドラー心理学の諸前提が、一種の公理となって緊密に結び付き合っていて、ほとんど矛盾のない理論体系を作り上げている。
 その完成度が高すぎて、アドラー心理学はかえって外からは進歩がないように見える、あるいはブラックボックスみたいで近寄りがたいという印象を与えているような気がしてならない。

 逆に精神分析学は曖昧で矛盾が多すぎて、それを歴代の研究者が処理することが「学問的進歩」とされてきた歴史ではないか、とも感じる。

 アドラー心理学の諸概念が操作的に定義できるかどうかは疑問だが、例えばアメリカには共同体感覚を測定する質問紙も開発されているようで、そういうところではそういう試みがなされているのかもしれない。調べてみたい。

 私としては、いわゆるアカデミックな厳密な研究のパラダイムに乗らないところ、必ずしもエビデンス・ベースドにはできないところも、しっかりと思考と実践の対象にしようとしているのがアドラー心理学であると考えたい。

 人は数値やエビデンスのみでは動かない。エピソードによって動くのだ。

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October 28, 2009

アドラー心理学Q&A・4

Q.アドラー心理学がおそらく効果的なのは、ブリーフセラピーや認知療法など類似のアプローチが効果的なのと同様に確かなのだろう。しかし、そのエビデンスは実際どうなのだろうか?

A.アドラー心理学は、数々の無視と迫害(被害妄想?)にもめげず、100年生き残ってきて、多くの領域の実践者から良い評価を常に得てきた。
 その間、理論的、技法的に似ているアプローチがよりシンプルに、対象や目的を絞った形で、科学的に厳密な方法をひっさげて登場するに至り、21世紀の臨床心理学は、アドラー自身が予言したとおり、ほとんどが「アドラー心理学化」することは明らかになったと私は見ている。
 その意味でアドラー心理学に関する歴史的、経験的なエビデンスは確固たるものがあるといえる。

 20世紀の臨床心理学において、精神分析学と行動科学が表の番長なら、アドラー心理学は裏番長であったと半分冗談で私は思う。

 しかし、逆に「アドラー心理学固有のエビデンスはあるのか」、と問われるとそれを明確に出すのはなかなか難しいのは認めざるを得ない。これまでのアドラー派の力不足か、今のエビデンスの評価基準に合うようにうまく取り出せないままになってしまっているようにも見える。

 これは誠に重要な問題であり、今後の研究に委ねたい。

 いや、私が知らないだけかもしれない。
 これまで日本にはアドラー派の臨床向けの文献があまりにも少ないため、最近は北米アドラー心理学会の学会誌を取り寄せて見るようになったが、なかなか面白い研究や論文が多い。
 日本にはまだ知られていないアドラー心理学の側面がたくさんあるようだ。

 今後面白そうな情報は、本ブログでも紹介していきたい。

 しかし、いわゆるエビデンス・ベースド・アプローチは精神医療のクリニックや外来といった狭い枠組みの中で適用しやすいパラダイムであり、勇気づけといった日常生活の何気ない細かいやり取りや、共同体感覚の育成といった人間的成長の長いタイムスパンの両方に焦点を当てているアドラー心理学には向いていないともいえる。

 私のホームであった児童相談所臨床も、閉じられた空間が作れる精神科臨床と違って様々な職種が同時並行的に複雑に関わるため、単一の因果関係で語ることはあまり意味がないのと同様の状況である(両方を経験した私はそう思う)。

 またアドラー心理学は全体論の立場を常に意識しているため、技法固有の効果というものは意味がないと考えているのかもしれない。

 アメリカにおける効果的な心理療法の要因研究の結果では、技法が占めるのは15%に過ぎず、治療室外の出来事の影響を意味する治療外要因は40%、クライエントとのラポールや治療同盟という関係要因は30%、期待や希望・プラセボ要因が15%程度といわれる。

 アドラー心理学が効果的なのは、技法は折衷的でかなり多く相手によって使いこなし(技法要因の向上)、「横の関係、相互尊敬・相互信頼、目標の一致」で治療同盟を徹底して作り(関係要因の向上)、勇気づけで「希望を処方」し(期待要因の向上)、日常生活の実践を重視する(治療外要因の利用)のだから、全ての効果的になる要因を踏まえているので「効く」のは当たり前といえる。

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October 19, 2009

アドラー心理学Q&A・3

Q.アドラー心理学は、論理情動行動療法、認知療法、ブリーフセラピーなど最近のほとんどの心理療法の学派に影響を与えている。アドラー心理学がそれらの元になっているのはよくわかるが、あえていえばたとえそれがルーツであっても、今はそのように各学派が発展しているのだから、わざわざアドラー心理学を使わずに心理現象を説明しても良いのではないか?

