April 25, 2017

『空手と太極拳でマインドフルネス』

 武道を心理学的に語る時に、いまや格好の概念があります。
 
 最近注目のマインドフルネスです。
 
 糸東流空手道と楊式太極拳を会得した気鋭の心理学者が、「大人の武道修行者」のために書いた本が、
 
 
 著者のメッセージは一貫しています。
 
 武術を通してマインドフルネスに至る道こそが「武道」である
 ということです。
 
 武道による精神修養効果は、昔から武道指導者、修行者からさんざん言われていることで、だから体育必修化の根拠にもなったわけですが、それがどんな内実を持つかについては、明確ではありませんでした。よく言えば自由に言い放題だったわけですが、多分に根性論、印象論の域を出ませんでした。
 あるいは知的な人は、内田樹先生のように思想的に武道を語るというのはありました。古くは弁証法の空手家・南郷継正なんて人もいましたね。
 
 でも心理学を応用した武道論はあまりなくて、一部の武道家が、精神分析学の防衛機制とかを用いているのを見たことがありますが、、それらは武道の効果のある一面を切り出しただけで、「武道体験」自体には届いていなかったと思います。
 それが、マインドフルネスとフローという概念が出てきて、割といい線いっている表現が可能になりました。ちなみに本書ではマインドフルネスとフローの違いも説明されています。
 
 著者が推すのはフローではなくて、マインドフルネスで、武道は本来何を体験するところか、何を目指すべきがマインドフルネスで明確にできると主張しています。
 これが今の心理学のパラダイムで説明できる武道の最先端だと思います。
 
 

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April 22, 2017

『Number』誌にアドラー心理学特集!

 日本の代表的なスポーツ誌『Number 925号』(文藝春秋)で、アドラー心理学特集です。
 
「スポーツ 嫌われる勇気」というテーマ。
 
『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)の共著者、古賀史健さんが、ラグビー日本代表元監督・エディー・ジョーンズさんにインタビュー、岸見一郎先生はボクシング日本代表、ロンドン五輪金メダルの村田諒太さんと対談しています。
 
 そして、小平奈緒選手(スピードスケート)や田中志朗選手(ラグビー日本代表)らのインタビュー、イチロー、本田圭佑、松井秀喜選手、栗山英樹監督らをアドラー心理学的視点から解説するという記事が並んでいます。
 
 いまやアドラー心理学は、いろいろな分野で語られていますが、スポーツでこれほどストレートに扱われるのは初めてではないでしょうか。アメリカでアドラー心理学を修めた平本あきおさんや梶野真さんとかが、一部の選手へのコーチングをしていましたが、スポーツ評論で語られたことはなかったと思います。こう来るか、と少し驚きました。
 
 エディー・ジョーンズさんはアドラー心理学を特に学んだことはなかったのですが、インタビューで古賀さんの話を聞いて、「素晴らしい。完全に同意します」と答えています。
 
 縦社会の代表のようなスポーツ界で、アドラー心理学がこのように取り上げられるのは、今後かなりのインパクトを与える可能性があります。
 
 スポーツ関係者は是非、お読みください。
 

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April 18, 2017

『アドラー臨床心理学入門』買えます!

 長らくAmazonで在庫がなかった『アドラー臨床心理学入門』(アルテ)が、購入できるようです。
 
 増刷になったということだと思います。
 
「通常2~5週間以内に発送します」とあるので、配送センターに在庫がなく仕入れ先から取り寄せる、ということみたいです。
 
 何にせよ、買えるようになったのでよかったです。
 
 アドラー心理学によるカウンセリング、心理療法の基本テキストとして、是非手に取ってみてください。
 
 

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April 15, 2017

コンテキスト、プロセス、コンテンツ

 前回に続き、 『吉福伸逸の言葉』(コスモス・ライブラリー)より、メモします。
 吉福さんはセラピーを3つの要素から考えて、実践していました。
 
 コンテキスト、プロセス、コンテンツです。
 
 コンテキストはセラピストが作る場、雰囲気です。
 コンテンツはクライエント、セラピーの参加者がセラピーの場で表すもので、内容は十人十色です。
 吉福さんはセラピーにおいて、セラピストがクライエントのコンテンツをあらかじめ決めておくのを禁じていました。それはあくまで本人が自発的に、自然に現すべきものと考えたのでしょう。
 
