September 07, 2009

免疫力をつけるには・2

 免疫力をつけるにはどうすればいいか。
 前記「秘伝」誌の「腸能力を磨け!」には、そのキーになるのは細胞内のミトコンドリアで、その機能を上げることが最重要と説いていています。
 そのためには「栄養素と酸素」を考えなければならず、栄養素には食事が、酸素には呼吸が当然関連します。
 本誌では、先ず「口呼吸」の弊害が指摘されています。
 つまり口から息を出し入れする呼吸は身体にとってとても問題らしいのです。

 免疫学者、西原克成氏はその理由を詳しく説明してくれています。一部を引きます。

 口は本来食べ物を体内に取り入れるための入り口で、鼻のように空気を取り込むのに適した構造にはなっていません。鼻から吸入された空気は、繊毛(鼻毛)と粘膜の作用で雑菌やホコリ、ゴミなどが除去され、副鼻腔で冷えた外気が温められてから気管に取り入れられますが、口にはこうした天然のフィルターがないからです。

 口呼吸では乾いた冷えた外気が直接喉に当たり、ウィルスも易々入ってしまいます。
 この結果、「体の組織・器官の細胞が黴菌に汚染され、ミトコンドリアの働きも低下します」

 口呼吸が問題であるなら、当然口からハッハッと息をする「スポーツは体にとても悪い」というのが著者や西原氏の主張です。とても興味深いですね。
 西原氏は、

「マラソンや水泳、サッカーなど全身を酷使させる運動を想起して下さい。こうした運動は大量の酸素が必要になるため、鼻呼吸だけでは対応できず口呼吸が習慣化してしまいます。こんな口呼吸病をうながす行為を幼い頃から奨励しているのが、いまの学校体育です。中高年世代にメタボ対策などといってジョギングなどをすすめることもあるようですが、私からすれば自殺行為というほかありません。生きるということは「息る」ということです。呼吸の重要性について考えていないスポーツは、健康づくりとは何の関係もないものなのです」

 と辛辣なことをいっています。
 そして著者の長沼敬憲氏は、

 もし運動を取り入れるなら、口呼吸ではなく、鼻呼吸を主体とした太極拳のような伝統武術、ゆったりペースのストレッチなどが適していることになる。西原氏もこうした理論に基づき、独自の横隔膜呼吸法をすすめている。

 と、太極拳などの武術の優秀性を評価してくれています。

 やはりそうだったんですね。

 ちなみに本誌で写真入りで紹介されている横隔膜呼吸法という体操を見ると、普段私たちが稽古の前にしている準備体操(抜筋骨と呼んでいます)とほとんど同じか似ている動きばかりです。

 やっぱり免疫力を上げるには、武術や気功がいいですねえ。

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September 02, 2009

免疫力をつけるには

 衆議院選挙の結果については、もう自明なのでここで繰り返しませんが先ずはよかったですね。

 民主党、がんばって下さい。
 できれば、小泉・竹中が犯した国家的犯罪を白日の下に曝してほしい。
 そして障害者自立支援法などの悪法を改正してほしいと願っています。

 ところで、最近の問題は新型インフルエンザですが、マスクや消毒液の買い占めなど一部ではヒステリーの様相を呈してきています。
 しかし、ワクチンやタミフルがほしいと騒ぐよりも(ほんとに意味があるのか疑問だし)、インフルエンザに負けない、あるいは罹っても大丈夫なくらいに自分自身の体を強くすることが最重要のはずです。
 亡くなる方に子どもや病気の方が多いのも、体を「強く」することが大切なのを示しているかもしれません。

 では、どのようにしたらよいのか。

 発売中の武術専門誌・月刊「秘伝 2009年9月号」(BABジャパン)に連載中の「腸能力を磨け!」に重要なヒントがあります(同誌には他に内田樹さんとヨガ行者との興味深い対談記事もあり、要注目です)。

 免疫というと生物学で習った白血球を中心とした抗原抗体反応のことだとイメージしますが、同記事によると最近注目されているのは、個々の細胞に備わった「自然免疫」の働きだといいます。
 それはミトコンドリアを中心に細胞ひとつひとつが強くなることを意味するそうです。

