June 19, 2017

『野の医者は笑う』

 今年上半期、一番面白い本でした。知的に面白いだけでなく、実際に笑い転げました。そのくらい面白い。
 
 
 気鋭の臨床心理士、心理学者が勤務地であった沖縄で、いわゆるスピリチュアル、ヒーリングの濃い世界をどっぷりとフィールドワークした(浸かった)ドキュメントです。
 その体験を通して、「心の治療とは何か」「人が癒されるとは?」という根源的な問いを考察しようという、実に意欲に満ちた「研究報告」です。
 
「野の医者」とは、精神科医でも、公的機関に勤めるような臨床心理士やカウンセラーでもない、全く在野にいて、世間の人たちの心身のさまざまな悩みに応えようとしている人達です。
 
 キーワードはたくさんありますが、オーラとか前世とか、なんとかマッサージとかレイキとかアロマとか、一昔前は精神世界、代替医療、今はスピリチュアルなどと呼ばれる分野で活動している治療者たちです。
 
 皆さんの周りにもいらっしゃるでしょう。
 普通「まともな」臨床心理士、心理学者はそういう妖しいものと自分たちは違うと、敬して遠ざけるかするものです。
 でも実際多くのクライエントさんは、精神科とカウンセリングと野の医者の治療を渡り歩いたり、並行して受けていることが多いものです。それぞれの分野の治療者は、内心ではそれを快く思っていないかもしれません。
 
 しかし著者は生来なのか、臨床心理士にしては(ユング派の牙城、京大出身!)、実に軽いノリで、沖縄の有名、無名のセラピスト、ヒーラー、「野の医者」たちをどんどん渡り歩き、時には指圧の痛みで悲鳴を上げたり、時には野の医者と語り合ったり、セミナーの参加者たちと喜びを共にします。
 
 沖縄だから伝統のユタを取材するのかと思ったら、意外にも最近都市で勃興して沖縄に入ってきたスピリチュアル系の人たちに多くアプローチしているのがまた興味深い。沖縄でもけっこう盛んみたいです。
 
 そして本書の最後に考察される、「心の治療の本質」とは?。
 
 これは私も常日頃考えていることとほぼ符合しました。このポストモダンの時代、基礎心理学や認知行動療法のような科学主義でなければ、けっこう納得がいく結論ではないかと思います。
 
 是非、「まともな」心理士、カウンセラーさんはお読みください。
 
 ところで、著者は臨床心理から野の医者の世界に分け入った人ですが、実は私は野の医者が臨床心理の世界に入ってきたようなものかもしれません。これまで私が学んだり接してきたものをいうと、ちょっと著者に匹敵するか、もしかしたらそれ以上かもしれません。
 だって太極拳とか気功法とか30年もやっていると、その世界とのお付き合いは必然的にあるんだもん。
 
 ただ、正確には私は、完全に野の医者ではなく、完全に普通の臨床心理士でもないかもしれません。なんかその境界線にいるというか。
 
 だから逆に、私の心の治療に関する表現は抑制的で、あまりそれを表に出すことはありませんでした。正面から野の医者の世界をこのブログや臨床心理の世界で表すことはしてこなかったし、野の医者の世界の人たちにことさら臨床心理学や精神医学の話をすることもしませんでした。こういう分野は好きだけどどこか冷めているというか、両方の世界を使い分けている自分がいます。
 
 そして、野の医者の世界と臨床心理の世界をつなぐものとして、有用なのが、実はアドラー心理学なのです。
 実際私に限らず、アドラー心理学を学ぶ人たちの中に、野の医者系の人たちが少なからずいらっしゃるのは事実です。
 これは他の学派にはあまりないことかもしれません。
 
 確かにユング派とスピリチュアル系は関連性はあるのですが(本書でも著者が出会った人との驚くべきつながりが描かれています)、ユング派の人はなんとかそれとは違うものとして区別しようとしていて、スピ系の人は自分なりの世界観に勝手にユング心理学を取り入れようとしている感じがします。(外からの視点ですが)。
 まあ、ユング心理学は今は大学や学会で権威的立場を得ていますが、スピ系とかなり類縁関係にあるのは間違いないでしょう。ユング自身、ユングの家系がそうだったみたいですし。
 