「吉福さんは、セラピストが唯一、クライエントに本格的に提供できるのはコンテキストだけだと断言しています。 p41」
 
 ではそのコンテキストは何かというと、一般にはセラピストとクライエントの関係性やセラピストの志向する心理学的理論だと思いますが、吉福さんは究極のところ、セラピストの人間観、世界観のようなもので、いうならばセラピストの「人間の器」としかいいようがないものであると考えていました。それが、暗黙にクライエントに強い影響を与えているとしていたようです。
(引用開始)
 例えば、セラピストが怒りとはよくないものだと考えていたとします。するとそのセラピーの場では怒りというものが出てきにくくなります。セラピストが怒りというものに十分向き合っていない場合、セラピーの現場に怒りが出てきたとき、十分に対応することができません。セラピストの限界がそのままセラピーの現場に出てきてしまいます。 p41
(引用終わり)
 これは本当にそうだと思います。いわゆる苦手な人、苦手な問題、苦手な関係性はセラピストならみんな多かれ少なかれあると思います。
 
「セラピストの人間存在そのものがコンテキストなのです。 p42」
 
 そして、セラピーで最重要なのがプロセスです。
 
「プロセスとは、一言で言えば、セラピーの現場で起きるすべてのことです。
 濃密なコンテキストの内側で起きることは、ポジティブなことであれネガティブなことであれ、何らかの治癒的な経過の一つだと考えられます。 p46」
 
 プロセスはその人の自然治癒の経過そのものと吉福さんは考えるので、セラピーでは徹底してそのプロセスを信頼していきます。
(引用開始)
「コンテキストを提供することによって、参加者が、何が起こってこようと恐怖感や拒絶感なしにそれに触れていくことができるような状況を作るのが、セラピストに先ず要求される役割です」と吉福さんは言います。
 実際にはセラピストが用意したゲームや作業を通して、プロセスが起こり始めます。
 大切なことは、それら発言するさまざまな症状(プロセス)に対して、決めつけたり判断したりしないということです。  p47
(引用終わり)
 とにかくそのプロセスをクライエントや参加者がしっかり体験できるように、セラピストはその場にい続ける、という感じだと思います。
 この認識論からは、いわゆる病理論や診断行為は吹っ飛んでいます。
 
 具体的に吉福さんがどのようにプロセスを扱ったかは、本書に印象的なエピソードがいくつもあります。
 私も見たことがありますが、本当に解釈とか説明とかはなく、ただその場で必要なワークは提示して、そこで起こることをできるだけ表に出させようとしているのを側で見届けているように見えました。
 参加者は時に激しい反応を示したのですが、当時私は参加者としてそれを見て、人はこんな風になっても大丈夫なんだと、妙に納得した覚えがあります。以後、多少のことではビビらなくなったのは良かったかもしれません。
 
 もしそんな吉福さんがご存命で、最近の心理療法界をどう見るか聞いたとしたら、「型にはまりすぎている」、「人を本当の意味で自由にしていない」、と一喝するかもしれません。
 
 プロセスを信頼しきるとは、もしその人に症状やトラウマなるものがあったとしても、あくまで大切なのは、それを含めた生命としての治癒プロセスであり、それを促進させよ、ということでしょう。例えばトラウマがあって、過去に何があったかわかったり、脳科学的に脳がどうなっているかがわかったとしても、それはトラウマの原因でも本質でもなく、単なるプロセスに過ぎない、という風に考えたかもしれません。
 
 過激に聞こえるでしょうか。
 
 科学としての心理学は「行動の予測と制御」ですから、「予想するな、制御するな」というのは真逆かもしれせん。
 
 ただ、大きな枠組みでは、制御というか、ワークによって流れを作り、落ち着くところに落ち着くはずだという予測(信頼)はしていたといえるかもしれません。対象としている時間軸が普通のセラピストより長かったとも考えられます。
 また、吉福さんは行動科学としての心理学を否定していたわけではなかったことも念のため記しておきます。本書でも吉福さんは、「9割は認知行動療法で対応できる」と言っていたとあります。
 これは吉福さんが元々、「人間は機械である」という認識論をベースにした20世紀最大の神秘思想家、グルジェフをベースにしていたことがあったと私は推測しています。グルジェフについては、長くなるのでもうここでは言いませんが。
 
