March 28, 2017

木村政彦と合気道2

 前記事、前々記事から続いて『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(増田俊也、新潮社)から、木村政彦の強さの背景を探ります。
 
 木村政彦は阿部謙四郎という合気道家でもある柔道家との敗戦をバネに飛躍しましたが、阿部が合気道を身につけていたとは知らなかったようです。
 
 しかし、木村の側に超有名な合気道家がいました。
 
 後の養神館館長、塩田剛三です。
 
 木村と塩田は拓殖大の同期生で、大親友でした。まさに実戦合気道の代表格、木村と仲良しなのもうなづけます。
 
 驚くべきは、身長170センチ、85キロ、驚異の腕力を持つ木村に、身長154センチ、47キロの塩田がなんと腕相撲で圧倒したことです。それは木村も認め、方々で話していました。
 
 常識的にはありえない現象ですが、私を含め武道マニアには有名な話です。
 
 著者の増田氏は自ら北海道大学で柔道(寝技重視の高専柔道の系列)を鍛錬し、職業柄たくさんの格闘技に精通しているので、このエピソードに戸惑いながらも、率直に著わしています。
(引用開始)
 柔道や空手、総合格闘技の書籍を書く場合、合気道に触れることはある意味タブーでもある。目の肥えた読者の失笑を買いかねない。
 だが、阿部謙四郎が植芝盛平に組み伏せられたことも、木村政彦がその阿部に試合で弄ばれたことも、そして木村が腕相撲で塩田剛三に敗れたこともすべて事実なのだ。
 もう一つ、合気道には離れた間合いで相手をコントロールする技術があるからこそ嘉納治五郎は「これぞ理想の武道」と非常に興味を持ち、富木謙治らに「技術を学んでこい」と言って植芝の内弟子として送り込んでいるのだ。簡単に切り捨てていいものではあるまい。実際に木村政彦と塩田剛三の同期の空手部員で当時「拓大三羽烏」といわれた空手家が「柔道や合気道など大したことない」と吹聴することに頭にきた塩田が体育館で喧嘩し、これを一蹴していることも木村×塩田の対談で明らかになっている。
(引用終わり)
 そして、「とにかく木村は阿部と塩田を通して植芝盛平という巨人の影と戦っていたのは間違いない」としています。
 
 実際に木村が塩田を通して合気道にどのような影響を受けたのかは不明ですが、二人は飲んだり遊んだりしながら、何らかの示唆を与えあったことがあったかもしれません。
 
 この二人の交友は終生続き、木村が力動山戦のまさかの敗北により地位も名声も失い、、失意のどん底に苦しみ続けた後々まで、塩田は友を心配し声をかけ続けたそうです。
(引用開始)
 拓大同期で親友だった塩田剛三(合気道養神館)も木村のことをずっと気にかけていた。
 戦前はもちろん木村政彦の方が圧倒的にネームバリューがあったが、戦後、合気道ブームがやってきて「不世出の達人」として武道界で地位を確立し、大山と同じく、忘れ去られていく木村の名声をいつしか逆転してしまっていた。
 だが、養神館の何らかの写真を見ると、そこに、よく老年になった木村が写っているのを見つけることができる。
 何か行事があれば必ず呼んで木村を弟子たちに紹介し、いかに強い柔道家だったかを弟子たちに繰り返し話した。
 塩田は木村をかばい続けた。
「木村政彦って男は本当にたいしたもんだよ。拓大もすごい男を出したもんだ。木村のような武の真髄を極めた男をだした大学は拓大以外にない。拓大はもっと誇りを感じるべきだな」
 若い頃から共に過ごしてきた男だからこそ、木村の気持ちがよく分かったのだ。
(引用終わり)
 武道家の鏡となるエピソードですね。
 
 ここを含め本書の最後の方は、私は涙なくしては読めませんでした。
 

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March 26, 2017

木村政彦と合気道

 前記事で木村政彦の強さに、なんともいえぬ柔軟な思考・行動傾向(遊び好き、いたずら好きといった感じで人々に記憶されている)があることを、 『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(増田俊也、新潮社)から引きました。
 
 もう一つ、木村の柔道を飛躍させたものがあったようなのです。
 
 それはなんと、合気道です。
 
 木村が合気道を学んだわけではありません。
 
 拓大予科2年の若い頃、既に中学時代に柔道日本一を経験していた木村は無敵の勢いを示し始めた頃でしたが、合気道を学んだことのある柔道家にもてあそばれるようにして負けたのです。昭和11年6月1日、宮内庁主催の選抜試合でした。
 