 同記事を書いたフリーライターの長沼敬憲氏は、免疫学の大家、西原克成氏を取材します。西原氏は、ミトコンドリア内部で働き、エネルギーを作り出すTCA回路(これも高校の生物でやったな)を生命の渦と呼びます。

 著者が取材した西原医師は、次のように言います。

 ミトコンドリアの内部で働くTCA回路は、たえず渦のように回転しながらエネルギーを生み出しています。このエネルギーの渦が止まった時、私たちの生命活動も停止します。つまり、ミトコンドリアの活動こそが私たちの生命そのものであるといえるのです。エネルギーの渦は、生命の渦であることがわかるでしょう。

 このミトコンドリアが元気であれば、生命の渦が高速回転し、私たちは文字通りエネルギッシュに活動することができます。それが「免疫力が高い」ということです。ウイルスや細菌などの病原体が細胞内に侵入してきても、当然、それをはねのけることができます。

 従来の抗原抗体反応に基づくワクチン作りでは、人間の免疫力を高めることはできない。生命力はどんどん弱くなるばかりです。

 私に言わせれば、そうした免疫論など、「大人のお伽噺」にすぎないものです。そうではなく、これまでお話した細胞内の生命力、すなわち私が細胞内呼吸と呼ぶミトコンドリアのエネルギー産生能力こそが免疫力であるということをしっかり認識してください。ミトコンドリアを基準とすることで、生命力を高める秘訣も見えてくるはずです。(西原氏)

 面白いですね。
 では、どうすれば細胞の免疫力を高めることができるのでしょうか。
 その秘訣は次回に。

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June 24, 2009

腸能力!

 本ブログは初めてもう4年目くらいなりますが、最初の頃はブログブームで、その時期に知ったブログで私が興味を持ってトラックバックさせていただいて知り合った方の一人に、フリーライターの長沼敬憲氏がいます。

 身体感覚、丹田、ハラをスポーツや文化、人間理解のキーワードとしていち早く取り上げた一人です。
 プロフィールによると、私と同じ山梨出身で、同じ時期に東京に出て大学生活を送っていて、しかも私と近い関心をお持ちだったようで、密かに親近感を抱いていました。

 その長沼氏が、私が愛読する武術雑誌「秘伝」BABジャパンに先月号から、注目すべき連載をしています。

「身体と心の肝 腸で心と体が変わる!? 腸能力を磨け!」

 腸能力というネーミングがいいですね。

 ここ数年の武術・格闘技・身体論ブームの中で多くの実践者や研究者たちは、主に筋肉やパワーの出し方といった身体トレーニング、精妙な技の術理の発見、気や意識の高め方など、さまざまな角度からそれぞれが得意とするアプローチを研究し、発表してきました。
 その様は、まさに諸子百家、百家争鳴といった状況でした。

 しかし、それらの流れの中で、最も基礎になるべき大切なものが忘れられていました。

 食事とそれを消化する胃腸の問題です。

 食べ物が私たちの体を作るのだから、考えてみれば至極当然のことですが、実は生活の中でも最もコントロールの難しいのが食の問題であります。

 どちらにせよ、ここで一つの事実が浮かび上がってくるはずだ。それは「食べたものが血となり肉となる」ということ。アメリカには食べているものがあなた自身である(You are what you eat.)ということわざがあるが、これは要するに、「私たちは食べている内容以上の存在にはなれない」ということだ。・・・(中略)・・・・

 肉体生理の問題を軽視し、「食べているものがあなた自身である」という現実を置き去りにしてしまっては、いくら氣=意識の力の重要性を説いたところで不合理な精神論になりかねないだろう。(6月号)

「秘伝」6月号では、私たちの持っている蛋白質信仰の問題、腸をきれいにするためのファスティング(断食)のやさしいやり方が説明され、今発売中の7月号では、戦後の主流となった白米と肉食の問題や玄米の良さについて取り上げていて、とても参考になります。

 特に現代より、元禄時代以前、戦国時代の方が本質的にずっと「豊かな食生活」だった、だから宮本武蔵のような(今から見れば)超人的な運動能力、武田信玄や上杉謙信のような傑物が次から次へと現れたのだという仮説には唸らされました。

