March 29, 2019

『神道入門』

 最近の私の関心の一つは、アドラー心理学でいうと、スピリチュアル・タスクです。

 人類の文明、文化には不可欠のものであり、人間の普遍的な欲求や傾向性でもあるスピリチュアリティをどうとらえるか、アドラー心理学の観点から考えることを自分に課そうとしています。

 臨床心理学とスピリチュアリティというと、普通はユング心理学が浮かびますが、最近は認知行動療法系も抜け目ないというか、マインドフルネス瞑想を通して意識にアプローチしたり、ACTだったか、価値や生きる意味を問うみたいなことを堂々と言うようになってきています。

 特に日本人にとってのスピリチュアリティを考えるとき、まず出てくるのは仏教です。仏教の精緻な理論や修行法は、古代から現代まで膨大な数の人々を魅了し、その才能が注ぎ込まれてきました。時の政治権力も常に仏教を庇護し、育ててきました。

 アドラー心理学の指導者級の人たちも、先ずは仏教を基に自らのスピリチュアリティへの取り組み、思索を表明してきたと思います。

 しかし、仏教そのものは外来の思想であることも間違いありません。しかも日本の仏教は元々の仏教とは変質していて、それ以前、おそらく縄文時代から人々の心の底に流れて続けてきた「日本思想」とでもいえる何かわけのわからないものと融合して独自の展開をしてきたことは周知のとおりです。

 そのわけのわからないものが、「神道」です。

 私はここに焦点を当ててみたい。しかし、学術的に宗教学を修めたわけではないので、素人研究の域を出ないのですが、アドラー心理学が日本に土着化していく中で、神道や神道的なものを理解しないのは極めて不十分だと思います。

 そこでとっかかりに

 新谷尚紀『神道入門ー民族伝承学から日本文化を読む』(ちくま新書)

 を読んでみました。わかっているようでわかっていない神道のアウトラインをつかむにはとても良いと思いました。

 日本書紀の神道から古代神道、中世、近世、そして明治以降の国家神道まで、民俗学と文献学の視点から展望できます。

 また、現在日本の神社を統括している神社本庁は実は戦後設立された一宗教団体にすぎず、私は、名称からあたかも公的機関であるかのような素朴な誤解をしていたことを知りました。

 これから本書からも、興味深いところをメモしていきたいと思います。

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February 25, 2019

『インテグラルシンキング』

 一昔前、トランスパーソナル心理学の論客として名をはせたケン・ウィルバーは、単に悟りを目指す個人の意識に留まらず、世界を真に統合的に見る視点を提供しようと思索し、現在それはインテグラル理論として発表されています。

 鈴木規夫著『インテグラルシンキング 統合的思考のためのフレームワーク』(コスモス・ライブラリー)は、それを丁寧に紹介した本です。

 著者の鈴木規夫さんは、昨年の日本トランスパーソナル学会で私と仲間が発表したときに座長を務めてくださりました。日本の斯界では代表的な先生です。なかなか謎の多いケン・ウィルバーの数少ない日本人の友人でもあります。昨年の発表の後、鈴木さんとお話しさせていただく時間があり、ウィルバーの近況や人物像などについて、大変興味深いお話をうかがうことができました。

 私は本書を学会の書籍コーナーで買い、早速鈴木さんにサインをいただきました。サインとともに書いてくださった言葉は、
「深沢さんへ
   あれもこれも」。
 まさに何ものも否定することなく、正当に位置づけて、使えるものは使い切ろうという統合的態度とお見受けしました。

 本書の原点は、アドラー心理学でいう「認知論」です。人は見たいものを見る、見たくないものを見ない、それらで自分の世界を構築する、単純で普遍的な真実ですが、私たちは自分の視点からの世界を正しいと思い込んで、他を否定してしまいがちです。

 結局のところ、「知る」という行為は、その人独自の「レンズ」を通して世界をとらえるということです。ひとつひとつのレンズは、その持ち主の感性にもとづいています。また、ひとつひとつのレンズは、その持ち主が生きている時代や社会の文化的・文明的な条件の影響の下に形成されています。世界のどこにも「これこそがいっさいの偏見を排して世界を完全にありのままにとらえている」といえるようなレンズはないのです。 p9