 アドラー心理学がスピ系の人たちに働きかける仕方は、ユング心理学とは違うように思われます。
 
 それは、ぶっ飛びやすい野の医者の心を、現実にグラウンディングさせることです。
 
 実に現実的で、神とか霊とか(無意識とか自我も!)登場しないフラットな世界観のアドラー心理学を野の医者が学ぶことは、実はとても意味があることだと私は思っていました。
 私が少しはまともな臨床心理士になれたのも(?)、アドラー心理学が間に入ってくれたからかもしれません。
 
 そしたら、著者の東畑先生、今度はアドラー心理学にも目をつけたみたいで、先日ヒューマン・ギルドをご訪問、その勢いか「自分のタイプを知りよりよく悩もう-フロイトとユングの心理学」という講座をやることになったみたいです。
 最近注目していただけに、驚きました。アドラーもフィールドワークするのか?
 
 私はその日は仕事で残念ながら参加できませんが、アドラーの牙城でフロイトとユングを学ぶ、これも面白いですね。
 
 
 

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June 13, 2017

『アドラーの教え』

 アドラーブームの中で、『嫌われる勇気』を除いて最もよく出ているのが、マンガ、コミックによるアドラー本です。
 
 既に何人もの日本の代表的なアドレリアンがコミック版アドラー本を出しています。おそらくたくさんくる出版社からの依頼に応えてのものでしょうけど、実際作るとなるとキャラクター設定からストーリーまで、けっこう大変みたいです。もちろん作画はプロの漫画家だし、編集者との共同作業の部分が多いのでしょうけど。
 
 そしてついに岸見一郎先生も出しました。
 
 
 昨年のNHKEテレ、「100分de名著」のスタッフと創り上げた作品のようです。
 
 哲学者で読書家の岸見先生は今は難しい本ばかりを読んでいるので、マンガを読むことはないようですが、「まえがき」でマンガを読みふけった子どもの頃を思い出したり、「皆で協力して仕事に取り組み楽しみや喜びを強く感じました。このように協力して一つの仕事を成し遂げる過程で、私たちは人と人とが結びついている感覚(共同体感覚)を知ったように思いました」と言っています。かなり満足感があるのでしょう。
 
 本書は喫茶店のマスターとそこを訪れるサラリーマン、お店のアルバイト女子やお客さんとのエピソードで構成されています。
 
 書斎にこもるのではなく、ウィーンのカフェで夜遅くまで友人とだべっていたアドラーですから、そういう設定はしっくりくるのかもしれません。
 
 シンプルなアドラー心理学は、一見してわかった気になったり、言葉巧みな一人の論者の言うなりになってしまう危険性があります。
 そこで、いろいろな切り口のアドラー本が出ることはとても重要なことと思っています。岸見先生も、岩井先生も、野田先生も、独特の文体、言葉の使い方、文脈設定の仕方があります。それは実はアドラー云々とはあまり関係なくて、それぞれのライフスタイルというか、業(カルマ)というか(笑)、思想レベルの違いの反映かもしれません。
 
 初めての方、アドラーマニアの方、是非、お楽しみください。
 

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June 09, 2017

『ミレイ先生のアドラー流勇気づけ保健指導』

 保健師、看護師が現場でアドラー心理学を使う時の格好のテキストが出ました。
 
 
 著者の上谷先生は今年2月の日本臨床・教育アドラー心理学研究会の大会で発表をしてくださった産業医です。とても気風がいいというか、クリアーな話しぶりの方なので、私にはその通りのイメージの本という感じでした。
 読むと明るい気分になれます。
 
 おそらく産業保健現場での共通の悩みは、健診結果などを見せて対象者に「指導」してもなかなか変わってくれない、ということみたいです。
 
 そもそもモチベーションが低い人たちが多いのだから、「メタボだ」「飲み過ぎだ」言われたくらいで「改心」することは少ないでしょう。私のその一人でした。本書でちょっと反省。
 