 長沼氏は、食にこだわる人にありがちは偏狭さはなく、むしろバランス感覚を大事にされる人のようです。これまでも食だけでなく、私が高く評価する高岡英夫氏など多くの論者、研究者をしっかりとフォローしており、ブログで取り上げています。

 昨今の身体論・武術論の世界では、けっこうリーダー的論者同士の仲が悪くて(陰に陽に)罵倒し合っているところが見られますが、そういう悪い意味での「おたく性」とは距離を置いているようにも見受けられます。

 氏のブログも最近よく見ていますが、本当に参考になりますよ。
 フリースタイル・ラボ

 ほとんどの人は実際に戦わなくても強くなくてもいいけど、食べることだけは逃げられないので、是非参考にして、できる範囲から実践してみましょう。

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May 14, 2009

樹林気功の思い

 樹林気功のわかりやすい解説は、今田求仁生氏にきちんと学び、三重県で普及活動をしている藤田雅子氏の「イラストで学ぶ やさしい樹林気功」というステキな本があるので、関心のある方は是非当たって下さい。

 正直なところ私は、パワーアップでも喧嘩に強くなるでも金持ちになるでもエッチがうまくなるでも何でも、気功の持つ「現世利益」の側面は好きです。

 健康な人は、さらに強くなるために、能力を上げるために気功を利用することは人間として当然だし、気功に代表される東洋の心身技法にはそれが可能な潜在力があると思います。
 アドラー心理学的には「マイナスからプラスへ」動くこと、「劣等感の補償」が人の本質的傾向だから、それを十分に伸ばすことが「幸福への道」と思われます。

 しかし、それが自分本位だけになってしまうのはやはり問題です。
 樹林気功には、気功学習者が陥りがちな独善性を突破し、世界を大きく広げていく力があります。
 気を与えるとか奪うとか、邪気を払うとかいう一方的な関係ではなく、弱者や病者、障害者と共に、対等の関係の中で気を高め合い、癒し合うことができ、さらに樹木や生物全体との「いのちのつながり」を体感することが可能なことを樹林気功は示したと思っています。

 アドラー心理学では、その体感を共同体感覚というのだと思います。

 今田氏の医療に対する考えを聞いてみましょう。

 私は若い頃から医学の研究をしてまいりましたけれど、今の医学は、いのちがどこかへ飛んで行ってしまって、確かに生きている機械としての生体はあるんだけれど、いのちはないという状態に思えるんですね。もっと広く見てみると、こんな自然破壊を起こしているのは、いのちのつながりが見えないからだと思うんですね。

 そういうことを、もう一度、生身から問い直せるような方法として、私は気功を伝えてみようと思いまして、それで「樹林気功」という名前を勝手につけまして、やり始めたわけなんです。気功もひとりよがりのところがございまして、ややもすれば密室に入って、いろいろな恰好をして、呼吸法をやって、悟りきってしまうところがあるんですね。それは非常に不健康なことではないかと思うんです。

 本来の気功の思いというのは、いのちひとつらなりということに、生身が感じるということだろうと思いまして、それこそ森の中に、ポンと立っていれば、森がいろいろなことを教えてくれますから、それで樹林気功ということで、森をお相手にというか、お師匠さんにしてやる場をつくろうと、今やっているんです。「愚者の知恵」p95

 20代の強くなりたい盛りで武術の稽古ばかりしていた私に、強烈な一撃を与え、目を開かせてくれた今田求仁生氏には本当に感謝しています。

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May 12, 2009

樹林気功の方法

 では、実際の樹林気功の姿はどのようなものだったか。私が経験したことをまとめてみたいと思います。

 具体的なやり方(気功では功法といいます)は、普通の気功教室でやっているものとそんなに変わりなく、どこでもやっているものと同じだと思います。
 むしろ、「○○気功」といった特別な型のある流派的なものではなく、ごくシンプルな動きと呼吸法です。