 まさに「認知論」ですね。

 ではどうしたら私たちは、統合的に思考することができるのか。そのための枠組みを提示しているのがインテグラル理論です。

 それは、「世界の四領域」という視点で示されています。

 四領域とは、「個の内面」「個の外面」「集団の内面」「集団の外面」です。

「私たちが経験することになる、ありとあらゆる状況や課題には、これら四つの領域が内包されている」といいます。

 本当にそうかな?と思うかもしれませんが、本書を読み進めていくと確かに世界の見方はこの四つに集約されそうなのです。ただ、私たちは自分の好みの世界観を採用しているため、他の世界観に明るくないのです。

 この枠組みに立つと、心理学者やサイコセラピスト、取り分け精神分析家やユング派は「個の内面」に住み、行動主義者は「個の外面」にいて、システムズ・アプローチやエコロジストなどは「集団の外面」、宗教団体や日本社会そのものは「集団の内面」を重視していることがわかってきます。

 読み応えがありますが、世界を俯瞰する視点を持ちたいときは、是非本書を熟読してください。

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February 18, 2019

『武田氏滅亡』

 武田信玄の後継者・勝頼はどのような人物だったのか、武田氏はどうして滅びたのか。これまで名門・武田氏が勝頼の代で滅びたことから、小説やドラマで暗愚の武将と描かれがちだったのですが、近年勝頼の再評価が進んでいます。

 同時代の文書を元に詳細に勝頼の生涯を辿っていく、平山優著『武田氏滅亡』(角川選書)を、時間をかけて少しずつ読み進めて、ようやく終わりました。751ページという大著で、それ自体「自立」することができるほどの厚さであり、私は仕事や心理学系の読書の合間に読んでいたので、読破するのになんと1年もかかりました。

 その分、速読ならぬ「味読」というか、じっくりと、まるで勝頼と同時代を生きているかのような気分になりました。本を閉じた時は静かな感動に襲われました。小説でも物語でもなく、歴史研究書なのに。

 信玄の四男・勝頼は心ならずも、と言っていいと思うけど、信州の伊奈の高遠城主だったのが、信玄の後を継ぐことになってからは、まさに家を保ち、盛り立てるための奮闘の人生でした。

 一般に勝頼は、長篠の戦で織田・徳川連合軍に大敗して一気に滅びたかのようなイメージですが、実際は長篠以後7年間持ちこたえ、むしろ「武田信玄時代より広大な領国を誇るに至った。とりわけ北条氏は、勝頼による北条包囲網に苦しみ、関東の領国を侵食され、悲鳴を上げていた。 p748」のです。北条は、北関東から攻める勝頼や真田昌幸らの活躍で、押しつぶされる危機にありました。

 家康も勝頼に撃破されかねない状況に置かれたこともあり(大雨で富士川が増水して武田軍が渡れず、家康は逃げきれた)、やはり信玄の子だけあって、かなりの戦上手であったことは間違いがないでしょう。

 それが最後は、まるでオセロでバタバタと白黒がひっくり返るかのように、一気に滅亡に追い込まれてしまいました。本書によれば、信長も北条氏政もまさかあんなにあっさりと武田氏が崩れていくとは予想していなかったみたいです。当の勝頼もそうだったでしょう。

 勝頼が譜代家臣たちの裏切りに遭い、織田軍に天目山に追い詰められ自害した天正10年(1582年)冬、信州・甲斐の冬は大変厳しく、「織田軍は信州の豪雪と寒気による氷結に苦しみ、さらに兵粮の欠乏も加わって困難な状況にあったらしく、陣中から脱走するものが後を絶たなかった。 p699」、「この年の甲信は厳冬で寒気が厳しく、積雪も甚だしかったといい、信忠(信長の嫡男で武田討伐軍の総大将だった=ブログ主注)の中間(ちゅうげん)が28人も凍死するほどであった。 p699」というから、一見織田軍の圧勝のようなイメージですが、実態はひどいものだったようです。今でもこちらの冬は県外の人は(北海道の人でさえも)、つらいと言うからね。侍に仕える中間や足軽は、ほとんど野宿みたいなものだっただろうから、堪らなかったでしょう。