 とにかく、是非答えをうかがってみたかったです。
 
 

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April 13, 2017

『吉福伸逸の言葉』

 私にとっては個人的な思い出がわいてくる本です。
 
 80年代、日本にトランスパーソナル心理学、ニューエイジ運動を紹介した立役者、2013年に亡くなった吉福伸逸さんの言葉をお弟子さんたちが集めた追悼本といえます。
 
 
 
 
「吉福さんは、ニューエイジ、ニューサイエンス、トランスパーソナル心理学といった、1970年代にアメリカで起こった新しい思想、学問分野を日本へ最初にもたらした立役者です。
 現在、日本で心理療法、ボディワーク、スピリチュアリティ、エコロジー、ホリスティック医療といった分野で第一人者として活躍している方々の多くが、1980年代に吉福さんの影響を受けています。 p2」
 
 といっても最近の臨床心理士、カウンセラーはその名を知らない人が多いのではないかと思います。吉福さん自身も確かに卓越したセラピストではありましたが、別に学者でもなかったし、何かの資格があるわけではなりませんでした。対外的には翻訳家という感じでした。
 しかし、その語学力と人脈、何より圧倒的な存在感で、80年代の精神世界の渦の中心であったのは間違いありません。
 
 吉福さんは当時玉石混交のニューエイジ運動の「玉」の部分だけを抽出し、翻訳して日本に紹介し、ワークショップを展開し、当時流行していたフランス現代思想に対して「アメリカ現代思想」として、対峙させていました。
 特に物理学者のフリッチョフ・カプラ、トランスパーソナル心理学の論客、天才ケン・ウィルバーの翻訳は大きな功績でした。
 
 その中で、ユング派の泰斗、河合隼雄先生もトランスパーソナル心理学に関心を示すようになり、共編著も出しました(『宇宙意識への接近』(春秋社)。河合先生も、『宗教と科学の接近』(岩波書店)という、トランスパーソナル心理学に共感を示す本を出したりしました。
 
 私は大学生時代、サークルの先輩に吉福さんを紹介されて、ある種「衝撃」を受け、学び始めました。
 ないお金をかき集めて吉福さんの講座やワークショップに足しげく参加していました。
 その結果…大学の心理学に関心が薄れ、劣等生になってしまいました(笑)。
 
 吉福さんは、最近主流の「心の治療」のための心理療法ではなく、「自己成長」のための心理療法を極限まで目指していたと思います。統合失調症のような精神病でさえ、けして「病理」ではなく、「成長」の契機ととらえることを主張されて、統合失調症を治さない、症状のプロセスに任せるという前衛的な運動もしていました。
 
 本書にもありますが、若い頃ジャズミュージシャンだった吉福さんは、ワークショップやグループセラピーでは前もって段取りを決めることがなく、あくまで即興的に、その場でやることを決めていたようです。本書によれば、 「プロセスを徹底的に信頼する」という姿勢だったそうです。
 参加者たちを観察し、その場を感じ取って動き、出来合いのプログラムをそのまま実行するということは絶対にありませんでした。そのための方法として、ブリージングといって一種の過呼吸を意識的に長時間続けたり、サイコドラマをしたり、ボディーワークをしたり、意識変容をおこすためにいろいろやっていました。
 
 一度、合宿式のワークショップで、高名な中国武術家・松田隆智先生を呼んで(吉福さんと友だちだったそうです)、形意拳のワークをしたこともありました。私はもう形意拳を習ってたから難なくできたけど、他の普通の参加者は大変だったもしれません。もちろん、みんな楽しんでました。
 
 とにかく今の心理療法にはない過激さがあった感じがします。最近はこういう心理療法を志向する人は、めっきりいなくなってしまいました。確かに日本人には刺激が強くて警戒されそうだし、即興的過ぎて普遍化、標準化はできないですからね。
 