 そういうとき、支援者はどういう構えでいたらいいのか、ミレイ先生がやさしく、丁寧に、きっぱりと指導してくれています。
 
 特定検診・保健指導の制度がスタートして十年近くたとうする今だからこそ、「他人を変えるということをゴールに設定しない」「うわべだけのスキルやテクニックだけに頼らない方法」を提案したいのです。アドラー流保健指導は、相談者とともい現場で奮闘する支援者の皆さんを力強く勇気づけ、役に立つものになるでしょう。  p84
 
 本書の後半は、様々なケースに対しての、アドラー心理学的な考え方が示されていて、具体的でとても面白い。保健師さんたちの苦労が逆にしのばれました。
 
 保健指導という、これまであまり語られなかった領域にアドラー心理学が入っていくきっかけに本書はなるでしょう。
 

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May 29, 2017

『幸せな劣等感』

 日本にあるアドラー心理学本はできるだけ網羅しようと努めている私ですが、その中でトップクラスの質を持っているとお薦めしたいのが、向後千春著『幸せな劣等感 アドラー心理学 <実践編>』(小学館新書)。
 
 向後先生は教育工学や教育心理学がご専門なだけに、さすが伝え方が秀逸。一般の方にはわかりやすく、心理学に詳しい人や専門家にはその知的欲求に十分応える構成、内容になっています。
 
 よくある「目的論」とか~論の羅列ではなく、キーワードとQ&Aからの説明で、読者が入りやすく工夫されているからでしょうか。
 
 岸見一郎先生はギリシア哲学とアドラー心理学、岩井俊憲先生は人材育成や日常具体のアドラー心理学、向後先生は現代心理学とアドラー心理学、それぞれ実践を重視しながらも表現の軸足が違います。
 
 そういうところも楽しめるようになると、アドラー好きとしてはいいでしょうね。
 
 ちなみに私はもっぱら、臨床心理学とアドラー心理学を足場にしています。臨床は、向後先生みたいにスッキリ表現できないのが何とも難しいところではあります。
 

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May 22, 2017

『スピリチュアル・カウンセリング入門』

 カウンセリング、心理療法の将来を考えたときに、いわゆるスピリチュアルに向かっていくものが主な領域の一つになると思っています。
 
 スピリチュアルとは何か、というのは置いておいて、人々の関心も、それに付随して専門家の関心もはこれまで以上にそこに向かうだろうという予感がするのです。
 
 実証的な心理学のポジティブ心理学的な流れ、臨床心理学のマインドフルネス、ACT(アクセプタンス&コミットメントセラピー)、そしてアドラー心理学への注目の次はそれをさらに進めたものを探ることになるかもしれません。
 
 社会が豊かになってスピリチュアルに向かうというのは、「衣食足りて~」といえばそうだけど、その意味はAIやら自動運転やら何やらが進化し、人々が労働や知的作業から解放され(アホになるともいえる)、一方で共謀罪みたいなものが推し進められ極端に監視・管理社会になって、時には仕組まれて世界のどこかで戦争やテロも(支配層によっては適度に)起こされ、閉塞感はあっても人々は普通にしていれば取りあえず楽しく生きることはできるから、「何かつまらんな、あの世のことでも考えるか」という意識になるためかもしれません。
 
 
 この2月の日本臨床・教育アドラー心理学研究会の大会で諸富先生が講演してくださったときに知った本です。当日の書籍売り場で買いました。せっかくだから、サインしてもらえばよかった。
 
 なんでも本書は、3.11の後の日本に対して生じた諸富先生なりの危機的意識の中で、「魂を込めて」(と講演会でおっしゃっていた覚えがある)書き下ろしたものらしいです。けして妖しい内容ではなく、かなり地に足の着いたしっかりとしたものになっています。
 