 だから、最後まで勝頼には勝機はあったといえます。ナポレオンやヒトラーを撃退したロシアのごとく、長期戦に持ち込めたら歴史は変わったかもしれません。 

 昨年、著者の平山氏は、勝頼を取り上げたNHKBSの歴史番組に出た時、「勝頼はつくづく運のない人だったとしか言いようがない」と総括していました。私もそう思わざるを得ません。本当にかわいそうな人だと思いました。

 本書には戦国武将や同時代の人たちの手紙や文書のやり取りが事細かく紹介されているのですが、それらを著者の解説付きで読むと、勝頼だけでなく、信長も家康も、北条も上杉もみんな、先が見えない中で必死に生きる道を模索していたことがうかがえます。一歩間違えば、誰もが滅びる可能性がありました。

 実際勝頼の死後、わずか3か月弱で信長と信忠は本能寺の変で殺されます。まさに一寸先は闇。勝頼さん、あともう少し頑張れたら…。

 本書で歴史のダイナミズムと繊細さを感じ取ることができました。

 また、私が甲州人だから感じるのかもしれないけれど、本書は学術書でありながら、苦しみの多かった勝頼の鎮魂の書でもあると感じました。

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February 09, 2019

ブッシュ家のネットワーク

 再び『ジェノグラム』(金剛出版)に戻ります。

 前々記事で、フロイトとその一族の極めてユニークな特徴を引きましたが(巨人たちの家族布置)、同書にはケネディ家やブッシュ家という、世界に知られた政治家を輩出した支配層の一族の家系図も紹介され、家族心理学的視点から解説されています。

 家族は単に経済関係や愛情関係だけではなく、スピリチュアリティ―や宗教・友愛組織の影響も極めて大きいことが例示されています。

 その一例が、秘密結社です。

「秘密結社」というと日本ではトンデモやオカルト視されたり、陰謀論というレッテルで嘲笑されかねないイメージがありますが、同書にはしっかりとその重要性が明記されています。家族研究の金字塔のような同書にこれがあるのは、とても重要なことだと思います。

 本書には、アメリカ初代大統領、ワシントンがフリーメーソンに入っていたことも記していますが、すごいのはブッシュ家。大統領になったあのジョージ・ブッシュから5代くらいの詳細な家系図が出ているところです。

 それを見ると、ブッシュ一族はほとんどもれなく、イエール大学に入り、中にはそこのスカル・アンド・ボーンズという秘密結社に入っていたことが一目瞭然です。数えてみると、イエール大学卒は35人、内6人がスカル・アンド・ボーンズに入っていたことがわかっています。そしてジョージ・ブッシュは大統領になると、11人のスカル・アンド・ボーンズ出身者を政府の役職に起用していました。

(引用開始)

 2004年の大統領選挙の結果の候補者がどちらも、宗教的な基盤を持つエリートの秘密結社のメンバーであったことは間違いなく重要である。この組織はイエール大学のスカル・アンド・ボーンズ結社と呼ばれ、メンバーは死ぬまで互いの友愛的(そして宗教的つながりの)秘密を守ることを誓っていた。ジョージ・ケリーはこの組織の設立者の一人の血筋である。そしてジョージ・ブッシュはイエール大学に少なくとも12人通った家族の一人で、その多くがこの秘密結社に所属していた。そこには彼の父親の世代の4人の男性が含まれていた。そして、一人娘の夫も、父方祖父、曾曾祖父、そして二人の娘のうち一人も所属していた。いくつもの世代で、ブッシュ家の近しい友人はスカル・アンド・ボーンズのメンバーであった。そして、その多くが政治や経済、産業、国家情報(CIA)の輪で関わりを持っていた。

・・・(中略)・・・

 こうした家族の臨床的アセスメントは、この秘密結社のメンバーのつながりによる影響力や特権について理解しなければ不可能であろう。  p42

(引用終わり)