 私は本書を読んで、吉福さんの、太くて厳しくて優しい声が聞こえてくる気がしました。
 
 キャラも能力も、今やっていることも全然違うし、結局同じような道を歩んだとはいえないけれど、やっぱり若い頃受けた影響は大きい、と本書を読んで感じました。無意識のうちに吉福さんの考え方や、やっていたことをモデルにしている自分が多々あることに気づいたからです。
 
 もし吉福さんに出会っていなかったら、私は今頃、普通の心理学を研究している平凡な学者にでもなっていたかもしれません。よかったのか悪かったのかわからないけど。
 
 本書を見て、吉福さんのお弟子さんたちが、その後を継いで頑張ってくれているようで、心強い思いもしました。トランスパーソナル心理学も近いうちに学び直してみたいと思います。
「普通の心理療法」にマインドフルネス瞑想が入る昨今、次に来るものの中に、トランスパーソナル心理学的なものへの再注目があるかもしれません。
 

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April 06, 2017

『おしえて アドラー先生!』

 アドラー仲間で、何冊もご一緒させていただいた八巻秀先生(やまき心理臨床オフィス、駒澤大学教授)が、小学生向けの本を出しました。
 
 
 先日先生にお会いした時に、できたてをいただきました。ありがとうございました。
 数あるアドラー本の中で、直接子どもを対象にしたものはあるようでありませんでした。これはその意味でも画期的ですね。
 
・なんとなく苦手な子、どうしたら好きになれるんだろう?
・友だちとけんかしちゃった。仲直りしたいけど
・自分だけ冷たくされている気がする・・・先生に嫌われているのかも
・友だちの輪にどうやったら入れるかな?
 
 などといったお悩みに、アドラー先生が答える感じになっていて、カラーでやさしいイラストが見ていて楽しいです。
 
 回答もさすが八巻先生らしく、明確だけど包容力があって読んでいて気持ちよく、背景にアドラー心理学だけでなくブリーフセラピーやナラティブ・セラピー、オープンダイアローグのエッセンスも入っているのがうかがえます。
 
 プレゼントでもいいし、授業の副読本や子どものカウンセリングなどでも使えると思います。
 
 是非、使ってみてください。
 

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April 02, 2017

『英語でたのしむ「アドラー心理学」』

 アドラー自身の著者を英語の教材にした面白い企画です。
 
 
 岩井先生をはじめ何人かのアドラー仲間がブログで薦めていたので、英語の勉強のつもりで買いました。
 
 考えてみれば、これまで「アドラー心理学」の英語文献はたくさん読みましたが、アルフレッド・アドラー自身の言葉を直接英語で読んだことはあまりありませんでした。古くは高尾利数先生、最近は岸見一郎先生の名訳があったから、基本文献はそれで十分と感じてましたからね。わざわざ原書を見ないです、持っていても。
 
 だから翻訳されていない本や論文をいくつか目を通したくらいかな。
 
 本書を読んで、「アドラーの英語って簡単じゃん」と思いました。
 
 本書で引用元にしている What life could mean to you はドイツ語を母国語とするアドラーが初めて英語を使って書いた著書なので、非常にわかりやすく、ストレートに理解することができると著者は言います。確かにそうだと思いました。
 著者の訳と解説付きだから、高校生ぐらいの英語力があれば大丈夫だと思います。
 
 著者は特別アドラー心理学を学んだわけではないようですが、アドラーの言葉に感動し、独自にアドラーの著書から学び、人生の指針にしてきた英語教育学者だそうです。大学院では心理学を専攻し、心理学の理論を応用した英語教育を研究されていて、NHK教育テレビの講師も務めたことがあるそうだから、知っている人もいるでしょう。
 
 こういう人もいるのですね。
 
 アドラー心理学の隠れた影響を見つけることができました。
 
 これからもっとアドラー自身の言葉に親しもうと思いました。
 

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March 28, 2017

木村政彦と合気道2

 前記事、前々記事から続いて『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(増田俊也、新潮社)から、木村政彦の強さの背景を探ります。
 