 両腕を前後あるいは左右に振るスワイショウ
 太極拳のようにゆっくりと動く動功、特に両手を上下に動かしたり、左右に広げたり狭めたりする昇降開合という簡単な動作。
 気功法の代表的ポーズといえる、じっと軽い中腰で立って、両腕を腹の前で丸く球を抱えるように円を作る三円式站とう功

 特に念入りにやったのは、按摩功と呼ぶ掌や指先、腕、足裏、脚などのツボを中心に丁寧に身体をマッサージするものでした。

 それから、2人一組になって行う「癒し合い」というワーク。掌や腕を揉み合ったり、背中から胸の壇中というツボに気を通したりして、じんわりとした暖かさや柔らかい体感を得ることができます。

 実にわかりやすくて、気持ちのよくなる功法ばかりで、私は今でも武術的気功の合間や運転中、朝の起き抜けや仕事で疲れたときにやっています。
 最近は、4月に赴任した精神病院のデイケアで、早速患者さんたちに教えて体験してもらったら大いに喜ばれました。
 リハビリメニューとしても優れものです。皆さんに是非お伝えしたい。

 そして、いよいよ樹林気功。

 これにも特に決まった型があるわけではありません。
 ただ、お気に入りの樹木の下や森の中に入って、気功をやるだけです。

 大切なのは「自分が具合良くなるために、パワーアップするために樹木から気を取ろう」という姑息な発想ではなく、「樹木・自然の気と交流しよう、お互いにいたわり合い、癒し合おう」という姿勢で臨むことです。
 樹木と自分との「命のつながり」を感じ、共に育ち合う姿勢です。

 そのためには、樹木の所へズカズカと入っていくのではなく、樹木とそれがつくる「気場」に礼節を持って入っていき、樹木に挨拶し、語りかけるような態度で行います。
 実際に
「やあ、楠さん、また来たよ。今日もよろしく」
 と実際に語りかけたっていい。

 私も緑豊かな山梨にいるので、家の近くと少し離れたところに「友達の樹木さん」がいます。

 そこで得る体験は、実に様々、人それぞれですが、樹林気功の集まりの後は、みんな一様に優しい顔になり、気持ちよくなって帰っていきます。
 同時に自然破壊による「自然の痛み」にも敏感にならざるを得なくなり、深い意味でのエコロジカルな感覚が得られるようになります。

 今田氏のいう「いのちひとつらなり」を体感するのです。
 

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May 09, 2009

樹林気功・樹木に癒される

 前記のとおり今田求仁生氏はパリで医療人類学を学びながら、当時ソ連と戦争をしていたアフガニスタンに医療ボランティアの一員として赴きました。
 そこで大変なことに巻き込まれます。

 毒ガス兵器によると思われる被害に遭ってしまい、体はボロボロ、気管支が癌になってしまったのです。
 そこからはご本人唯一の著書「愚者の知恵」(伯樹社)でご本人に語ってもらいます。ちなみにこの本の内容は、今田氏が樹木や自然とのつき合いの達人たち(東大の林学教授で北海道演習林に住み着いていたことで知られた高橋延清氏や「法隆寺の棟梁」宮大工・西岡常一氏など)と対談したものです。引用部分の対談相手は日本最初の「樹医」山野忠彦氏です。読みやすいように適宜改行します。

 何年か前になりますが、国際医療協力のお手伝いに行っておりました際、戦火にまきこまれてしまいました。その時、毒ガスに犯され、九死に一生を得ました。しかし、数年後、このことが原因かと思われますが、肺癌になりました。当時はフランスで研究生活をしておりましたが、友人の医師から、「あと、二、三ヶ月の命だから、君の人生を有意義に生きてくれ」と言われました。そこで、日本に帰って産土(うぶすな)になろう、と考え、帰国いたしました。あと数ヶ月の命なら、子どもの頃、伝えていただいた気功をやってみようと思いました。

 東北の森に行きまして、先生もご存じと思いますが、八幡平から奥の方にブナの原生林があります。そこに潜り込みまして、どうせ死ぬんだからと思い、着ていたものを全部脱ぎ捨てて素っ裸になり、夏から秋にかけて四十日間入っておりました。