 秘密結社や宗教を通じて、支配層は支配層でお互いの結束を高め、力を維持し続けてきたことがうかがえます。これは日本でもそうでしょう。

 ジェノグラムという視点から安倍晋三の一族や、麻生太郎の一族を分析するのも面白いかもしれませんね。

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January 29, 2019

巨人たちの家族布置

 前記事で紹介した『ジェノグラム』(金剛出版)には、フロイト、アドラー、ユングといった「深層心理学の3巨人」のジェノグラム(家系図)が詳細に掲載されています。これがとても興味深い。

 ユングはあの独特の理論が表しているように、神秘主義的傾向が濃厚です。同書にはユングの5代にわたる系図が出ていますが、ユングの仕事である医師は父方に多く(祖父と曾祖父、曾々祖父)、聖職者は父方に2人、母方になんと12人もいます。さらに「霊能者、あるいは霊との交流がある」という人がユングを含めて5人もいます。加えてユングの母親は超自然現象を信じ、精神病で入院しています。

 これは尋常じゃない。ユングの業績は、遺伝的器質による資質、才能によることは明らかです。

 ついでにその家系図には、ユングの妻エンマと並んで、患者で愛人だったトニー・ウルフもしっかり入っています。この人はユング好きには有名な人ですね。

 フロイトは、本書では実に詳細に描かれています。

 フロイトの父母世代は、何か犯罪的な後ろ暗いことをしていたと言われ、父親はフロイトの異母兄と共に「事業上の問題」「偽札偽造事件」にかかわっていたそうです。さらにフロイトの妻マルタの父親は詐欺で投獄されたことがあり、フロイトがマルタに熱烈な恋をしたのは、二人の共通の出自による共鳴、共感のようなものだったのかもしれません。

 そういう家の中で、ユダヤ人の長男フロイト坊ちゃんは、輝ける希望の星だったのでしょう。相当甘やかされたみたいです(これはエレンベルガーの本から)。

 そしてユングにもあったけど、フロイトは女性問題も抱えていたようです。妻マルタの妹ミンナと不倫関係にあったみたいです。フロイトとミンナは何回も一緒に旅行に出かけ、なんとマルタの妊娠中にも、ミンナと旅行に行っていたとか!

 ミンナはフロイトとの不倫をユングに話したことがあったり、妊娠、中絶の証拠もあると本書にあります。

 さすがリビドーのフロイトとでも言いたくなりますね。

 同様の女性問題はフロイトの長男、マーティンにもあって、これまたなんと、自分の妻の妹と関係があったそうです。まさに父親と同じ!家族問題の深さを感じずにはいられません。

 ちなみにフロイトの後継者、アンナも少し違いますがレズビアンで、パートナーの夫はそのためか自殺しています。フロイト一族、いろんなことがあり過ぎ。

 何かと病理思考でどこか性悪説的な精神分析学は、今でも好きな人には強烈な磁場を放っていますが、フロイトの抱えていた問題が反映されていたからこそ、リアリティーがあったのかもしれません。

 それに比べるとアドラーは、兄ジグムントとの確執、弟の死、自らの病と身体障害という問題はありながらも、総じて健康な感じがジェノグラムからします。アドラー心理学の健康志向、未来志向を感じさせるものです。

 この3者を並べると、フロイトとユングの行き過ぎたところを、アドラーが中和というか健康な領域に戻しているように、私には感じられました。

 いやあ、家族って面白いですね。

 それにしても、有名人は何もかも暴かれて大変だ、と同情もしたくなりました。

 

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January 24, 2019

『ジェノグラム』

 私が好きな心理学的ワークにジェノグラムというのがあります。家系図を作りながら、家族成員の情報を書き入れ、相関図のように家族関係を何種類かの線で結びます。完成するとクライエントさんの人生と家族の概要が一覧できるようになります。

 私はアドラー心理学の家族布置の方法として、ジェノグラム作りをクライエントさんと共同でよく作ります。とても面白い面接になります。クライエントさんからも好評を得ています。