 木村政彦は阿部謙四郎という合気道家でもある柔道家との敗戦をバネに飛躍しましたが、阿部が合気道を身につけていたとは知らなかったようです。
 
 しかし、木村の側に超有名な合気道家がいました。
 
 後の養神館館長、塩田剛三です。
 
 木村と塩田は拓殖大の同期生で、大親友でした。まさに実戦合気道の代表格、木村と仲良しなのもうなづけます。
 
 驚くべきは、身長170センチ、85キロ、驚異の腕力を持つ木村に、身長154センチ、47キロの塩田がなんと腕相撲で圧倒したことです。それは木村も認め、方々で話していました。
 
 常識的にはありえない現象ですが、私を含め武道マニアには有名な話です。
 
 著者の増田氏は自ら北海道大学で柔道(寝技重視の高専柔道の系列)を鍛錬し、職業柄たくさんの格闘技に精通しているので、このエピソードに戸惑いながらも、率直に著わしています。
(引用開始)
 柔道や空手、総合格闘技の書籍を書く場合、合気道に触れることはある意味タブーでもある。目の肥えた読者の失笑を買いかねない。
 だが、阿部謙四郎が植芝盛平に組み伏せられたことも、木村政彦がその阿部に試合で弄ばれたことも、そして木村が腕相撲で塩田剛三に敗れたこともすべて事実なのだ。
 もう一つ、合気道には離れた間合いで相手をコントロールする技術があるからこそ嘉納治五郎は「これぞ理想の武道」と非常に興味を持ち、富木謙治らに「技術を学んでこい」と言って植芝の内弟子として送り込んでいるのだ。簡単に切り捨てていいものではあるまい。実際に木村政彦と塩田剛三の同期の空手部員で当時「拓大三羽烏」といわれた空手家が「柔道や合気道など大したことない」と吹聴することに頭にきた塩田が体育館で喧嘩し、これを一蹴していることも木村×塩田の対談で明らかになっている。
(引用終わり)
 そして、「とにかく木村は阿部と塩田を通して植芝盛平という巨人の影と戦っていたのは間違いない」としています。
 
 実際に木村が塩田を通して合気道にどのような影響を受けたのかは不明ですが、二人は飲んだり遊んだりしながら、何らかの示唆を与えあったことがあったかもしれません。
 
 この二人の交友は終生続き、木村が力動山戦のまさかの敗北により地位も名声も失い、、失意のどん底に苦しみ続けた後々まで、塩田は友を心配し声をかけ続けたそうです。
(引用開始)
 拓大同期で親友だった塩田剛三(合気道養神館)も木村のことをずっと気にかけていた。
 戦前はもちろん木村政彦の方が圧倒的にネームバリューがあったが、戦後、合気道ブームがやってきて「不世出の達人」として武道界で地位を確立し、大山と同じく、忘れ去られていく木村の名声をいつしか逆転してしまっていた。
 だが、養神館の何らかの写真を見ると、そこに、よく老年になった木村が写っているのを見つけることができる。
 何か行事があれば必ず呼んで木村を弟子たちに紹介し、いかに強い柔道家だったかを弟子たちに繰り返し話した。
 塩田は木村をかばい続けた。
「木村政彦って男は本当にたいしたもんだよ。拓大もすごい男を出したもんだ。木村のような武の真髄を極めた男をだした大学は拓大以外にない。拓大はもっと誇りを感じるべきだな」
 若い頃から共に過ごしてきた男だからこそ、木村の気持ちがよく分かったのだ。
(引用終わり)
 武道家の鏡となるエピソードですね。
 
 ここを含め本書の最後の方は、私は涙なくしては読めませんでした。
 

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March 26, 2017

木村政彦と合気道

 前記事で木村政彦の強さに、なんともいえぬ柔軟な思考・行動傾向(遊び好き、いたずら好きといった感じで人々に記憶されている)があることを、 『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(増田俊也、新潮社)から引きました。
 
 もう一つ、木村の柔道を飛躍させたものがあったようなのです。
 
 それはなんと、合気道です。
 
 木村が合気道を学んだわけではありません。
 
 拓大予科2年の若い頃、既に中学時代に柔道日本一を経験していた木村は無敵の勢いを示し始めた頃でしたが、合気道を学んだことのある柔道家にもてあそばれるようにして負けたのです。昭和11年6月1日、宮内庁主催の選抜試合でした。
 