 そうしましたら、最初は体が動かなくなってきておりましたが、ある日を境にだんだん動けるようになりました。それまでは寝たら寝たきり、という感じだったのですが、次第に動けるようになり、坐れるようになり、そして立てるようになっていきました。

 ある日のこと、樹木になりきってしまう「站とう功」という気功がありますが、それをやっておりましたら、体内にシャワーンという感じがするんです。これは何だろうか、幻覚でも起きたのだろうかと思いました。つづけてやっておりますと、またシャワーンとくるんです。その時はじめて、これが木霊かと思いました。木霊がスーッと体内に入ってくる。そうすると、それまで痛みがあったのがスッと消えるんです。まるで皮でも剥がすように。その時、はじめてわたしが師から伝えていただいたものは何だったのかと思い至りました。理念では多少のことは知っておりましたけれども、そうではなくて生身で直に感じたといいますか、「あー、そうか、人間と大自然とは互いに癒し合えるんだ」と思いました。

 さらにつづけてやっておりますと、こちらが気持ちよくなると、樹木の方も気持ちがよさそうなんです。

 その後医者にいろいろ調べてもらいましたところ、「癌病巣はない」と言われました。肺癌でも末期の状態だったものが、自然退縮したらしいのです。それ以来、森に行って気功をやってますと、とても気持ちいいんです。

 このような経験を通して、本当に樹木と人間は癒し合えるんだ、森林浴のように、一方的に人間だけが気持ちよくなるという発想ではなくて、人間が気持ちよくなったら、樹木も気持ちよくなるんだ、ということに生身ではたと気づきました。p61~62

 すさまじい治癒の物語です。
 白神山地の奥深く、一人死をも覚悟した山籠もりをしているうちに、ブナの原生林に癌が癒されるという、「究極の自然治癒」といえます。

 もちろんここで、「癌になれば樹のところや森の中で気功をすれば治る」と短絡的に考えて、方法化したりして「商品化」してはなりません。
 今田氏にしても、それまでの長い気功体験や東洋医学の研究で、「功夫(クンフー)=心身の基礎」ができていたからこそ、自然の持つ奥深い力に触れることができ、重い病を退けることができたのだと思います。

 しかし今田氏はこの体験から、樹木との気の交流を通して、人は自然や身体についてほんとうに大切なことを学べると考え、樹林気功を着想します。

 それは当時既に深刻化して今にも至る問題、医療や教育の崩壊、身体性の喪失、環境破壊、暴力の蔓延に対してとても大切なメッセージと技法を発信することになりました。

 

 

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May 06, 2009

樹林気功の師

 私が学んでいる気功法は、王向斎-王樹金という世界最高峰の実力と伝統を継いでいると誇っていいものだと思います。もちろん自分ができるという意味ではないですが。
 その伝統との出会いを作ってくれた我が師には本当に感謝しています。

 現在大成気功と呼ばれるその気功法は、健身や養生の要素を持ちながらも、伝人が武術の達人であったこともあって、基本的に武術の基礎鍛錬のための気功法といえます。

 私は日々それに取り組んでいますが、若い頃はその傍ら自分なりに気を研究すべく、様々なところに出向いていました。その中で、私に深い影響を与えてくれた気功の達人に何人か出会いました。
 そのお1人を、今は消息不明なので(ネットで検索してもはっきりしない)、思い出を残す意味でしばらくここに書き記そうと思います。

 その師は、今田求仁生(いまだくにお)、という人です。

 今では気功をやっている人でも知らない人がほとんどだと思いますが、ある時期、日本の気功のあり方に静かだけど大きな影響を与えたといえる人です。

 80年代末から90年代の初頭、既に日本にはちょっとした気功ブームが起こっていました。
 先進的なカルチャーセンターや武道場では、気功法を取り入れ始め、太極拳は楊名時氏の24式を中心にかなり普及していましたが、太極拳と同時に気功法をもうたい文句にし始めるところが増えていました。