 もともと家族療法の技法として登場したものですが、昨年のその決定版といえる本が翻訳、出版されました。

 モニカ・マクゴールドリック、ランディ・ガーソン、スエリ・ペトリー著、渋田田鶴子監訳『ジェノグラム 家族のアセスメントと介入』

 大きくて厚い本で、目にするとビビってしまいそうですが、その分内容はとても濃く、情報量は膨大です。

 ジェノグラムの基本はもちろん説明されているのですが、本書の白眉は、実にたくさんの著名人のジェノグラムが掲載されて、それを俎上に家族の力動や関係性が解説されていることです。これが実に興味深い。

 アメリカ人の著者ですから、もちろん欧米の人ばかりですが、我々の知っている人が多数います。

 芸能人ではマリア・カラス、ピーター・フォンダ、ジョディー・フォスター、ルイ・アームストロング、黒人メジャーリーガー・ジャッキー・ロビンソンなど。

 政治家がすごくてビル・クリントン、ダイアナ妃、イギリス王室、ワシントン、チェ・ゲバラ、ブッシュ家、ケネディ家、マーティン・ルーサー・キングなど。

 学者ではアインシュタインなど、そして心理系の方は必読、フロイト、アドラー、ユング、ベイトソン、エリック・エリクソンが登場します。

 彼ら偉人たちの「家族問題」が白日にさらされていて、面白いこと面白いこと。特にフロイトは彼の人生に添って何枚ものジェノグラムを使って解説されていて、「なるほど、こういう人生を送った人なんだ」と知ることができます。

 夫婦、親子、親族との困難な関係、アルコール依存症、精神病、虐待、自殺等様々な問題の中で生きてきたことがわかって、彼らも大変だったんだなあ、だからこそ偉大な仕事を成し遂げたんだなあ、という共感もわきます。

 臨床家はそのためだけでも読む価値があると思います。

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January 18, 2019

『児童心理』休刊

 Twitterで流れてきて知りました。

 金子書房の『児童心理』が休刊になるそうです。

 雑誌『児童心理』休刊のお知らせ(金子書房のサイト)

 1947年創刊ということだから、今年で72年になるという超長寿雑誌だったわけです。心理学雑誌の老舗でしたが、サイトにもあるように、これも時代の流れということでしょうか。

 しかし、戦後から一貫して、日本中の教師、親、カウンセラーなどに、正しい心理学を伝え続けた功績はとても大きいと思います。

 何を隠そう、私自身、大変お世話になっていて、執筆者としてのメジャーデビュー(?)は同誌でした。

「2008年12月号臨時増刊 子ども勇気づける心理学ー教師と親のためのアドラー心理学入門」でした。本誌初、あるいは心理学雑誌初のアドラー心理学特集で、岩井俊憲先生や岸見一郎先生、アドラー仲間の方々と名を連ねさせていただきました。

 幸い大変好評で、完売したそうです。

 今にして思うと、アドラーブームの種まきになったのかもしれません。

 その後も2回程、金子書房さんからご依頼いただいて、寄稿させていただきました(下記のリンク)。

 お題をいただくその度に、自分なりに調べ、考察し、執筆したので、物を書く上で大変鍛えられたと思います。

 とても感謝しています。

 休刊は残念ですが、金子書房さんには是非これからも、魅力のある新企画の雑誌、本を出し続けていただきたいと思います。

 長い間、ありがとうございました。

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January 14, 2019

『定年後の人生を変えるアドラー心理学』

 八巻秀先生(駒澤大学教授・やまき心理臨床オフィス)が、最近また面白いアドラー心理学本を出しました。

 八巻秀『定年後の人生を変えるアドラー心理学 Adler's Bar へようこそ』(講談社)

 アドラーズ・バーに集まる定年間近の中高年の男性とマスターとの対話からできています。

 私と臨床家向けの本を出し( 『臨床アドラー心理学のすすめ』など)、子ども向けの本を出した( 『おしえてアドラー先生!』 )後は、こう来たか!という感じです。この世代をターゲットにしたのは、今まであるようでなかったです。

 企業人、組織人向けにリーダーシップや人間関係に焦点を当てたアドラー本はいくつかありました。そういうのはどちらかというと自己啓発的で、登場人物が問題を解決して成長するというストーリーになっていました。昔の教養小説風ですね。