 木村を翻弄したその相手は、阿部謙四郎という武道家でした。
  しかしその名前は、合気道史によほど詳しい人でないと知らないと思います。当時から天才と称され、のちにイギリスに柔道と合気道を広めた人だそうです。私は、阿部が極めて実戦的で強い人だったという話を、以前ある合気道の本か雑誌で読んだ記憶があります。本書でその具体的なエピソードを知って、とても興味深く思いました。
 
 阿部は既に柔道で相当の力があった20歳前後、偶然汽車内で出会った合気道開祖・植芝盛平に簡単に組み伏せられ、その場で弟子入り、10年間合気道を修行したとのことです。
 
 木村の自伝の言葉です。
「彼と組み合ってまず驚かされたのは、ふんわりとしか感じられない組み手の力と柔軟さだった。試合ともなれば誰しもがある程度両手に力を込めて握ってくる。当然、肩や足腰にも、相手の動きに対する警戒感から多少の力が入るのだが、彼の場合はどこにも硬さというものが感じられなかった。文字どおり掴みどころのない感触で、どんな技でも簡単に吹っ飛びそうな気さえした。
 これはたやすい。私は思い切って得意の大内刈り、大外刈りを放った。ついで一本背負い。しかしどうだろう。まるで真綿に技をかけたようにフワリと受けられ、全然効き目がない。かける技、かける技すべて同じ調子で受けられてしまう。グンと弾ね返されるならまだしも、これではまるで一人相撲ではないか・・・・。私は焦った。その瞬間、ビュンと跳ね上げられた。ようやくのことで腹ばいになって逃れる。跳ね腰だ。次に大外刈り。これも私は、危うく半身になって難を逃れた。しかし阿部五段の攻撃は矢継ぎ早に続く。私はかろうじて腹ばい、半身になるのが精一杯であった。相手の技に対して戦々恐々、防戦一方で試合は終わった。結果はもちろん、私の判定負けである」
 
 木村は筋骨隆々、すさまじい腕力の持ち主で、その大外刈りはあまりに強烈で相手が後頭部を強打して失神してしまうことも少なくなかったそうです。だから稽古では相手が怖がって、木村が大外刈りを打とうとすると、「それだけはやめてくれ」とその場で座り込んでしまうほどだったそうです。
 
 それを柳に風のごとく、まさに「柔(やわら)」というにふさわしく、剛力の木村を難なく制してしまった阿部は相当な手練れだったと間違いなく言えるでしょう。
 
 ところが木村は、阿部が合気道をやっていたことを死ぬまで知らなかったようです。
 
 しかし、木村も天才、阿部に弄ばれたことにかなりショックを受けて一時は柔道をやめようかとさえ思ったものの、師匠の牛島辰熊にさとされ(というか怒られ)、自分に足りないものを分析し、柔の要素を入れた独自の稽古を工夫して猛特訓し、1年後、今度は阿部を何度も投げ飛ばすことができ、リベンジを果たしました。
 
 心は子どものように柔らか、体の動きも柔らかくなった木村は、以後無敵となっていったのです。
 
 武道家の上達プロセスとして、大変興味深いですね。
 
 そして実は、木村に影響を与えた合気道家がもう一人いました。(続く)
 

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March 23, 2017

木村政彦の強さの秘密

 最強にして悲劇の柔道家、木村政彦の生涯を追った『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(増田俊也、新潮社)は、素晴らしいルポルタージュとして評価は定まっていますが、ストーリーの本筋とはやや関係のないところの、私なりに興味深いところをメモします。
 
 なぜ、木村政彦は現代でも最強と言われるに至ったのか、どうやって強くなったのかということです。
 
 もちろん、健康で頑丈な体に生まれ、貧しい家庭で育ったので幼いころから肉体労働をしていたとか、「努力3倍」と自称するくらい、凄まじい稽古を積み重ねたからであることは間違いがないのですが、本書で知った木村政彦にはそれだけでない側面があります。努力家でひたすら武士道を追及する、いかにも武道家、体育会系なところばかりではないのが、彼の魅力であることがわかりました。
 