A.もちろん、他の理論でうまく説明でき、実践もうまくいくならアドラー心理学を使わなくてもかまわないと思う。
 私もブリーフセラピーや家族療法、認知療法はよく使うし、参照することが多い。本ブログ以外の現場では、人前でアドラーを連呼したりはせず、論争もけして挑まず、相手に合った言葉を使っている。
 ほんとはとても折衷的な人間なのだ。

 しかし、逆にいえば、同じように心が説明できるなら、アドラー心理学を使ったってよいではないかとも思う。
 そこは卑屈になる必要はこちらにはない。

 私は学者でも研究者でもないが、確か学問では、自説に影響を与えた先人や引用元があるときはそれを明示することが最も大切だったはずであるが、アドラー心理学に関してはエレンベルガーが「無意識の発見」で述べたように、「誰もが無断で剽窃していく」が如きなので、少なくとも我々「後継者」を自認する者は、言うべきことは言った方がよいだろう。

 最近は認知行動療法を臨床心理学のグローバル・スタンダードとする流れが世界中で優勢になっているが、それはそれでよいことだと思う。アドラー心理学と実践上の相性もよいので、私はその流れに乗るつもりだ。

 ただたとえ、似たようなところがあっても、単一のアプローチ、発想ではカバーしきれないもの、表現しきれないものはあり、重点の置きどころの違いで、心理臨床家の側の物語は違ってくると思われる。

 精神分析学は、人はいかに病気かを描写したいというニーズに応えるものだった。

 ブリーフセラピーは、臨床家が面接がもっとうまくなりたい、治療の達人になりたいという切実なニーズに応えようとするものだった。

 認知(行動)療法は、ある特定の精神疾患を確実に治したいというニーズに応えようとするものだった。

 ではアドラー心理学はどうか?
 それはなんと、つまるところ、「人類を幸福にしたい」「地球の平和を守りたい」というウルトラマンみたいな、誇大妄想というか気宇壮大なものなのである。
 共同体感覚なんてまさにそう。
「そんなの心理学か!科学か!」とお怒りになる向きもあるかと思うが、でも結局全ての学問の目的はそこにあるはずなので、それを真正直に言っただけであり、反論はできないはずだ。

 ただ、それを政治経済のレベルではなく、また妄想的に文学的に語るのでもなく、個々の日常生活のレベルで楽しく実践できるように考えようというのがアドラー心理学であると思う。

 私から見れば、そういった思いの心理臨床領域での具体的発現がブリーフセラピーであったり、認知療法であるように見えるのである。

 しかしだからといって、別に常に正しくあれとか、人々に尽くせとか、間違いを犯すなと道徳的に言っているわけではなく、聖人君子を目指しているわけでもないことは、あえて指摘しておきたい。

 アドラー心理学の実践では、気楽で楽しく、ユーモアに満ちたものを目指したいのである。

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October 18, 2009

講座を2つ

 シリーズものが続いていますが、ちょっと告知を。

「子どもの発達と病理」セミナー
   10月24日(土)13:30~18:30
(内容)
 幼児期から思春期に至る子どもの心理を病理的な側面も加味してしっかり学びます。

「アドラー心理学を子ども臨床に生かす」セミナー
   10月25日(日)10:30~16:30
(内容)
 講師の児童相談所での体験を元に、アドラー心理学をベースに他の臨床の動向も知りながら、自信を持って活動に向かえるようになることを目的として開催します。

 講師はな、な、なんと私が務めます。

 場所、申し込みはヒューマン・ギルド

 一日目は発達障害や虐待、二日目は心理アセスメントについて、ごく基本的なことですが、子どもの問題を扱ったり支援するには知っておいた方がよいことを改めて取り上げて、参加者と確認し合い、お互いのスキルアップを目指したいと思っています。

 関心のある方は是非、お申し込み下さい。

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October 14, 2009

アドラー心理学Q&A・2

 引き続き、Q&Aです。思ってることを書き散らしていきますよ。

Q.アドラー心理学が共同体感覚を大事にしているのはわかるが、現代社会は共同体が壊れていくプロセスにあるともいえる。そういう中にいることを好む人も世には少なからずいるはずで、そういう人たちにどのように応えていくのか?
 また資本主義社会は数値や売り上げが第一で、そのような世界でアドラー心理学は本当に通用するのだろうか?