 それに対して本書は、なにせおっさんたちが通うバーですから、大体グチや本音が吐露される場面設定なので、内容的に共感しやすいですね、私ももう、そういう歳ですから。

 本邦初、おっさん向けのアドラー本です。

 お客たちが持ち込んでくる問題は、親子、夫婦関係、昔の職場仲間との関係、親の介護、老化、そして恋愛や盗撮までいろいろあって、身につまされます(盗撮はないですよ)。それらにマスターがアドラー心理学を使って答えていきます。

 つまりよりカウンセリング的な状況なわけです。

 もちろん私は著者の八巻先生を存じ上げていますから、マスターが八巻先生に思えて仕方なかったです。確かに先生はバーのマスターっぽいし。実際こんな雰囲気のカウンセリングなんだろうな、と思いました。

 対話形式は『嫌われる勇気』もそうだったけど、アドラー心理学にフィットするスタイルかもしれません。

 本書は当事者のおっさんたちばかりでなく、女性でも楽しめますし、何より私はカウンセラーや臨床家の人たちの読んでほしいです。

 それにしても、アドラーズ・バーのマスターみたいにアルコールが使えると。本当はカウンセリングは進むかもしれませんね。ただ、翌日覚えているかはわからないけど。

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December 27, 2018

『ひきこもりでいいみたい』

 子どもだけでなく、青年、成人のひきこもりが昨今問題になっています。一般に本人がカウンセリングに来ることは少なく、親や家族が来ることが多いと思いますが、どう対応していいか難儀しているカウンセラーは多いのではないでしょうか。

 今年夏に、私の知人がひきこもり本人、家族にとてもやさしく、支援者には実に示唆的な本を出しました。

 芦沢茂喜『ひきこもりでいいみたい 私と彼らのものがたり』(生活書院)

 タイトルがいいですね。

 著者の芦沢さんは精神保健福祉士、社会福祉士でソーシャルワーカー、私が以前勤めていた精神病院の同僚でもあり、今は山梨県の保健所で働いています。私は開業してからも、メンタルヘルス関係の講演の依頼をいただいたり、ケースを紹介していただいたりして、大変お世話になっています。

 芦沢さんは、ひきこもりの人がいる家庭に積極的に訪問します。ソーシャルワーカーの強み、腰の軽さを最大限に使って家族、本人にアプローチし、ジョイニングして、少しずつ彼らのニーズを引き出し、周囲や社会と折り合わせていきます。その手並みがすごく自然で、ユーモラスでいいです。

 家庭訪問する時の芦沢さんの車には、ドラえもんのポケットみたいにいろいろなものが入っています。

(引用開始)

 私の車の中には沢山の道具が入っています。ゲーム機、テレビ、プロジェクター、マンガ本、ライトノベル、コーヒーミル付き全自動コーヒーメーカー、雑誌(ゲーム、アニメ、歴史など)、プラモデル(ガンダムなど)、インスタント食品など、家族から聞き出したものを揃えています。使い方については後述しますが、私は車の中にある道具を想像しながら、訪問時本人と行うことを考えます。

 そして、前述のとおり、例えばゲームが好きということであれば、本人に渡してもらう手紙に、「今、Nintendo Switch(スイッチ)の○○をやっています。伺った際には、それをやって頂くだけでも結構です」という一文を加えることにします。

 本人はなんで私が来るのかを分かっています。家族が相談に行ったというだけで、自分の状況をどうにかしたいと思って、私が来るに違いないと思います。私であれば、そのような人と会いたくはありません。でも「ひきこもり」の問題とは関係のない、自分の好きなことであれば、少しの時間、会ってあげても良いと思うかもしれません。大事なことは、この少しの時間だけなら会っても良いと思わせることができるか否かだと思います。 p56

(引用終わり)

 いいですね。楽しそうな家庭訪問です。

 コーヒーが好きな人には、持参のミルで厳選した豆でじっくりコーヒーを淹れていきます。コーヒーがぽたぽたと落ちるのを、二人でじっと見ているのでしょう。

 また、集団活動は必要性が叫ばれても、なかなかひきこもりの人には難しいところがありますが、芦沢さんは所属機関で「ゲーム大会」を催して、ひきこもりの人たちを呼び寄せたりして成功を収めています。 

