ゴールデンウイークも10連休も、客商売の自営業には不要です。ぼちぼち予約はありますが、いつもより大分少ないので、商売上がったりです。クライエントさんたち、カウンセリングなんか来なくて元気に遊んでくれているのならそれはそれでいいですけど、なんか変な気を使ってくれる人もいるみたいで、「先生もお忙しそうだから、悪いから」と遠慮して入れない人もいるみたいです。気を使ってくれなくて全然いいのですけどね。
さて、少し前に紹介した甲野陽紀著『身体は「わたし」を映す間鏡である』(和器出版)では、身体と言葉の深遠なつながりを学べます。甲野さんの仕事の素晴らしいところは、武術とかスポーツとかの特殊、専門的な動きではなく(それにも役立ちますが)、日常生活の何気ない動作を通して、「新しい身体の経験」を体験できることです。
「注意の向け方」と「身体の動き」がどのように関係しているかを、甲野さん独自のワークを通して知ると、みんな一様に驚き、笑い声をあげます。その様子が楽しいので、私もスクールカウンセラーの勤務先の学校でメンタルヘルスの授業を頼まれて、試験の時の緊張対策を甲野さんに質問して教えていただいたやり方をやって、大いに盛り上がりました。
例えば、相手に普段通りに立ってもらって、こちらは身体を左右に揺らして安定感を確認してもらいます。その後、「その立ち姿勢のまま、注意を指先に向けてください」と伝え、そうしてもらって再度身体を揺らすと、安定感がはっきりと増すはずです。ちょっとした注意の向け方で、身体の安定度がとたんに変わるのです。注意の向ける先は、指先以外にいろいろあると考えられています。
本書の後半にそれらのワークの発展形として、お盆のワークがあります。
二人が差し向いに一つのお盆を手に持って立ってもらいます。そして一方の人がお盆を前に出します。軽く押すわけです。もう片方の人は、自分に向かってくるお盆を受け止めます。それだけです。
その時、押す役の人は次のように心の中でつぶやいてからお盆を出します。
A 自分が持っているお盆を出す
B 相手が持っているお盆を出す
C 相手と持っているお盆を出す
やってみるとわかると思いますが、AとBでは、押すと相手からの抵抗感を感じて押せない、止まってしまう、こちらが相手より力があってもなんかスムーズでない感じがすると思います。
ところがCは、「あれ?」というくらいスムーズに押せます。相手の踵が浮いて、後ろに軽く飛んでしまうこともあるかもしれません。なんか武術の達人になったみたいです。
ある動作をする時に、どのような言葉を考えるだけで動きの質は大きく変わることを体感できます。
甲野さんは、「ある物事を表現するコトバ(文章も含みます)が変わると同時に、自分の中の認識や物との関係性も実は変わってくるのです。ここが「コトバ」と「身体」の関係のとても興味深いところです。 p186」と述べています。
アドラー心理学でいう「認知論」の原初的な表現がここにあるように思われます。さらに、AとBのように、自分あるいは相手に注意が向いているときは動きがスムーズでないのに対して、Cのように相手と共有しているところに注意を向けると動きが良くなるところはとても興味深いところです。これについて甲野さんは、
「つまり、そのお盆は相手と自分が共通して持っている物であり、相手のものとも自分のものともいえない中立的なもの」であり、「注意は自分や相手の一方に偏ることなく、その両方の共通項であるお盆そのものに向かう」ことがポイントと言ってます。
つまりこの場合のお盆が、自分と相手との「間(ま)」になります。ここに注意を向けること。相手と対したとき、私たちは通常見えるもの、操作の対象となるもの、つまり自分か相手に注意が向いてしまうものです。しかし、過剰に一方に向けすぎると動きは効率的ではなくなってしまいます。
「間にある「共通のものに注意を置く」と、動きの質がいい意味で変わってくるのです。 p193」
甲野さんは、この原理は、具体的な物を動かすだけでなく、人間関係にも敷衍できるのではないかと推論しています。
「相手でもあり自分でもあるもの。共有しているものを動かしてみよう。共有しているものを動かすなら二兎を得るということになるのではないか! p207」
例えば親子関係ですれ違ったようなとき、「二択じゃない、三択目があるよと「ま」を示してあげる」ことを提案しています。
「物事と物事のあいだに、ある関係を見出そう、とらえようとした人だけに見えてくるもの、ともいえますから、その「ま」の性質を理解すればするほど見えてくるもの、… p210」
家族療法のシステム論やアドラー心理学でいう「人間関係論」そして、「課題の分離」の「共通の課題」の意義を考えるときに大いに参考になると思いました。
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