July 13, 2019

TFTを復習

 昨日夜、TFT(思考場療法)の第一人者、森川綾女先生(TFTセンタージャパン)が来県、山梨精神医学研究会という集まりで講演をしました。

 TFTは、問題や症状を意識しながらツボをトントン叩くことで、トラウマ記憶の不快感や不安やイライラ、怒りの感情を解消させてしまう画期的な心理療法です。画期的過ぎて、これまでの心理療法の常識とかけ離れていたために、なかなか理解されずにきています。しかし、今確実に広がってきているようです。実際に日本の自然災害や世界の戦場の現場で大活躍している様子を、森川先生が報告してくれました。TFTの専門家は、国連の活動にも積極的にかかわっているそうです。

 臨床心理士や公認心理師にとって、トラウマケアといえばEMDRですが、私はTFTの方が面白いと思って、まずこちらから学ぶことにしました。既に中国武術をやっており、当然経絡やツボについては人並み以上に詳しかったので、「これはいけるんじゃないか」という直観が働いたからでもありました。気功やツボの指圧には心理的な効果もあるはずだと、習っていると感じる人は多いのですが、それを実際の心理療法にもっていくにはなかなか難しいところがありました。

 それをTFTは、キャラハンという心理学者によって斬新なアプローチで実現させたのです。

 私はずいぶん前、TFTが日本に紹介され出した辺りだから10年か15年以上前か、覚えていないくらい前に森川先生から習ったのでした。まだ今みたいな組織化もされていなかったのか、当時は先生のご自宅で、5,6人だけの小さなワークショップでした。

 習ってみたら「これは面白い!」と感銘しました。児童相談所、精神病院、スクールカウンセリング、開業など自分の臨床の場は変わっていきましたが、どこでもどんどん使ってみました。うまくいくこともいかないこともありましたが、その切れ味のよさに驚くことも少なくありませんでした。

 もっと学びたかったのですが、私は限られた時間的、金銭的リソースを、アドラー心理学やブリーフセラピーの学びに投入していったので、TFTの上級コースに進むことはありませんでした。進んでいたら、また違った立場になっていたかもしれません。

 結局EMDRは今も学んでいません。習うにはお金がさらにかかるし、なんか今そのセミナーの予約を取るのも大変みたいなので、自分は取らないで、必要なクライアントさんが出たら、県内で既に資格を持っている先生にオファーするつもりです。

 出た当初は際物扱いだったTFTは今や研究が進み、アメリカ政府のエビデンスの認証機関SAMHSAに、次のものに効果ありと登録されているそうです。

「個人のレジリエンス、自己概念、トラウマ関連の障害と症状、抑うつとうつ症状、恐怖症、パニック、全般性不安障害とその他の症状など」です。

 ただ森川先生もおっしゃってましたが、TFTは「心のとげ抜き」と呼ばれるように、マイナスをニュートラルに持っていくことはできても、プラスを増やすことはできないのです。不登校の子が学校への不安を解消できても、不登校自体が治るとは限らないのです。やはり症状には目的や機能があるからです。

 自信やパフォーマンスを上げるための方法もTFTにはあるようですが、やはりそこはアドラー心理学やブリーフセラピーのようなものが適切だろうと思います。だからアドレリアンには使える技法なのです。

 とにかく、県内の主な精神科病院や公的機関の職員が集まる同研究会でTFTが紹介され、精神科医、看護師、作業療法士、心理士など多職種の皆が一斉にトントンと自分のツボを叩いて実習する姿は感慨深いものでした。

 武術・武道家で心理療法やカウンセリングに関心のある人は、TFTは是非身につけてほしい技法です。根性論とは無縁の世界ですよ。

 日本TFT協会

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July 01, 2019

日本アドラー心理学会甲信越地方会に参加

 前記事で日本のアドラー心理学の分裂状態を嘆きましたが、実は「下々」は勝手に動き出しています。

 日本個人心理学会の設立がまずその流れです。

 そして昨日6月30日(日)、私は日本アドラー心理学会第3回甲信越地方会に行ってきました。

 同学会の催しに出向くのは、なんと約20年ぶりの参加です。実は私は元会員です。いろいろあって、長い長いブランクがありました。

 それなのになぜ、今回参加したかというと、同学会員の方で私の講座に参加してくれた人がいらっしゃって、何度も熱心に誘ってくれたので意を決して参加したのです。大雨の中、甲府から車で中央道、圏央道、関越道をひた走ること、約3時間半。会場は湯沢温泉のホテルでした。