 木村を翻弄したその相手は、阿部謙四郎という武道家でした。
  しかしその名前は、合気道史によほど詳しい人でないと知らないと思います。当時から天才と称され、のちにイギリスに柔道と合気道を広めた人だそうです。私は、阿部が極めて実戦的で強い人だったという話を、以前ある合気道の本か雑誌で読んだ記憶があります。本書でその具体的なエピソードを知って、とても興味深く思いました。
 
 阿部は既に柔道で相当の力があった20歳前後、偶然汽車内で出会った合気道開祖・植芝盛平に簡単に組み伏せられ、その場で弟子入り、10年間合気道を修行したとのことです。
 
 木村の自伝の言葉です。
「彼と組み合ってまず驚かされたのは、ふんわりとしか感じられない組み手の力と柔軟さだった。試合ともなれば誰しもがある程度両手に力を込めて握ってくる。当然、肩や足腰にも、相手の動きに対する警戒感から多少の力が入るのだが、彼の場合はどこにも硬さというものが感じられなかった。文字どおり掴みどころのない感触で、どんな技でも簡単に吹っ飛びそうな気さえした。
 これはたやすい。私は思い切って得意の大内刈り、大外刈りを放った。ついで一本背負い。しかしどうだろう。まるで真綿に技をかけたようにフワリと受けられ、全然効き目がない。かける技、かける技すべて同じ調子で受けられてしまう。グンと弾ね返されるならまだしも、これではまるで一人相撲ではないか・・・・。私は焦った。その瞬間、ビュンと跳ね上げられた。ようやくのことで腹ばいになって逃れる。跳ね腰だ。次に大外刈り。これも私は、危うく半身になって難を逃れた。しかし阿部五段の攻撃は矢継ぎ早に続く。私はかろうじて腹ばい、半身になるのが精一杯であった。相手の技に対して戦々恐々、防戦一方で試合は終わった。結果はもちろん、私の判定負けである」
 
 木村は筋骨隆々、すさまじい腕力の持ち主で、その大外刈りはあまりに強烈で相手が後頭部を強打して失神してしまうことも少なくなかったそうです。だから稽古では相手が怖がって、木村が大外刈りを打とうとすると、「それだけはやめてくれ」とその場で座り込んでしまうほどだったそうです。
 
 それを柳に風のごとく、まさに「柔(やわら)」というにふさわしく、剛力の木村を難なく制してしまった阿部は相当な手練れだったと間違いなく言えるでしょう。
 
 ところが木村は、阿部が合気道をやっていたことを死ぬまで知らなかったようです。
 
 しかし、木村も天才、阿部に弄ばれたことにかなりショックを受けて一時は柔道をやめようかとさえ思ったものの、師匠の牛島辰熊にさとされ(というか怒られ)、自分に足りないものを分析し、柔の要素を入れた独自の稽古を工夫して猛特訓し、1年後、今度は阿部を何度も投げ飛ばすことができ、リベンジを果たしました。
 
 心は子どものように柔らか、体の動きも柔らかくなった木村は、以後無敵となっていったのです。
 
 武道家の上達プロセスとして、大変興味深いですね。
 
 そして実は、木村に影響を与えた合気道家がもう一人いました。(続く)
 

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March 23, 2017

木村政彦の強さの秘密

 最強にして悲劇の柔道家、木村政彦の生涯を追った『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(増田俊也、新潮社)は、素晴らしいルポルタージュとして評価は定まっていますが、ストーリーの本筋とはやや関係のないところの、私なりに興味深いところをメモします。
 
 なぜ、木村政彦は現代でも最強と言われるに至ったのか、どうやって強くなったのかということです。
 
 もちろん、健康で頑丈な体に生まれ、貧しい家庭で育ったので幼いころから肉体労働をしていたとか、「努力3倍」と自称するくらい、凄まじい稽古を積み重ねたからであることは間違いがないのですが、本書で知った木村政彦にはそれだけでない側面があります。努力家でひたすら武士道を追及する、いかにも武道家、体育会系なところばかりではないのが、彼の魅力であることがわかりました。
 
 一つは、とても愛嬌のある、というにはおとなしすぎるくらいのど派手ないたずら好き、遊び好きであったようです。著者は「悪童」と本書の中で呼んでいます。
 
 戦前、戦中の昭和の時代の男ですから、その内容は先ず「飲む」、「打つ」はないようですがそして「買う」で、その様子は破格でした。女性読者のために、ここではそのエピソードは細かく書きませんが、興味のある人は本書を開いて下さい。面白過ぎるエピソードがいくつもあります。
 