 一つは、とても愛嬌のある、というにはおとなしすぎるくらいのど派手ないたずら好き、遊び好きであったようです。著者は「悪童」と本書の中で呼んでいます。
 
 戦前、戦中の昭和の時代の男ですから、その内容は先ず「飲む」、「打つ」はないようですがそして「買う」で、その様子は破格でした。女性読者のために、ここではそのエピソードは細かく書きませんが、興味のある人は本書を開いて下さい。面白過ぎるエピソードがいくつもあります。
 
 彼と接し、行動を共にした人はたくさんいましたが、その多くが著者の取材中に彼を慕った様子を語り、彼との思い出を懐かしがり、木村はもう亡くなっていたにもかかわらず、格闘技や武道を極めた大の男たちが時に「木村さんに会いてえなあ」と、感極まって泣いたそうです。
 
 それはライバルというか終生の敵となった力動山が、弟子のジャイアント馬場やアントニオ猪木からさえも、「力道山には人間的に良いところは一つもなかった」と言われたのと対照的です。
 
 面白かったのは戦争中、24歳の青年だった木村は当然兵役に就いたのですが全然まじめな兵士でなかったことです。彼は既に柔道日本一で全国的なスーパースターだったので、当然「お国のために命を捧げます」というくらいの愛国精神を発揮した、ということは全然なかったみたいです。強くなることには執念を燃やしても、戦争は嫌いだったのかもしれません。実際、柔道家としての全盛期となるはずの貴重な20代を戦争に奪われることになってしまいましたから。
 
 木村は福岡の防空隊に配属されましたが、初年兵に鞭をふるったり理不尽な暴行を加えていた曹長に頭に来た木村は、とんでもないいたずらをしました。木村の言葉です。
 
(引用開始)
 こんなことがあった後で、また私に不寝番が回ってきた。大沢(曹長=ブログ主注)は例によって口を大きく開け、往復いびきをかいている。よし、今夜こそ復讐してやろう・・・・
 復讐と言っても寝ている相手を殴る蹴るような卑怯な真似はしない。まず下半身にかかっている毛布を静かにはぎとり、大沢の○○を露にする。その小さくしぼんだ奴を中村(仲間=ブログ主注)と交代でしごく。だんだん勃起してくる。次にはそいつを、タンポのついた木銃の先で軽くついてやる。ポーン、ポーンと、突くたびに勃起した○○がはね返ってきて、ボクシングのパンチングボールのような具合だ。なんともユーモラスでぶざまなものだ。それでも大沢はいっこうに目をさます気配もなく、こちらは十分に楽しませてもらった。  
(引用終わり)
 
 面白いなあ。
 
 著者によると、木村の戦争時代の思い出話は前後や事実関係が不明瞭で、本によって矛盾がひどいそうで、いかに彼が戦時中ちゃらんぽらんな態度だったかが推測できると言います。そして、メチャクチャ体が丈夫なはずなのに、怪しい理由で病院にかかり、入院し、結局除隊してしまいました。
 
「木村にとって戦争はどうでもいい過去なのだ」
「木村は大日本帝国に命を捧げようなどとは微塵も考えていなかったのだ」
 と著者は考察しています。
 
 木村は戦前の天覧試合での優勝など、今なら国民栄誉賞をもらえるべき立場でありながら、デンデン安倍首相、自称愛国右翼の連中なら許せない態度ということでしょうけど、これも真正武道家のあるべき姿の一つかもしれません。
 
 自分にとって大事なこと以外のくだらないことには、関心を持たない。
 
 普通の武道家なら国家や権威を信じ、その命令に従い、ガチガチの人間になるところを、何とかかいくぐって遊びまわる木村の柔軟というか、いい加減さに好感を持ちました。物事のとらえ方の柔らかさ、屈託のなさに強さの秘密があるような気がしました。
 
 ゆる体操の高岡英夫先生の理論、あるいは太極拳のような内家拳の見方からすると、認識の世界がゆるんでいれば、身体運動は身体意識を介して必ずそのゆるみを反映するはずだからです。ただの剛ではない、剛柔相済となります。
 
 しかし同時に、それが後の力道山戦でだまし討ちにされた悲劇につながったと言えます。あまりに彼は素朴だったのかもしれません。
 
 

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