 行ってよかったですね。

 まさに退会以来、20年ぶりくらいに再会した人たちもいて、お互いの近況を語り合いました。私の本を読んでくれて、挨拶に来てくれた方もいました。皆さん、温かく受け入れてくれました。

 午前中の公開講座では、アドラー仲間の鈴木美穂子さんの講演会「幸せな結婚~アドラー心理学的支援ー「なんで、結婚しないの?」とい言わないで!ー」がありました。鈴木さんはヒューマン・ギルド会員で勇気づけ講座ELM開発者の一人、日本個人心理学会の仕事も協力してくれていてます。現在、婚活関係のカウンセラー、講師などで活躍しています。そのため、ヒューマン・ギルドや日本支援助言士協会などでお会いした仲間も多数参加していました。鈴木さんを応援するためでしょう。

 鈴木さんは現代の婚活事情、男女のコミュニケーション、アドラー的には愛のタスクについて、すごく面白く、役に立つ内容を次々と話してくれ、会場は笑いで盛り上がりました。カリスマホストが新入りを指導するときに使うという男女の会話のコツも教えてもらって、「なるほど~」と私もすごく勉強になりました。これをもっと若い時に知っていたら・・・。

 午後は一か月前、共に北米アドラー心理学会に行った梶野真さんが登壇、サビカスのキャリア理論について紹介していました。

 もはや東も西もない状況でした。いいですねえ。

 日本個人心理学会ができたことで、新たな軸が生まれました。既に日本アドラー心理学会の会員も何人も入会してくれているようです。アドラー心理学ファン、学徒はより自由に行き来できるようになる予感がしました。

「アドラーリーグ」が活性化することになるでしょう。

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June 29, 2019

アドラー業界の解決策

 先日、アドラー仲間で一緒に本を出したこともある橋口誠志郎さんがブログで、 「アドラー心理学業界が『割れている』のは共同体感覚に反するのかどうか」問題を皮肉を利かせてつぶやいておられた。

 そうなんだよねえ。

 一般的には良いイメージにはならないでしょうね。

 良く考えれば、いろいろあって結果的には、一つの色に染まらずに多様性が増したとはいえるかもしれません。

 こうなったのも、人の世にはありがちなことではあるし、よその学会でもよく聞くから不思議ではないけれど、理想主義的な色合いがあるアドラー心理学としては、なんとかならないかと思うところでもあります。

 でも、答えは簡単。

 謝ればいいのです。

 どっちが?

 もちろん、いちゃもんをつけたほうですよ。

 それができれば、長年固まっていた事態が動き出すでしょう。

 できるかなあ。

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June 24, 2019

セルフ・タスクとスピリチュアル・タスクへのいざない

 6月22、23日(土日)、日本支援助言士協会主催の「アドラー心理学ファンのための現場で使える!アドラー夏合宿」に行ってきました。私は一応講師の一人ですが、一参加者でもあります。もう既に4回目になるこの企画、私はすべての回に招かれ、講師をさせていただいています。

 アドラー心理学を学ぶ仲間が集い、2日間に渡って研修、ワーク、ディスカッションを繰り広げ、そして楽しい宴会と実に濃い時間でした。

 今回の講師は、1日目は私と、八巻秀先生(駒澤大学教授、SYプラクティス)、2日目は協会鶴田恵美子理事長、佐藤泰三理事。その様子は八巻先生の記事日本支援助言士協会FB佐藤さんのFB記事にあります。

 私は開始早々のトップバッター、今までいろいろやってきましたが今回のテーマは、「セルフ・タスクとスピリチュアル・タスクへのいざない」。アドラー心理学のライフタスク論の中で、比較的新しいものでありながら、これまであまり表立って語られることが少なかったものだと思います。今回私も初めてチャレンジしました。おそらく協会としても、日本のアドラー心理学シーンでも、珍しいことだったかもしれません。

 ですから思い切って、私なりの問題提示とワークを試してみました。なかなか難しい内容だったかもしれませんが、参加者の方にはおおむね好評だったみたいで、その後2日間の通奏低音になったように感じました。八巻先生まで、臨床には「絶対的Pとの対話」が必要というヤバい内容を出していました(笑)。関心のある方は先生の講座を受けてください。