 しかし、そのブームの中で宣伝や参加者たちの姿勢として目立っていたのは人を倒すとか、超能力を得るとか、病気から治るといった「パワー志向」「自分本位」の気功ばかりでした。
 そんな状況下で、今田氏は突如気功界に現れ、自分が強くなるためのパワー志向の気功ではなく、樹木などの自然との気の交流、人との気の交流を通して、「いのちの営み」に気づき、癒し合い、いのちの質を高めていこうという主旨の樹林気功を提唱したのです。

 今田氏は、本来弱い存在である人間が他者とつながり合い、他の生物や自然とつながるためのエコロジカル・エクササイズとしての気功が本来の気功の姿だとしたのです。

 万物斎同、とでもいえ、いのちひとつらなりを訴えておられました。

 今田氏が提唱した樹林気功という言葉は、新鮮な響きを与え、当時出始めた森林浴という考え方ともマッチしたのか、気功業界で取り入れられ、急速に広がっていきました。
 今田氏は、当時日本の気功を先導していた津村喬氏と共に活動したこともあったようで、津村氏が積極的に樹林気功を実践して見せたことも大きかったと思います。

 私は山梨で今田氏と親交のある人たちと出会い(その中に前々記の羽中田氏がいました)、彼らが気功の会を開いて今田氏を呼び、山梨に来ていただいた時に何度もお会いし教えを受けました。

 今田氏は、当時40代はじめ、いつも作務衣に草鞋姿で、たくましい体躯に日焼けした髭面の男性でした。一見おっかないお顔なのですが、眼差しは柔らかく、笑うと深みのあるやさしい表情になりました。
 自然や植物のことに造詣が深く、一緒に山の中にいると「食べられる植物がいくつもあるね」と一目ですぐに分かるようでした。この人と遭難しても大丈夫だ、なんて思ってしまいます。しかし、よくいるアウトドア派というには全く甘く、佇まいや動きはまさに野生の動物という感じでした。
 私は初めて会うなり、「この人はただ者ではない」と確信しました。

 実際日本中の森や山岳を踏破しているといってよいくらいで、ある時お会いしたら、「京都から山梨まで山中を歩いて来た」と聞いたこともありました。
 昔の忍者や山伏や山の民が動いた「裏の道」が日本列島にはあるのだというのです。信じられない話ですが、今田氏を見ると、「この人なら山を越えて日本中歩けるだろう」と納得してしまうのです。

 その今田求仁生とはどのような人か、まず略歴から紹介します。これがまたすごい。

1948年 福岡県生まれ。11才の時から老師に中国拳法、気功、東洋医学の手ほどきを受ける。
1973年 渡仏。クロード・ルフォール国立社会科学高等研究院教授につきメルロ・ポンティ研究。77年ジャック・デリダ国立高等師範学校哲学教授につき「身体概念と言語」について研究。
1978~83年、インド、ネパール、中国にてアーユールヴェーダ、チベット医学を調査研究。パリ大学医学部医療人類学研究所にて、比較医学を研究。
1987年より 樹林気功を提唱。
1988年 ペルーの第2回国際伝統医療会議に出席。
1989年 樹林気功に基づいた「みどりといやしの会」発足。代表世話人。

 なんとポストモダン思想のあのデリダに師事していたとは。 
 それだけでも破格の知的・行動的スケールを感じてしまいましたが、その今田氏がどうして樹林気功を提唱するに至ったのか、その道程がまたすごいので、次回に記します。

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February 04, 2009

甲野古武術の科学性・3

 「構造構成主義とは何か」より、甲野善紀氏の古武術を科学論から評価してみるとどうなるか見てみましょう。

 そして、甲野はその技の改良・進展過程を数十にわたる著書や雑誌、ビデオの中で説明し、また、そして自身のwebサイト(http://www.shouseikan.com/) に克明に記録していることから、「構造化に至る軌跡」を残しているということができる。
 さらにいえば、甲野善紀は一度身につけた技は、場所や相手を選ばずに繰り返し再現できることから、再現可能性は担保されている。また、その技をかけられた人がどのようになるか宣告した上で、実際、技をかけることによりその通りにすることも可能なので、この意味で、予測可能性も制御可能性も担保されているといえよう。