 彼と接し、行動を共にした人はたくさんいましたが、その多くが著者の取材中に彼を慕った様子を語り、彼との思い出を懐かしがり、木村はもう亡くなっていたにもかかわらず、格闘技や武道を極めた大の男たちが時に「木村さんに会いてえなあ」と、感極まって泣いたそうです。
 
 それはライバルというか終生の敵となった力動山が、弟子のジャイアント馬場やアントニオ猪木からさえも、「力道山には人間的に良いところは一つもなかった」と言われたのと対照的です。
 
 面白かったのは戦争中、24歳の青年だった木村は当然兵役に就いたのですが全然まじめな兵士でなかったことです。彼は既に柔道日本一で全国的なスーパースターだったので、当然「お国のために命を捧げます」というくらいの愛国精神を発揮した、ということは全然なかったみたいです。強くなることには執念を燃やしても、戦争は嫌いだったのかもしれません。実際、柔道家としての全盛期となるはずの貴重な20代を戦争に奪われることになってしまいましたから。
 
 木村は福岡の防空隊に配属されましたが、初年兵に鞭をふるったり理不尽な暴行を加えていた曹長に頭に来た木村は、とんでもないいたずらをしました。木村の言葉です。
 
(引用開始)
 こんなことがあった後で、また私に不寝番が回ってきた。大沢(曹長=ブログ主注)は例によって口を大きく開け、往復いびきをかいている。よし、今夜こそ復讐してやろう・・・・
 復讐と言っても寝ている相手を殴る蹴るような卑怯な真似はしない。まず下半身にかかっている毛布を静かにはぎとり、大沢の○○を露にする。その小さくしぼんだ奴を中村(仲間=ブログ主注)と交代でしごく。だんだん勃起してくる。次にはそいつを、タンポのついた木銃の先で軽くついてやる。ポーン、ポーンと、突くたびに勃起した○○がはね返ってきて、ボクシングのパンチングボールのような具合だ。なんともユーモラスでぶざまなものだ。それでも大沢はいっこうに目をさます気配もなく、こちらは十分に楽しませてもらった。  
(引用終わり)
 
 面白いなあ。
 
 著者によると、木村の戦争時代の思い出話は前後や事実関係が不明瞭で、本によって矛盾がひどいそうで、いかに彼が戦時中ちゃらんぽらんな態度だったかが推測できると言います。そして、メチャクチャ体が丈夫なはずなのに、怪しい理由で病院にかかり、入院し、結局除隊してしまいました。
 
「木村にとって戦争はどうでもいい過去なのだ」
「木村は大日本帝国に命を捧げようなどとは微塵も考えていなかったのだ」
 と著者は考察しています。
 
 木村は戦前の天覧試合での優勝など、今なら国民栄誉賞をもらえるべき立場でありながら、デンデン安倍首相、自称愛国右翼の連中なら許せない態度ということでしょうけど、これも真正武道家のあるべき姿の一つかもしれません。
 
 自分にとって大事なこと以外のくだらないことには、関心を持たない。
 
 普通の武道家なら国家や権威を信じ、その命令に従い、ガチガチの人間になるところを、何とかかいくぐって遊びまわる木村の柔軟というか、いい加減さに好感を持ちました。物事のとらえ方の柔らかさ、屈託のなさに強さの秘密があるような気がしました。
 
 ゆる体操の高岡英夫先生の理論、あるいは太極拳のような内家拳の見方からすると、認識の世界がゆるんでいれば、身体運動は身体意識を介して必ずそのゆるみを反映するはずだからです。ただの剛ではない、剛柔相済となります。
 
 しかし同時に、それが後の力道山戦でだまし討ちにされた悲劇につながったと言えます。あまりに彼は素朴だったのかもしれません。
 
 

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March 14, 2017

『アドラー臨床心理学入門』増刷!