 内容や文脈を説明しないままでは読者にはわかりにくいと思いますが、私がそれらの結果、今考えていることは、

・セルフ・タスク、スピリチュアル・タスクは、『ホモデウス』のハラリが説くごとく、人間存在の根底が変わりつつある現在、また人が不死と神を目指して、幸福だけを追求するようになる未来、今後ますます重要性を増すテーマになる。

・セルフ・タスクは、セルフケア、ストレスマネジメントの認知行動療法から、アドラー心理学のライフスタイル論、共同体感覚論、フロイト、ユングなどの力動心理学勢、哲学、社会学など幅広い分野を関連させながら、「私は誰か?」という究極の問いに対して考えることである。しかし、正解はない。

・「あだ名」は、自分は~であるという自己イメージと、他者から見た自分のイメージの相互作用(時にはズレや戦い)の結果生まれた物語である(懇親会であだ名で盛り上がったのです)。

・スピリチュアル・タスクは何も霊とか宗教とかだけのことではない。アドラー心理学のスピリチュアル・タスクの定義には、「コミュニティ」も入っている。一般のスピリチュアル文化は、上に上に天に昇りたいとする意識であり、ユング心理学は下へ下へ深層に降りて行ってたどり着こうとするイメージとすれば、アドラーのそれは横に横に広がりながらドーム状に、最後に球状に広がっていこうとするイメージかもしれない。

・唯物論も科学主義も、日本人特有の折衷主義、ご都合主義(クリスマスの後の初詣みたいな)も、その人のスピリチュアル・タスクへの回答の仕方といえる。しかし、スピリチュアル・タスクは、「身の回りの空気を説明せよ」というくらいその人にとって当たり前すぎて、無自覚すぎて、意識化するのが難しいタスクでもある。そして、結局はその人の「妄想体系」に過ぎず、やはり正解はない。だから、アメリカのアドレリアンもスピリチュアル・タスクについて提示だけして、あまり具体的には論じにくかったのかもしれない。

・他のライフタスク(仕事・交友・愛)と同じく、人はスピリチュアル・タスクに対して得意・不得意があるだろう。みんなが仕事のタスクが充実しているわけでもなく、必ずしもその必要がないのと同じように、全ての人がスピリチュアル・タスクに取り組まなければならないというわけでもない。

・日本人のスピリチュアリティを考える上で、これから注目すべきは神道、とりわけ古神道であると思われる。神道的世界観は、古代に仏教が入り、近世にキリスト教が入り、近代に西洋科学主義が入っても全く占領されず、消えなかった。むしろそれらを同化させ、今でも生き生きとしている。例えば先の折衷主義もパワースポット巡りもそうだし、どんな合理主義者も、アパートの「事故物件」には住みたがらないものだ。これは霊や穢れの観念をその人も持っていることを示しているだろう。

 なんて感じです。

 これからも少々このテーマを考えて、さらに良い論、ワークを出していきたいと思いました。

 参加者の皆様、楽しかったです。ありがとうございました。

 

 

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June 15, 2019

北米アドラー心理学会に参加

 少し日が経ちましたが、第67回北米アドラー心理学会の大会に参加した様子をお伝えします。

 アリゾナ州の都市、ツーソンで5月30日(木)~6月2日(日)の4日間、最初と最後の2日はワークショップで、5月31日と6月1日は発表と講演会でした。私は2日間の発表と夜の懇親会だけ参加して、あとは観光してました(笑)。観光の様子は、前々記事で報告させていただきました。ツーソンはとにかく、暑く、乾いていました。メキシコ国境に近いだけに、景色だけでなくメキシコテイストの建物、食べ物、そして人々が目立ちましたね。

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 受付です。会場はアリゾナ大学の隣にある、マリオット・ユニバーシティー・パークという大きいホテルで、ほとんどの参加者は私も含め、そこに泊まりました。

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 受付のホワイトボードにあるウエルカム・メッセージ。手作り感がありますね。アドラー心理学関係の本やグッズも売っていて、私はTシャツを買いました。

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 ポスターセッションの様子です。やはり若い学生さんが出していました。トラウマ、発達障害、マインドフルネス関連が多かったようでした。アニメのヒーローについて論じているのもありました。

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 懇親会で、今年始めに二度目の来日をされたマリーナ・ブルヴシュタイン先生のスピーチ。

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 そのマリーナ先生、同行してくれた梶野さんと。私は安っぽい中米のチンピラみたいな恰好になってしまってますな。屋内は冷房が効いて寒いくらいなので、上着が必要に感じました。