 その内容についてはいずれ。
 
 最終章にはあの河合隼雄先生が対談に登場しています。
 諸富先生と河合先生が、本ブログでも言及した吉福伸逸さんと80年代のトランスパーソナル心理学の思い出を語っているのは当時の貴重な証言でもあります。
 
 実は私、これから老後に向かって、普通の臨床とは別に、アドラー心理学とスピリチュアリティーをテーマにした研究、著述をしようと目論んでいます。野田先生や岡野先生らがこれまでに著わした「仏教とアドラー心理学」ものとはまったく違った切り口になると思います。きっと大きな反発(あるいは無視)を招くことになるでしょう。
 
 そのためにも、この辺の文献を集めていこうと思っています。
 
 

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May 17, 2017

『人間科学におけるエヴィデンスとは何か』

 心理学は、科学的とは何か、何がエヴィデンスになるのかについて喧々諤々と議論してきた歴史があります。
 
 私は研究者ではありませんが、アドラー心理学を学び、伝える機会が増える中で、何を拠り所にしたらいいか考える時があります。
 実は私は、「これが正しいアドラー心理学だ」といっても、あまり意味がないような気がしていました。ただの内輪向けです。つまりアドラー心理学界隈での差別化をしたい場合にだけ使えるということです。
 
 一方で、若い頃から竹田青嗣先生の著書を通して現象学に触れてきたので、自分が使うとしたらその辺かなと当たりはつけてきました。
 ただ、現象学も現代思想も簡単じゃないからいまだ半可通の域を出ませんが。
 
 
 著者たちの立場は量的研究ではなく、質的研究と現象学の立場から、心理学等におけるエヴィデンスを根元的なところから考えようとしています。
 
 私にはとても刺激的で、アンダーラインをいっぱい引きました。
 
 「自然科学のエヴィデンスと人間科学のエヴィデンスのちがいの問題」が、近代ヨーロッパの学問における「主観・客観一致の難問」にまで遡るものであることをまず指摘します。そのうえで、学問の客観性とは客観世界との一致ではなく、じつは「共通了解をどうつくりあげるか」という問題であることをフッサール現象学にもとづいて明快に示します。 (プロローグ)
 という竹田先生は、実証主義の心理学を丁寧に批判していて、私が昔から心理学に感じていた疑問に対してある答えを与えてくれています。でも多分、普通の心理学者はこういうところはあまり意に介さないかもしれないけど。結局、実証主義者と現象学者の溝は埋まらないような気もします。
 
 本書では、現象学の実践として、現象学的還元による「本質看取」の方法がワークショップのスタイルでわかりやすく説明されています。これは、「勇気」とか「共同体感覚」などのアドラー心理学をやっている人には自明の概念を改めて検討するときに使えると思いました。
 
 今度どこかでやってみてもいいかもしれません。
 
 本書を契機に、また現象学や質的研究にトライしてみたくなりました。
 特に臨床心理学を原理的、哲学的に考えたい人には良書だと思います。
 

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May 06, 2017

『もしアドラーが上司だったら』

 もし、アドラーが上司だったら、どうでしょう?
 
 勇気づけてもらえるからやる気がわいてきて、いいチームにいられたという気になって、自分が役に立てたという思いを持てるようになるでしょうか。
 
 でも、アドラー心理学はけっこう厳しいところもあるから、仕事はキッチリやることを求められるかもしれません。自分の課題は明確にされ、結局自分次第で頑張らないとならないことに気づかされそうです。
 
 それでも、フロイトが上司だったらいうこと聞かないとハチにされそうだし、ユングだったらわけわかんないこといわれそうだし、おまけに突然ひきこもったり、女の子に手を出しそう。
 スキナーだったら、ロジャーズだったら、マズローだったら、などと勝手に考えると面白そうですね。他派の臨床心理士、学者さん、是非出してみてください。
 
 小倉広著『もしアドラーが上司だったら』(プレジデント社)は、主人公の若きサラリーマンのリョウと、アドラー心理学を身も心も体現した上司(通称ドラさん、身というのは外見までも)の対話と、主人公の成長物語です。
 