 一昨年に出した『アドラー臨床心理学入門』(アルテ)の増刷が決まったようです。
 
 これで3刷りになるかな。
 
 もはや、アドラー心理学の基本テキストの一つにはなっているような気がします。
 
 一般書とは言い難いので、他のアドラー本に比べて出ている数は大したことないけど、多くのカウンセラーや支援者に読んでいただけているようでうれしいです。
 
 もちろん、一般の方も、自己啓発書などでアドラー心理学を知った後の、アドバンス編として触れていただけます。
 
 より深く、アドラー心理学の理論と技法を知ることができます。
 
 

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March 12, 2017

『嫌われる勇気』誕生秘話

 いまだにベストセラー上位の『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)の制作に携わった敏腕編集者の対談記事がありました。

「僕が一番影響を受けたんです」 天才編集者・柿内氏が『嫌われる勇気』に費やした3年を振り返る

 共著者の古賀さんと共に、岸見アドラーに惚れぬいて、岸見先生のところに通い詰めながら、時間をかけて作り上げていったようです。

 1冊に入れこむ熱量が他の本とは違っていたんですね。それに応えた岸見先生もすごいと思います。

 ところで、私は今2冊の本が進行中です。同じくらいのエネルギーを注いでいきたいとは思いますが、 ただ、臨床系は「熱さ」があまり前面に出ない方がいいと思います。自己啓発系、教育系とは違うところです。

 むしろクールさと信頼性が高いイメージを与えるものがいいでしょう。そのためには学術的体裁をある程度整えるとともに、アドラー心理学には数字的なエビデンスで示すのは難しいところがあるので、何人かで書く共著という形で、多様性とある程度の普遍性、妥当性を示すというところだと思います。要するに、勝手にいい加減なことをやっているのではない、というのを示すということです。

「単著を書いたら」と言われたことがあるのですが、私は今のところそこまでの気はなく、一般向けだったら岸見先生や、岩井先生とその関係の方々がわかりやすくていいものを出し続けてくれているし、専門家向けは仲間と進めていけばいいかな、という気持ちです。

 私が書くとしたら、これまでの万人向け、あるいは専門家向けではなく、マニア向け、武道やスピリチュアリティー・神秘思想に絡めるとか、場合によっては物議をかもすようなものが書きたいですね。どっかから抗議されたりして。つまり売れないものですね。だから日の目を見ることはないでしょう。

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February 09, 2017

『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』の概略をつかむ

 分厚い本や長編小説を読むと、終わりが近づいてくるとなんだか寂しい気持ちがするものです。早く読み終わりたいような、少しペースを落としてじっくりと味わいたいような気持で揺れることがあります。
 若い頃はエンターテイメントを含めてけっこう長編を読んだものですが、最近は短くてわかりやすいものやお手軽な本を手にすることが増えました。ご時勢も年齢も影響しているのでしょう。
 
 増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(新潮社)は、まさにそれ自体で「自立」するほど分厚い本でしたが、そういう読書体験でした。古今無双、明治、大正から現在まで含めても最強といわれる柔道家にして、力動山戦で謎の屈辱の敗北を味わった木村政彦の生涯を通して、昭和という時代を味わった感がありました。
 
 でも面白いからと知り合いに進めても、やはり厚い、長いで敬遠されることが多いことがわかりました。
 
 そこで書評サイトで本書をよくまとめたところがありましたので、リンクします。それでも少々分量あるけど。
 
 
 興味を持ったら、読んでみてください。
 

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January 19, 2017

『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』

 2011年に出版され、武道、格闘技関係者のみならず戦前・戦後文化に関心のある人たちに衝撃と興奮を与えた増田俊也著『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(新潮社)をようやく読みました(大宅壮一ノンフィクション賞受賞作品)。
 
 700頁にも及ぶ大作なので、ここ数年の多忙の中であえて手を出さなかったのですが(読みふけってしまいそうだから)、この年末年始の休みにやっと読むことができました。
 
 やはり、素晴らしかった。
 
 もちろん、不世出、無敵の柔道家・木村政彦の個性的で、凄まじく起伏のある生涯を追いかけているのですが、木村以外の有名、無名、歴史に埋もれてしまった武道家たちにも光が当てられ、戦前と現代の武道界がいかに断絶、変質してしまったか歴史的経緯も丁寧に説かれています。私も漠然と知っていたことが明確になったり、初めて知るエピソードもたくさんありました。
 
 熊本の貧乏の家に生まれた木村政彦はどういう人物で、どう育ち、どうやって強くなったのか。彼を創り上げた戦前の柔道界、武道界はどういう人物がいて、どのような状況だったのか。
 そして昭和29年(1954年)12月22日の、あの「昭和の巌流島」といわれた力道山との一戦の真相は何だったのか…
 