 また、甲野は「稽古会は実験室」と述べているように、・・・・(中略)・・・・その技の有効性は常に現実で試されることから、反証可能性も確保されているといえる。

 以上のことから、甲野善紀の古武術は、再現可能性、予測可能性、制御可能性、反証可能性を満たしており、まぎれもなく人間科学の実践に位置づけることができるといえよう。

 このように一見科学とは見えない甲野氏の武術的実践は、立派に科学の要件を満たしていると考えられるのです。

 こう考えると、これまで人目をはばかるように(?)続けてきた武術の稽古が、「実は科学的営為だったんだ!」「僕も『科学者』だったんだ!」と思えてきてうれしくなりますね。

 そして、甲野氏の古武術が生み出した身体技法が、バスケットボール、野球、卓球、サッカー、ラグビーなどのスポーツから楽器演奏、工学、介護、精神科医のカウンセリング、JAXA(宇宙航空研究開発機構)まで幅広い分野で応用されてきていることから、

 このように領域やテーマを問わず援用(継承)可能なのは、それが「原理」と呼ぶにふさわしいほど抜本的に動き方の質を変更する「理路」を提供しているからに他ならない。

 と普遍性・応用可能性を指摘しています。

 多くの普通の人は、目に見えるものや数値化できるものを語ることが科学的だと思い込んでいるでしょうけど、科学とは「考え方」「現象との付き合い方」であり、武術は科学の原理を満たし得ると知ることは大事なことだと思います。

 甲野氏が研究し、武術の先人たちが作り上げてきた身体技法や思考法は、本質的に科学的精神の賜物なのです。

 長年「非科学的なことをやっている」と思われていた身(被害妄想?)としては、科学とは何かを考えるときに、また理論武装をするときに、構造構成主義科学論はとても参考になり、役に立つような気がしました。

 どういうものか知りたい方は同書をお読み下さい。

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January 30, 2009

甲野古武術の科学性・2

 甲野善紀氏の古武術を、構造構成主義科学論ではどのように捉えることができるのか、「構造構成主義とは何か」から引いてみます。

 それには甲野氏がどのような活動をしていて、発表、発言を繰り返してきたかを振り返る必要がありますが、ここではその余裕はありませんから、すでにみなさん知っているものとします。
 簡単にいうと、甲野氏自身が稽古の中で身体で感じ取り、有効だと見出した「術理」を講座や書籍等を通して積極的に発表し、世に問うて、それに賛同する人たちがそれを介護などの他分野にも応用をして「検証」していきました。
 また、そこから得た甲野氏の「認識論」に共感した識者たち(養老孟司氏、雀鬼・櫻井章一氏、精神科医・名越康文氏ら)が集い、まさにオルタナティブな「共同の文化」を形成しようとしています。

 古武術の身体技法は身体感覚によるものであるため、けして測定、数量化しきれるものではありません。甲野氏は、いいます。

 物量化できないものを、無理に物量化しようとするからおかしくなってしまう。多少なりとも科学的な要素を入れるのは良いでしょうが、とにかくそれですべてを説明しようとすれば、間違った答えが導き出されるのは当然です。

 西條氏は、古武術の身体技法を理解するためには、測定、数量化に依存しない研究法が求められ、「内的視点による構造化(言語化)を軸とする構造構成的質的研究法(SQRUM)が有効な枠組みとなるだろう」といいます。

 これ(SQRUMスクラム)は数量化に依存することなく、日常言語で対象を構造化しつつ、広義の科学性を担保する仕組みである。・・・・
 「現象の構造化」と「構造化に至る軌跡を残すこと」によって科学性は担保可能となる。たとえば、技がどのような構造(原理・しくみ)により成し遂げられているのかを身体言語化していくことが、ここでいう「現象の構造化」(構造構成)に他ならないといえよう。甲野は「武術では自分の中に微妙なシステムをそのつど、つくり上げるわけですが、それは見せようがないし、測りようがない。現実にどういう構造になっているのかは私自身もわかりません。ただ、こういう仮説を立てて研究することで、私の動きの質が変わってきていることは確か」と述べている。これは、内的な構造を明示化することの困難さを認めながらも、その構造(原理)を用いることにより、質の異なる行動ができるようになっている(アウトプットが変化している)という事実を強調しようとしているといえよう。