 この春の発行後、著者の小倉さんから贈呈していただきました。小倉さん、ありがとうございます。
 
 一読して、さすがたくさんの著書をお持ちの小倉さんらしく、一般の人の心に入りやすい言葉と物語で感心しました。
 しかし、シンプルのようでいて、かなりアドラー心理学の本質が練り込まれていて、楽しくも充実した内容です。
 
 特に参考になったのは、組織において、アドラー心理学をどのような発想で使っていくかというところ。
 中でも「機能価値」「存在価値」という考え方は印象深かったです。
「いいかい、リョウ君、キミはね、『機能価値』と『存在価値』をごちゃ混ぜにしているんだ。言葉を換えるなら『Doing(やり方)』と『Being(あり方)』と言ってもいい。キミは『Doing』が上手でなくて『機能価値』を上手く発揮できていないだけだ」 p96
 相手を受け入れ尊重するということと、組織の論理とをどう折り合いをつけるか、一人の人間にとってはなかなか難しく感じられるところですが、うまく整理してくれたと思います。私もこの概念を使わせていただきたいと思います。
 
 連休も終わってしまいますが、是非お読みください。
 
 

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May 03, 2017

うつぬけにゆる体操

 前記事でゆる体操のイベントをお知らせしましたが、そのゆる体操の開発者・高岡英夫先生が、実はうつ病体験があることを前月号の『月間 秘伝 2017年4月号』(BABジャパン)でカミングアウトしていました。
 
 うつの苦しみから抜け出すために、現在のゆる体操を創っていったようなのです。とても興味深い話です。
 
 生来の鍛錬好き、武術好きの高岡先生は日々、死と隣り合わせのような徹底的に厳しい稽古を続けながらの、大学での研究生活と家族を養うために働くことにより、30代前半、遂に心身の疲労が頂点に達し、朝起き上がれなくなり、気分が極度に沈んでしまったそうです。
 
 心身の能力に自信のあった先生は相当なショックだったようです。武道家やスポーツマンは元気で明るい人が多いから、「俺はうつにならない」と思い込んでいることがありますが、やはりけしてそうではないのですね。
 
 うつは誰でもなり得ます。
 
 先生は大学病院の精神科にもかかったそうです。そこで重度のうつ病と診断されました。
 
 うつに苦しみながらも、しかしそこは、類まれに優秀な高岡先生ですから、自身の心身の状態を見つめながら、ゆる体操的な運動(今の膝コゾコゾ体操)を少しずつ続けると、心身の変化を感じ、遂にはうつを抜け出しました。それからゆる体操を体系化して、今のスタイルに仕上げっていったみたいです。
 やっぱり優れた人は、転んでもただでは起きないというか、大したものです。
 
 本誌には、高岡先生のうつを抜け出すときの心身の感覚の変化が描写されていて、印象的でした。
 
(引用開始)
 最初に気が付いた変化は、身体の中の方から、ポーと灯がともるような温かさでした。主に腹の奥から脊椎まわりで、その温かさを感じたのです。それからもうしばらくすると、驚いたことに、頭の中で、トクン・トクンと血液が流れ始める音が聞こえてきたのです。あのとき感じた、トクン・トクンという音は、いまでも忘れることができません。頭の中がポーッと少しずつ温かくなってきて、しばらくの間、その音を聞き続けていたものです。
(引用終わり)
 身体感覚がすぐれている人だからこそのうつ病回復体験記です。
 
 私は初めてゆる体操を知ったとき、「これはセラピーに使えるな」と直感したものですが、その開発過程に、うつからの治癒があったとは、納得です。
 
 臨床家の方は、動作法とか自律訓練法とかの静的なリラクセーションだけでなく、動的なリラクセーション法であるゆる体操を参考にしてみてください。セルフケアの有力なツールになると思います。
 

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April 27, 2017

大人の稽古

 湯川進太郎『空手と太極拳でマインドフルネス』(BABジャパン)では冒頭に、中年期を過ぎた人たちが目指すべき心得が提出されています。
 
「大人の稽古」をしようということです。
 
 若い頃のように筋力、力を中心にした稽古によって、より早く動き、より強くなることを目指すのではなく、加齢による身体の変化に応じた、あるがままの心身を活かした稽古をするべきということです。
 