A.確かに資本主義経済の社会は共同体を破壊する方向で進んできた。一家に一台車があるより、家族4人全員が持てば、4倍の売り上げになるのは当然の論理である。そのために共同体より個を重視するのは必然の流れであった。

 私自身も田舎育ちだが、必ずしも農村共同体の規範や人付き合いが好きというわけではない。都会的な個の感覚を居心地良く感じる一人でもある。
 しかし、このままで良いのかという危機感は持っている。

 共同体より孤立した個を好む人がいても、「心の治療」とはつまるところ何らかの「つながりの回復」のことに他ならないので、その人がアドラー心理学がお好みでなくてもかまわない。
 アドラーのアの字も使わなくても、効果的な心理治療はすべて、共同体感覚的なものを回復させているはずだからである。
 その人のお好みのアプローチを採用すればよいだけであろう。

 実際今の社会状況はアメリカ型資本主義が崩壊の道を辿っているといえるかもしれず、既に共同体の問い直し、回帰が起こる兆しが方々に出ている。
 今後、アドラー心理学の共同体感覚という発想がさらに重要になってくる可能性は高いと思われる。

 その際は、既存の共同体に適応することが共同体感覚の獲得とは限らないことに留意する必要がある。
 未だ現れていない共同体を模索すること、なければ創造し、自分に合ったところを主体的に選択することが大切な発想となろう。

 また、そのような未来のことではなく、現行の社会の中でも、実践者の数こそまだ少ないがアドラー心理学の「威力」は既に発揮されている。

 私の師匠の岩井俊憲氏は企業研修・経営コンサルタントのプロであり、アドラー心理学を使って激しい競争の研修業界で何十年も生き抜いているし、実際多くの企業や団体が助けを求め、エネルギーをそこから得ている。

 逆にいえば経営者や管理的立場にいる人は、売り上げや数値だけでは人も企業も育たないことを直感的に理解しているのかもしれず、アドラー心理学的なものを求めているのかもしれない。

 実際大前研一氏のような「アドラー贔屓」をはっきり言明している人もいる。

 企業だけでなく、さらに結果重視のはっきりしたトップスポーツの世界でも、アメリカのアドラー心理学大学院で学んだ平本相武氏が選手たちにコーチングをしてめざましい成果を上げている(柔道金メダルの石井慧選手や早大ラグビー部中竹監督など多数)。

 適切な例えかわからないが、社会を戦場に見立てれば(やはりそういう面は否定できない)、教育は優秀は兵士を育てる場、臨床は負傷兵や帰還兵をケアする場であり、企業研修やコーチングは戦場に出向いて現役兵士に戦い方を教える場ともいえる。

 それら人間社会の全ての領域にアドラー心理学をバックした実践が役に立つ可能性が高いことは、もっと注目されてもよいと考えている。

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October 10, 2009

アドラー心理学Q&A

 秋の学会自主シンポジウムのレポートが終わったところで、その討論の時に出た質問に対する私なりの考えをしばらくここに述べたいと思います。
 教育、心理臨床両学会共、とても活発に質問が出されて議論が行われ、改めてとてもありがたかったと感じています。
 しかし、限られた時間の中で、私に向けられたものに十分に考えて答えることができなかったり、どうしても言葉足らずのところがあったので、改めて検討してみたい気持ちがあります。

 ここにあげる質問内容は、指定討論者の先生やフロアの先生がお出しになったものを、私の記憶で再構成したもので、それに対する答えも他の先生がおっしゃったものもありますが、私が同意したものとして私の理解を通して載せますので、誰が言ったとかではなく、全て私の自問自答的なものとして書かせていただきます。

 アドラー心理学の課題や将来について、議論のネタの一つになればいいと思っています。

Q.アドラー心理学では未来の目的論から考えるということだが、例えばADHDは器質的な問題といういわば「過去に生じた原因」が想定されている。アドラー心理学ではこのような問題にどのように考えているのか?
 一般の心理学の原因論とアドラー心理学の目的論を表裏のようにして統合させて説明することはできないか?