 構造構成主義において、構造は直接触れることのできる実体を意味するのではない。そして、より有効な構造(技)を構成(探求)していくことが、科学的営為の基本となるとする立場をとる。したがって、実際に見たり触ったりすることのできない仮説的な構造でも何ら矛盾(問題)はない。

 できるだけ生のリアリティーに近い形で構造を取り出す。
 武術のエッセンスを科学化するためのパラダイムが、新しい科学論、構造構成主義というわけです。

 

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January 26, 2009

甲野古武術の科学性

 一時期のブームは収まった感もあるものの、甲野善紀氏が唱え実践する古武術は一般にも知られるようになって、さらに発展を続けているようです。最近は茂木健一郎氏との対談本も出ましたね。
 相変わらず精力的に活動されているようです。

 その甲野氏は著書や講演等で科学批判的な発言が多くされているせいか、多くの人から氏の古武術や豊かな語りの著作等を「非科学的だ」と批判されているようです。

 でも、ほんとうにそう断じてよいのだろうか?

 私は甲野氏の本は何冊も読んできました。お会いしたことはないので、氏の武術の実体を映像以外に見たことはないけれども、その術理は私たちの科学観にも大きな意味を与えてくれていると思っていました。

 最近、科学論、科学思想の分野で注目されているのに「構造構成主義科学論」というのがあります。
 早大出の気鋭の心理学者、西條剛央氏(日本学術振興会特別研究員)が中心になって唱えているものです。

 心理学は科学性とは何かが常に問われてきた歴史を持つのですが、そこから出てきた新しい科学論といえます。
 心理学の場合は特にそうですが、社会学や教育学、医学など多くの「人間科学」には様々な形の深刻な「信念対立」があります。
 「私の学派、理論こそが正しい(あの学派は間違っている)」「あの心理学は非科学的だ(これこそが科学だ)」等々。
 関係者はお互いに批判し合ったりして、みんな心当たりがあるはずです。

 そのような諸学問間の信念対立をどのように考え、解消したらよいかの理路を提供するものとして注目されているのが構造構成主義です。。

構造構成主義(こうぞうこうせいしゅぎ、英語表記:structural-constructivism)とは、人間科学における信念対立を超克し、建設的コラボレーションを促進するために西條剛央によって体系化された最先端の現代思想である。構造構成主義の思想的源流には、フッサール竹田青嗣現象学ソシュール言語学丸山圭三郎記号論池田清彦構造主義科学論ロムバッハ構造存在論がある。(Wikipedia

 何だかとても難しそうですが、西條剛央氏の「構造構成主義とは何か」(北大路書房)を読むと、科学を巡る現代思想や心理学など諸学問の歴史や課題、氏の提唱する構造構成主義についてとても明確に述べられています。

 その中で「構造構成主義による甲野善紀流古武術の基礎づけ」という一節があり、甲野古武術の「科学性」が論じられています。

 西條氏は、甲野氏の発言がなかなか科学的と思われない現状を批判して、

 こうしたことから、甲野善紀の古武術を学的に基礎づけるためには、新たな学問体系が求められるといえよう。
 私は構造構成主義こそ、甲野の指摘する新たな学問の体系の礎となりうると考える。甲野の根本的な態度や考え方は、構造構成主義と高い類似性がみられる・・・・。

 と述べています。
 甲野氏がいくら類い希な高度な技を衆目の前で披露しても、その価値を認めず、インチ扱いをする態度こそが、まったく非科学的であるといいたいようです。

 それではなぜそのような態度になるかといえば、そういう人は、目の前で立ち現れている現象ではなく、現代スポーツの常識(理論)を先験的に正しいものとして措定しているためであろう。甲野(2003)は、科学の実態を「事実よりも学説が、いわば教典として優先する」と指摘しているように、多くの人は自分の知っている「常識」を絶対視してしまうため、その常識にあてはまらない(計測・解釈・理解不可能な)コトには目をつむってしまうのである。

 ここでは構造構成主義とはどのようなものかは説明せずに、結論のみ抜粋して紹介します。
 関心を持たれた方は、お勉強をして下さい。

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