 公的機関でもここまでできるんだと、すごく参考になります。

 私も児童相談所時代、不登校児の家庭訪問をよくやっていました。ゲームやキャッチボールなんかをやりました。

 スクールカウンセラーになってからも、たまに家庭訪問をします。でも年を取るとなかなか子どもに合わせた遊びができないところがあって、どちらかというと親面接が主になっています。やはり世代的に、親にかかわるのはどんどんうまくなっていると思います。いや、もうすぐお爺ちゃん、お婆ちゃんか。

 こういうやり方は、若いうちにどんどん経験しておくといいと思います。

 スクールカウンセラーは家庭訪問ができない自治体があるらしいですが、できれば経験しておいてほしいと思います。本人や家族の暮らしぶりがわかりますし、メリットがいっぱいあります。

 特に若いお兄さん、お姉さんカウンセラー、ソーシャルワーカーは、本書にあるような感じでかかわっていってほしいですね。

 ひきこもりの支援者の方に強くお勧めします。

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December 23, 2018

フロイトと催眠

 高石昇・大谷彰著『現代催眠原論』(金剛出版)には、かのフロイトがいかに催眠が「下手」だったかが暴露されてます(知っている人は知っているけど)。

(引用開始)

 …フロイトの催眠は患者のニーズを無視した、粗雑で柔軟さにかける、荒っぽいアプローチであったという。

  フロイトにとって催眠とは患者を駆り立て、強制することによって自分が患者から得たいと思った情報を引き出す策でしかなかった。催眠という極めて力動的な現象や、催眠関係から生まれるさまざまな反応を度外視した、融通性に欠ける、実にぞんざいな使い方であった。(Klein[大谷(訳)]1958 ,p63[強調原文])

 催眠誘導に関するフロイトの理解はまったく歪んだもので[…]「私は患者の面前に指を立てて「眠れ!」と大声で怒鳴った。すると患者は驚きと困惑の表情をみせて椅子に沈み込んだ」。まさかと思うかもしれないが、覚醒に至ってはさらに劣悪であった。「さあ今はもうこれで十分だ!」と叫ぶのが彼のやり方であった。(Rosenfeld [大谷(訳)] 2008,p.62[強調原文]

 こうした記述から、フロイトの技術は荒々しいもので、このため効果が思うように上がらず、その結果彼が催眠に見切りをつけた理由が十分納得できるであろう。 p43‐44

(引用終わり)

 これではとても催眠はかからなかったでしょうね。僭越ながら、私より下手だと思います(笑)。 

 そしてフロイトは、「俺には催眠は無理だ」とあきらめて独自の道を進み、精神分析学を創始したわけです。

 ここで大事なのは、フロイトは、催眠を極めてその限界を悟って、精神分析学を創ったわけではけしてないということです。それこそアドラー的にいうと、催眠ができない劣等感の補償として、天才的な思考力と文筆力で精神分析学を創った、と考えることができます。

 それ自体は素晴らしいことで、さすがフロイト、ということですが、やはりそこには限界があったかもしれません。

 数学が苦手な人が高等数学を語る、野球の素人がイチローの能力の秘密を語る、武道の初心者が奥義を語る、極端にいうとそれに近いところが必ずあったはずです。天才フロイトにしても、人の心や行動について、わかっていないところ、見えていないところが多々あったでしょう。

 現に行動主義者からの執拗な批判は今に至るまで止まないし、アドラーもユングも、フロイトの後継者たちも、「それはないんじゃないの」「それは言い過ぎじゃないの」「これ言わなきゃダメでしょう」と、次々と反論や修正をしてきたわけです。

 その結果、精神分析学はホーナイなどの「ネオ・フロイディアンはネオ・アドレリアンだ」とエレンベルガーに言われ、コフートの自己心理学も和田秀樹先生から「アドラーそっくり」と言われる程、アドラー心理学に近づいてしまいました。

 でもそれを、日本の精神分析学の人は絶対に言いません。言えないというか、まあ、指摘されると嫌な気持ちになるんでしょう。だから私も普段人前では、悪いから言いませんけどね。

 その点においても、今後の心理臨床界は、催眠に改めて注目するといいかもしれません。

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