 普通の人は柔道は今の講道館だけであり、しかも明治時代に古い柔術に嘉納治五郎率いる講道館が勝ったから取って代わったと思っているかもしれませんが、史実は全く違います。戦前は講道館以外にも有力、強力な団体はあり、むしろ講道館より実力、勢力があったのです。木村政彦はそのすべての柔道界の中で頂点でした。
 その彼がなぜあんな無様な負け方をしてしまったのか。
 
 いろいろ紹介したいエピソードはありますが、まとまりがなくなりそうなのでやめておきます。
 常識や物事への思い込みを相対化してくれる本はいい本です。
 
 しかも構想から完成まで18年を要し、学術論文並みに徹底的に調べ上げながらも、柔道家でもあった著者の木村政彦や無数の武道家、柔道界への熱い思いもしみ込んでいて、読者の気持ちも熱くなる名著です。
 
 遅れて読んだ私が言うのもなんですが、是非一人でも多くの人に読んでもらいたい。特に武道関係者には。
Amazonより)

内容紹介

昭和29年12月22日----。プロ柔道からプロレスに転じた木村政彦が、当時、人気絶頂の力道山と「実力日本一を争う」という名目で開催された「昭和の巌流島決戦」。試合は「引き分けにする」ことが事前に決められていたものの、木村が一方的に叩き潰され、KOされてしまう。まだ2局しかなかったとはいえ、共に生放送していたテレビの視聴率は100%。まさに、全国民注視の中で、無残な姿を晒してしまった木村、時に37歳。75歳まで生きた彼の、人生の折り返し点で起きた屈辱の出来事だった。柔道の現役時代、木村は柔道を殺し合いのための武道ととらえ、試合の前夜には必ず短刀の切っ先を腹部にあて、切腹の練習をして試合に臨んだ。負ければ腹を切る、その覚悟こそが木村を常勝たらしめたのである。約束を破った力道山を許すことができなかった木村は、かつて切腹の練習の際に使っていた短刀を手に、力道山を殺そうと付けねらう。しかし、現実にはそうはならなかった......その深層は? 戦後スポーツ史上、最大の謎とされる「巌流島決戦」を軸に、希代の最強柔道家・木村政彦の人生を詳細に描く、大河巨編!!    

出版社からのコメント

『ゴング格闘技』誌上において、2008年から2011年まで、約4年間にわたって大反響を呼んだ長期大型連載が、待望の単行本化です。戦前、史上最年少で「全日本選士権」を制し、1949年に優勝するまで一度も負けず、15年間、不敗のまま引退。木村政彦は間違いなく日本柔道史上、最強の柔道家です。また、力道山戦の3年前、ブラジルに遠征し、ホイス・グレイシーの父、エリオの腕を骨折させて圧勝、その技が「キムラロック」として、世界に定着しており、総合格闘技の父ともいえる存在です。「鬼の柔道」を継承した師匠・牛島辰熊、そして自身が育て上げた岩釣兼生、三代続く師弟関係を中心に、戦前から戦後の柔道正史、思想家でもあった牛島による東條英機暗殺未遂事件の真相、プロレスの旗揚げなど昭和裏面史の要素もふんだんに織り込んだ、長編ノンフィクションです。著者の増田氏は、この作品を書くために、18年もの歳月を費やし、資料収集と取材にあたってきました。ボリュームある装丁ですが、増田氏の丁寧で真摯な取材と文章が、最後まで読む人の心を掴んで離しません。ぜひ、多くの皆様に読んでもらいたいです。

 

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January 08, 2017

『オープンダイアローグとは何か』

 
 北欧フィンランドで「対話の力」によって、統合失調症の治療に素晴らしい成績を上げているとして、精神医学、臨床心理学の世界に衝撃を与えているオープンダイアローグの入門書です。
 著者はひきこもりや若者文化の分析、精神分析家ラカンについての著書で知られています。正月のNHKEテレ「100分de名著」の手塚治虫特集にも出ていましたね。
 
 心理臨床の世界にも流行り廃りがあり、100年前は精神分析学、戦後はロジャーズのクライエント中心療法、ここ数年は認知行動療法であり、最近はマインドフルネス瞑想でした。その前は解決志向ブリーフセラピーだったり、家族療法だった時代もありました。アドラー心理学はこれまでもこれからもないでしょうね(笑)。
 
 知人の臨床家は、「これから(心理臨床界で)来るのはオープンダイアローグだ」と断言していました。
 本書の斎藤環氏も、「ラカンは実は治療が下手だ」と曝露までして、オープンダイアローグにかなり入れあげている感じです。
 家族療法、ベイトソンの思想がベースにあると言われるオープンダイアローグは、一読して私には親近感がありました。
 徹底的な対話によって、深刻な精神症状が変わっていくのは、カウンセラーや臨床家の理想とするところです。その実態はどうなのか。本書でオープンダイアローグのアウトラインがつかめます。
 