A.アドラー心理学でも器質的な影響があることを受け入れている。むしろ、歴史的に全てを「内面の問題」「親子関係の問題」など心や対人関係に原因を帰そうとしていた臨床心理学とは最初から一線を画していた。

「全体論」「器官劣等性」という基本前提や概念が、そういう器質や身体性の次元の重要性を持つことにつながっているのだろう。
 しかし、その器質的な特徴を持っているからといって成長して機械的にその子がADHDになるとは、アドラー心理学ではけして考えてはいない。

 大事なのは、そういう器質に対して、その人がどのように態度決定をしたか、その主体的決断(意識的にせよ無意識的にせよ)があると措定して「信じて」いるのがアドラー心理学である。
 これを「ソフト・ディターミニズム(柔らかい決定論)」と呼ぶ人もいる。

 初期のアドラー心理学では「劣等感の補償」と呼ぶ現象である。

 あるいは多動性や衝動性として現れる自分の体の特質という「ライフタスク」の問いかけにどう応えるかという問題といえるかもしれない。

 その主体的態度決定の結果、ネガティブな行動がなされると、診断的カテゴリーではその子がADHDと診断されることになったりするのだろう。
 アドラー心理学のライフスタイル類型でいうと、ADHD的な人全てが「エキサイトメント・シーカー(興奮を求める人)」になるわけではなく、「ドライバー(一位を目指す人)」や「ベイビー(依存的な人)」にもなり得るし、選択の可能性は限りなくあるといえる。

 したがって、生物学的原因論とアドラー心理学的原因論は質問にあるように、「個人の主体性・創造性」を起点にすれば、表裏のように統合することは可能であると思われる。

 この点で、最近の臨床心理学のアセスメント論では「生物心理社会モデル」を採用して人の心の問題や症状を説明しようという考え方が優勢であり、アドラー心理学とほとんど重なるものである。
 ただ、そこに「未来志向性・目的・目標の最重要性」は取り入れられておらず、それぞれの領域の所見をただ図式的な構造としてつなげているだけであるように見える。

 それは認知行動療法のような最新のモデルは、あくまで近代科学的因果論に基づいているが、アドラー心理学はあくまで現象学的、個人の主観的な視点を中心においているためと思われる。

 しかし、ただいまブレイク中の脳機能学者・苫米地英人氏の主張では、最新の認知科学や哲学でも「目標の最重要性」「時間は未来から現在、過去へ流れている」という考えが説かれているそうで、確認はしていないがそうであるなら、もしかしたらここでもアドラー心理学の視点は今でも世界を先取りしているといえるのかもしれない。

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October 05, 2009

心理臨床学会アドラー自主シンポ・3

 アドラー心理学に関する学会自主シンポのレポートについては以上ですが、今回この企画を打ったことで、思わぬ出会いがありました。

 我々以外にアドラー心理学を研究している人たちがいて今回登場していたのです。
 何たる偶然、いやシンクロニシティーか?

 今回の心理臨床学会のポスターセッション(壁新聞のようにボードに研究結果をまとめた紙を貼って、来場者に見てもらい、ディスカッションしたり情報交換するもの)で、勇気づけについての研究を発表している方がいたのです。

 浅井健史先生(立教大学)、箕口雅博先生(立教大学)のお二方。

 自主シンポの会場に聞きに来てくれ、終了後に挨拶して下さいました。

 何でも箕口先生はコミュニティ心理学の大家らしいですね。やはりシンポに来てくれた知人が先生の講座を受けたことがあるらしく、教えてくれました。
 そんな方がアドラー心理学に興味を持っていたとは。
 でも確かにアドラー心理学の視点は、明らかにコミュニティー心理学に通じるものがあります。しっかりと注目してくれていたのはさすがだと思いました。

 先生たちが今回発表したのは

「「勇気づけ」が生じるプロセスの研究-生活場面における「勇気づけられた経験」の回想から」

 勇気づけとは実際どのような体験のことをいうのか、どのようなコミュニケーションのことであるのか、質的研究法(ここではKJ法を使用していました)で明らかにしようとしていました。
 研究の目的や意義として、いただいた資料には、

①アドラー心理学における勇気づけ概念の精緻化と実践の質的向上につながる。
②メンタルヘルス専門家が勇気づけという事象を深く理解することで、関わりのバリエーション拡大したり、有効性を高めるための基礎資料となる。
③教育・育児をはじめ、さまざまな場面におけるコミュニティ成員間の相互援助を促進したり、効果的な心理教育を行うための基礎資料となる。

