RDIの特徴・姿勢
自閉症、発達障害への理解、支援方法は年々進歩して、特別支援教育を中心に広まっています。もう専門家では「母親の育て方が原因だ」などという人はいないだろうし、単純な受容や、好きなように子どもに遊ばせるだけのプレイセラピーでは絶対良くならないことも周知のこととなりつつあると思われます。
これからは応用行動分析学(ABA)の詳細で丁寧なアプローチを取れることが、専門の教員、カウンセラーには求められるでしょう。
逆にいえば、それを使いこなせなければ、「役立たず」と本人や家族に指弾されることになりかねません。
アメリカではABAが一大産業というと大げさかもしれませんが、他のアプローチではなく、ABAには州がお金を出すなどの権限を獲得し、大きな勢力となっていると聞きます。
しかし、そのABAにしても「自閉症を治す」ことはできない。
せいぜい「少しでも暮らしやすくする」「障害と共に生きる」「アスペルガーとして生きる」といった考え方でいかざるを得ないでしょう。
「自閉症の文化に私たちが近づく」といった言い方をした高名な先生もいました。
発達障害という特異な認知の世界に生きる人を理解するには、それも大切な姿勢でした。
しかし、RDIは違うようです。
生きにくい発達障害者が生きやすくなるのではなく、つまり「良い発達障害」をモデルにするのではなく、ごく普通の子ども、いわゆる定型発達をモデルにしているといいます。
定型発達がモデル:「どうしたら、大きな困難と試練を抱えた(自閉症の)子どもたちを(定型児と同じように)育て、発達させられるか」がメインテーマ。
障害の特性を理解し、それへの対処法や補償的援助を工夫するだけでなく、
自閉症の中核症状領域における(段階的・個別的支援による)発達のやり直しによって、定型児と同じような「情緒的、社会的、認知的な能力」、その基盤となるダイナミックな「脳の情報処理・神経ネットワークの構築」めざすこと
これはすごく大胆な発想であり、挑戦であると思います。
よくいわれる「自閉症の強さ」にアプローチすること、つまり視覚的な情報処理の強さや記憶力の良さ、知識の蓄積能力を利用しようという姿勢は、本当の意味で彼らをよくすることにはつながらない。
むしろ「弱さ」に焦点を積極的に当てるべきだ、という従来とは真逆の発想があり、それを知った私には改めて目からウロコ、でした。
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