 私は昨年はマインドフルネス瞑想に関心を持って学び、臨床で使ってきて手応えを感じたので一段落し、今年は「対話の力」を高めたいと思います。オープンダイアローグ、ナラティブにエネルギーを向けようかな。内から外、内面志向からコミュニケーション志向へとシフトチェンジします。
 
 これでまた一つ、達人に近づいた・・・。
 

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December 22, 2016

『不登校・ひきこもりに効くブリーフセラピー』

 不登校やひきもりに関するカウンセリングをしているカウンセラーは多いと思いますが、ブリーフセラピーの立場から、実践的な報告をしてくれています。
 
 
 総勢12人の先生が書いていますが、みんな日本ブリーフサイコセラピー学会の会員で、いつも学会や研修会でお目にかかっている先生ばかりです。個人的には、「あの先生、こういう感じで実践しているんだ」と推測できて興味深かったです。
 
 不登校・ひきこもりの問題(本人、家族、関係者を含む)にどうアプローチするか、その発想のポイントと実践例が出ています。
 現場も精神科やスクールカウンセリングといったよくある臨床現場だけではなく、受験予備校、高校、スクールソーシャルワーカー、開業といろいろあります。
 具体的な方法も、解決志向アプローチみたいなブリーフセラピーの代表格だけでなく、認知行動療法や対人関係療法も出ています。
 実践領域もアプローチも幅広くて柔軟なブリーフセラピーらしい本です。
 
 文体も肩ひじ張らないエッセイのような感じが多く、自由で気楽な雰囲気のブリーフセラピストらしさが良く出ています。
 
 臨床を楽しくしたいカウンセラーさんは是非。
 
 

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December 14, 2016

『なぜ空手は太極拳で強くなるのか』

 タイトルに惹かれて買いました。
 
 実際カミングアウトするかはともかく、空手の修行者、高段者で本格的な太極拳を学ぶ人は少なくありません。私の流派にも著名な先生が熱心に通われていたりします。
 これは太極拳が空手より優れていると安易にいいたいわけではありません。ただ、空手に不足しているもの、あるいは言語化、意識化が十分にできていないところが太極拳にあることを、真面目な学習者ほど感じ、知っているからだと思います。
 
 そうなら自らの武術の進化、深化のために剛の拳法に柔の極致である太極拳を取り入れるのは理にかなっています。
 
 池田秀幸著『なぜ空手は太極拳で強くなるのか』(フルコム編、東邦出版)は、そんな真摯な一武道家が体得したものを伝えようとした書と思いました。
 
 著者は数々の空手、特に沖縄空手を学びながら、陳式太極拳も学んで独自の鍛錬を重ねてきた人のようです。空手の先生が「空手には技を説明する言葉が少ないが、太極拳をはじめとする中国の武術には、技を説明する言葉と理論が豊富である」と言ったのが、本書の発想のもとになったそうです。
「太極拳の理を、なんとか三戦やナイハンチなどの拳理の説明に役立てられないか、という大胆な発想にたどりつきました」
 と語っています。
 ともすればそれぞれの体系の中に閉じこもりがちな各武術ですが、とても越境的な人です。市井の比較武術学者とでもいえそうです。
 
 著者は元々養護学校の先生をしていたのが、稽古のために辞めて多摩湖の側に移り住んだり、実戦の場を求めて米軍基地で太極拳教室を開いたり、渡米したりとなかなか行動的です。
 それらのエピソードも面白いのですが、やはり分解写真などによる身体操作の解説が参考になりました。
 ただ、著者の理論の根幹である「四呼間の動き」の説明が不足気味で、イメージしにくいと感じました。関節、筋肉を緩めたまま動かすためのコツのようなもので、パッパと2拍子ではなく、4ステップ位に分けて動かすということのようですが、直接学ばないとわからないのかもしれません。
 
 著者の動画もいくつか出ていますが、単なる筋トレではなく、呼吸法や気功法で鍛えぬいた体であることがわかります。御年65歳だそうですが普通じゃありませんね。
 
 
 
 著者のところとは違いますが、山梨で本格的に太極拳を学びたい空手マンは、是非私の稽古会にご参加ください(注:陳式太極拳ではありません)。
 
 
 

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