 とあり、その結果は「1勇気づけのもたらす関わりの態様。2勇気づけのプロセスに関するモデルの生成」にまとめられていまいた。

 とても理解しやすく、これから私が勇気づけについて考えたり、説明するときに是非参考にしたいと思います。

 今回の自主シンポジウムで学んだことは、やはり何か動いてみて、やってみれば、意外な広がりが生じるものだ、ということです。

 細々やってきた私たち自身も勇気づけられました。

 浅井、箕口両先生、ありがとうございました。

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October 03, 2009

心理臨床学会アドラー自主シンポ・2

 3人目は私の番で、「児童福祉臨床におけるアドラー心理学の活用」で、内容は前日の教育心理学会とほぼ同じでしたが、アドラー心理学の概論の部分はなくて、もっぱら子どもの臨床に技法面から語ることにしました。
 アドラー自身も子どもの教育、臨床に関心が深く、その後継者たちも同様の志向性を持っている人が多かったので、アドラー心理学100年の歴史の中で、子どもや家族へのアプローチには大変洗練されたものがあります。

 その一部として、ライフスタイルアセスメントや「不適切な行動の4つの目的」などを簡単に紹介させていただきました。

 会場には児童相談所にお勤めの児童心理司さんもいらして、終了後関心を持ってくれて挨拶を交わすこともできました。

 そして、最後に八巻秀先生(駒澤大学/やまき心理臨床オフィス)。

 テーマは「臨床思想としてのアドラー心理学」

 この先生も私の兼ねてから尊敬する「臨床の達人」の一人でありました。システム論、家族療法、ブリーフセラピーがご専門で、実は私が初めて催眠を学んだのは、何年も前のこの先生の講習会ででした(催眠医学心理学会にて)。だから私にとっては「催眠の師」になります。

 八巻先生のことを私は長年ブリーフや催眠の大家だとばかり思っていて、とてもお近づきになれる立場ではないと感じていました。しかし、実はアドラー心理学にお若い頃から深い関心をお持ちだったことをつい昨年知ったのです。
 そして今回のご登場。
 まさかアドラーでご一緒するとは、人間の縁というものは、わからないものです。

 始まると、先生は持ち前の熱く面白いトークが炸裂で、聴衆をぐいぐいと引きつけ、爆笑の連続、そして深く納得させてくれるお話でした。まさに前日の赤坂真二先生なみの面白さです。

 先生ご自身は「アドラー派」ではないけど
 「自分はアドラー心理学ストーカーです」
 と笑顔で話され、大学生の頃野田俊作氏が当時紹介していたアドラー心理学に触れて衝撃を受け、ヒューマン・ギルドの基礎講座も受講されたそうです。
 その後自らの臨床の道に邁進されながらも、つい何かの時には気がつくとアドラー心理学に還ってくる思いがするとおっしゃっていました。

 その内容は、ここで書くのはちょっともったいない、というか、がさつな私の要約では味わいがないし、うまく伝わらない。
 是非、いつか先生にはこれを種に、一文をものにして世に問うてほしい、と思いました。

 ごく簡単に私の理解でいうと、我々臨床家が最も大切にすべきなのはアドラー心理学の持っている臨床思想、つまり、カウンセリングやセラピーの究極目標は「共同体感覚の育成」であり、他者への関心と貢献への決心を育てることだという考えです。

 ここ数十年の心理臨床学の技法面の進歩は確かにめざましいものがある、しかるに思想面はどうだろうか、そこに疑問を持たれた先生は、今こそ「臨床思想としてのアドラー心理学の再検討が必要では?」と主張されていました。

 全く同感で、百家争鳴の心理臨床の世界で、アドラー心理学が全ての臨床家に貢献できるところは、まさにそこにあると思います。

 八巻先生のその具体的な活用の仕方としては、
・「目的論」の採用
・「対人関係論」の重視
・「共同体感覚の意識化」
・「アドラーならどう考える?」という問いをすること

 を挙げておられ、実践されてきたそうですが、これこそ私たちが日ごろ心がけなくてはならないことばかりです。
 ストーカーどころか、アドレリアンそのものです。

 私もそうだけど、臨床家はいくつかの顔を持ちます。
 エリクソニアンでアドレリアン、ブリーフセラピストでアドレリアン、そんな人は意外に多いかもしれません。
 実際これまでにも「○○やってて、実はアドラーも好き」という人には何人かお会いしてきました。

 もしかして「フロイディアンでアドラー好き」もいるかもしれない。ただ仲の悪かったご先祖同士だったので、まさか今さらアドラーを名乗るわけにもいかず(特に恩師やスーパーヴァザーとかの手前)、理論や技法面でほぼ同型のブリーフ・セラピーやナラティブ・セラピーを取り入れた人もいるかもしれません。

