この時期になると、あの日を思い出します。
1985年8月12日、日本航空123便の墜落事故です。
当時私は、大学2年生の夏休みで甲府に帰郷中でした。あの日の夕方、テレビから「日航機が行方不明」というニュースが流れてきて、紅い空を見上げてなんだか不安な気持ちになったのを今でも思い出せます。
後で日航機は山梨の大月上空で大きく旋回して、長野県方面へ向かっていき、御巣鷹山に墜落したという話を聞いて、「自分の近くを飛んでいたんだ」と思ったものでした。
以来、あの事故は本当は何だったのか、心のどこかでずっと気になっていました。
そういう日本人は少なくとも私と同世代、80年代を生きた人は持っているのではないでしょうか。
あまりにも印象的な出来事でした。
そんな人は、森永卓郎さんがガンで余命わずかと宣告された中で、命を懸けて暴露した本『書いてはいけない 日本経済墜落の真相』(三五館シンシャ)を読んでおくべきです。
この中で、日航機墜落事故の真相について森永さんは根拠を示しながら非常に論理的に、説得力のある形で考察しています。
森永さんによると要するに、あれは事故ではなく人災、事件だったのです。
自衛隊がなぜか誤ってミサイルを日航機に当ててしまい(おそらく伊豆稲取沖で国産巡航ミサイルの洋上実験中のアクシデントか)、垂直尾翼が破損、傷ついた日航機はそれでもなお自衛隊出身の機長のすぐれた機体操作で何とか飛行を続けていたにもかかわらず、日本政府(当時は中曽根内閣)は救おうとせず、むしろ日航機が不時着したがっていた米軍横田基地に着陸することを許さず、墜落に誘導していった。
そして恐るべきことに、救助を装った自衛隊は墜落現場に入って周囲を火炎放射して証拠を隠滅した。生き残っていたかもしれない人は焼き殺されたに違いない。その後国は、「やむを得ない事故だった」というストーリーを捏造した。
ということです。
なぜそんなことをしたのか。当時は自衛隊の風当たりは今よりはるかに強く、自国の軍隊が国民の乗る民間機を撃ち落としたなんてことになったら、政権が吹っ飛ぶのは間違いなかったからです。
信じられないと思う人はいるでしょう。国がそんなことをするなんてあり得ない、と。
でも終戦後の満州で関東軍が日本人住民を見捨ててさっさと逃亡したことや、数々の薬害や公害、そしてコロナワクチンの大薬害を考えると、十分にあり得ます。
いざとなったら国は国民を守らない。そんなケースはたくさんあるのです。
本書を読んで、そして森永さんが提示する情報を考えてみてほしいです。
この日航機墜落について、私自身は似たような話をどこかで読んだか聞いたことがありましたが、断片的でよくわからないところがありました。本書で丁寧にそのプロセスを追えたのはよかったです。
他にジャニーズ問題と財務省の問題も取り上げていて、とても面白い本です。
森永さんは長いことテレビにコメンテーターとして出演されていましたが、絶対のタブーが、ジャニーズ問題と財務省の緊縮財政批判、そして日航機墜落事故だったそうです。これに触れるとテレビに出られなくなったそうです。
社会には絶対にタブーが存在します。それを暴露してくれる人の存在は、社会にとっても貴重です。
おそらくタブーを守らせる側の人たちにも、実は必要なのです。彼らの中にも目覚めが悪い人が少なからずいたでしょう。おそらく当時関わった自衛隊の中にも、良心の呵責に苦しんだり、精神に変調をきたした人、自殺までした人もいたかもしれない。
中曽根首相(当時)は「墓場まで持っていく話」があると漏らしていたそうだけど、もしかしたらこのことかもしれません。
でもね、因果応報の法則は覆らないのよ。墓場に入った後、地獄に落ちないためにも、タブーはこの世で明らかにしてほしいものです。
そして、森永さんのやけくそのような勇気に感謝です。
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