 武術・武道・格闘技は、とにかく「勝つこと」「どっちが強いか」「何が強いか」に終始したり、見た目の派手さや高い採点を得ることを中心にしてしまいがちです。特に競技系の武道はそうですが、意外に合気道や中国武術でもその傾向はうかがえます。
 人は、特に若いうちは、他者との比較優劣、他者からの評価にこだわってしまうものだからです。『嫌われる勇気』が売れる所以です。
 
 著者は、武術の稽古はそれではいけないといいます。
 
 (引用開始)
 稽古の内容は、年齢とともに変わっていくのです。加齢(エイジング)の流れに沿って、稽古の質を意識的に変えていく必要があるのです。「青年(若者)の武術」の稽古をするのではなく、40歳を超えたら「大人の武術」の稽古をしていくべきです。そうでなければ身体を壊しますし、稽古もいつまでも続きません。 …(中略)…
 
 そうして変わっていく技の内容や質は、一つの技術的な成熟であり、武術という伝統文化に対する思想的な成熟であるともいえます。そしてそれは、加齢に伴う身体的な仕様の変化に柔軟に対応した、心身の変化でもあるでしょう。 …(中略)…
 
「大人の武術」は、他者と比較したり他者の評価を気にしたりしません。私が私として、年齢に合った術を練る。そして、年齢に合った身体の調整をする。年齢に合った身体操作をする。それこそが「大人の武術」の稽古です。    p24-25
 (引用終了)
 全くその通りです。
 
 特に高齢化社会になった今では、護身術を身につけたり強くなることも当然大事ですが、そのためにも今の年齢の心身の状態に合ったやり方で稽古するべきです。
 
 50を過ぎた身としては、私は太極拳などの内家拳をやっていてほんとに良かったと思います。特に頑健でも運動好きでもなかった私が、今でも若い頃以上に相当元気に動けているのも、「無理しない武術」を習ってきたからであることを実感しています。
 
 元々空手家の著者は40を過ぎてからぎっくり腰になったショックと太極拳との出会いが、そのような発想の転換を生んで、本書につながったみたいなので、特に空手系の激しい武術を学ぶ人に向けてメッセージを送っているように感じられました。
 
 中高年の武術家同志諸君、是非、参考にしてください。
 
 

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April 25, 2017

『空手と太極拳でマインドフルネス』

 武道を心理学的に語る時に、いまや格好の概念があります。
 
 最近注目のマインドフルネスです。
 
 糸東流空手道と楊式太極拳を会得した気鋭の心理学者が、「大人の武道修行者」のために書いた本が、
 
 
 著者のメッセージは一貫しています。
 
 武術を通してマインドフルネスに至る道こそが「武道」である
 ということです。
 
 武道による精神修養効果は、昔から武道指導者、修行者からさんざん言われていることで、だから体育必修化の根拠にもなったわけですが、それがどんな内実を持つかについては、明確ではありませんでした。よく言えば自由に言い放題だったわけですが、多分に根性論、印象論の域を出ませんでした。
 あるいは知的な人は、内田樹先生のように思想的に武道を語るというのはありました。古くは弁証法の空手家・南郷継正なんて人もいましたね。
 
 でも心理学を応用した武道論はあまりなくて、一部の武道家が、精神分析学の防衛機制とかを用いているのを見たことがありますが、、それらは武道の効果のある一面を切り出しただけで、「武道体験」自体には届いていなかったと思います。
 それが、マインドフルネスとフローという概念が出てきて、割といい線いっている表現が可能になりました。ちなみに本書ではマインドフルネスとフローの違いも説明されています。
 
 著者が推すのはフローではなくて、マインドフルネスで、武道は本来何を体験するところか、何を目指すべきがマインドフルネスで明確にできると主張しています。
 これが今の心理学のパラダイムで説明できる武道の最先端だと思います。
 
 

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