 それでいいと思います。

 とにかく、また楽しい仲間で、強力な応援団を得た思いがいたしました。

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September 30, 2009

心理臨床学会アドラー自主シンポ

 熱く燃えた静岡大学の後は山梨にとんぼ返りして、荷物を入れ替えて上京、翌日9月21日は東京は有楽町の東京国際フォーラムへ。

 心理臨床学会の自主シンポジウムに出るためです。

 日本最大の会員数を誇り、あの河合隼雄や成瀬悟策ら綺羅星のような著名臨床心理学者たちを擁し、80年代後半から臨床心理士を作り出して日本中に売り出した(ばらまいた?)巨大団体。
 ある意味ここが私のホームのはずですが、なぜかいつもアウェイ感を感じる学会でありました。

 だっていつも独りぼっちなんだもん。

 しかし今は違います。
 確かに少数なれど志を同じくする仲間がいることがわかり、寂しくなんかない!

 そんな実感のできたアドラー自主シンポジウム、今年のテーマは「心理臨床に活かすアドラー心理学-アドラー自主シンポ②」

 去年の筑波でのシンポでは時間と場所にも恵まれず、アドラーをやるのは初めてのこともあって参加者数には苦戦しました。なんと4人!
 そのためにシンポの先生たちとは
「誰も来なかったら、丸くなって雑談でもしていようか」と軽く話していました。
 私から前日の教育心理学会は大成功だったことを報告すると、
「やっぱりアドラーは教育系に強いなあ」
 という感想というか嘆きも漏れてきます。

 しかし、いざ時間になってくると、少しずつ人が入ってきて、始まる頃には狭い会場が満杯に近くなってしまいました。
 結局20人余りが入ったと思われます。去年のことがあったので、小さめの会場を申請したのでしたが、杞憂でした。もっと広くてもよかったか!?

 そして始まりました。

 トップバッターは、北海道札幌からの参加、青沼眞弓先生(デイケアクリニックほっとステーション)による早期回想を使った心理療法の説明。
 アドラー心理学のアセスメントにおける代表的な技法である早期回想の解釈の実際を示してくれました。
 治療の期間、例えば最初と終結頃など、時をおいて再度同じ人から早期回想を取ると、その人の心理的変化に対応して回想の内容、ニュアンスががらっと変わっているのはやはりとても興味深かったです。
 人間の記憶と認知の不思議に感じ入ります。

 記憶、とりわけ早期回想と呼ばれる過去のエピソード記憶は、「過去の事実」ではなくて「今の解釈」の投影なのだということがわかります。

 その持ち前の積極性とスライドの内容から、青沼先生は当日の打ち合わせでいきなりトップバッターに決まって、しかも「予想」と違って満員の中での発表で内心大変だったと思いますけど、お疲れさまでした。
 おかげさまで良い流れが作れたと思います。

 その後には、本シンポジウムの企画・司会という大役を務めて下さった鈴木義也先生(東洋学園大学)。
 いつも柔らかく優しい雰囲気の先生は、実は私は、内なる志に熱いものを秘めている方のようにお見受けしておりました。何年か前のワークショップで一緒にランチをさせていただいたときに、アドラー心理学の現状と課題について話し合ったことがありました。その際、
「いつか心理臨床学会で、自主シンポをやってみよう」とおっしゃって、(その手があったか!)と驚いた私は即、協力と参加を申し出たのでした。

 その鈴木先生も自らの臨床実践の報告で、「早期回想の使い心地のよさ」がテーマ。
 精神科臨床の面接の中のあらゆる場面で、さりげなく早期回想をクライエントから聞き、そこから深く展開させていく手腕に唸りました。
 ドロップアウトしそうなクライエントに対したときや、面接の中で行き詰まったときなどに、ちょっと軽く寄り道するかのようにこんな風に早期回想を使えるとは。

 ブリーフセラピーのミラクル・クエスチョンなどが代表的だけど、それまでの面接の流れを断つような技法を使うタイミングってけっこう勘というか経験が要るような気がして、つい構えてしまう人が多いようだけど、先生はほんとうに自然な感じで使えているんだな、と感心しました。

 それに比べるとまだまだ私は力業に頼るところがあるな。

 鈴木先生らしい力の抜けた、程良い心地よさを思わず感じる報告でした。

 具体的にどんな風にしたかは、いつかマスターしたらお伝えできるかもしれません。
 しばし、お待ちあれ。

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