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 昨年4月に来日された、早期回想のエキスパート、アーサー・クラーク先生にも再会して大いに喜び合いました。

 パーティーの後は、梶野さんが持ってきてくれた日本酒数本を囲んで「Sake Party」をホテルのテラスでしました。日本酒好きのアドレリアンもいて、初めて飲む方に解説してくれていました。

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 左端が前会長のジョン・スペリー先生、私の左がアドレリアン・アート・セラピストのクレイグ先生。アドラー心理学のテキストで知ったお名前の先生たちをたくさんお見かけして、その何人かには挨拶させていただきました。

 3次会は街のにぎやかなパブに繰り出しましたが、さすがに私は英会話の実力が追いつかず、早々にホテルに戻って休みました。

 発表は朝8時から,という日本では早い時間からスタート、それほど大きな学会でありませんが、同時間帯に3~5つの発表がありましたね。アドラー心理学に基づいたトラウマケア、プレイセラピーがあったり、とりわけマインドフルネス瞑想がここでも流行っているようで、3つ、4つの発表がありました。

 その流れか、毎朝午前6時半にはヨガ教室が開かれていました。私は寝てて不参加。

 招待講演では、アリゾナ大学で統合医療を研究、実践している先生が登壇されて、思春期の不安の治療にエビデンスのある方法として通常の医学的方法の他に、鍼灸やボディーワーク、サプリメントなどもどんどん取り上げていました。アメリカはここまで統合的にやっているのかと、印象深かったです。

 また、アドラー心理学のエビデンスを出そうという研究報告もありました。

 私がのぞいた発表のタイトルだけメモします。

Trauma, Community Feeling & Resilience

Counseling Parents of Children With Severe Disabilities

Heatfulness : Cultivating Community Feeling Through Mindfulness

Adlerian Family Counseling : A demonstration (いわゆるオープンカウンセリング。実際のボランティアの家族にジェームズ・ビター博士がやって見せてくれました)

Number One Priority / Top Card

Evidence-Based Adlerian Therapy: The Future is Now

Classical Adlerian Depth Psychology

A Trauma Narrative Treatment: Recreating Self-Identity and Social Connectiveness For Trauma Victims

Various Purposes of Addctions : Applying Teleology in a New Era of Brain-focused Addiction Science

 資料やスクリーンを見ながら一生懸命聞いていたけど、残念ながら私にはまだ十分に聞き取れなかったところもありました。次の英語の勉強の動機づけになりました。おおよそはわかったかな。でも、アメリカのアドレリアンたちの動向、問題意識を知ることができたのは収穫でした。

 皆さんとてもフレンドリーで、やはりアドラー心理学を学ぶ人たち特有の温かみを感じましたね。今度行くときは日本酒を持っていくだけでなく、発表できるように、実践と英語をがんばろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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June 10, 2019

心理臨床学会でアドラー自主シンポジウム

 アメリカの報告の前に直近の報告を。6月9日(日)、パシフィコ横浜で行われた日本心理臨床学会第38回大会で、アドラー心理学の自主シンポジウムを無事開催しました。

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 6月6日から始まった4日間もある日程の最終日の最後の時間帯で、いまだマイナーなアドラー心理学を聞きにどれだけの人が来るか心配でしたが、蓋を開けてみると会場いっぱいの40人を超える人が来てくれました。それほど広くはない会場なので、びっしりでした。

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  同学会でアドラーの自主シンポをやるのはこれで5回目になると思うのですが、これまでで一番多いのではないかと思います。回を重ねるごとに増えているかもしれません。

 司会進行は私、アドラー心理学に初めて触れる人のために全体像を説明しました。

 続いて山口麻実先生(東京都スクールカウンセラー)による実践報告。スクールカウンセリングの中で、どのようにアドラー心理学を実践しているかわかりやすく説明していただきました。会場にはスクールカウンセラーさんが何人もいたみたいで、フロアからの質問もありましたね。

 そして浅井健史先生(明治大学)から、アドラー心理学の実践思想としての共同体感覚について、先生独自に作られたモデルを通して説明され、長年続けてこられた勇気づけ研究と、開発しつつある新しい勇気づけプログラムについての紹介がありました。専門性が高く、フロアからの関心も高かったようです。

 最後に箕口雅博先生(立教大学)の指定討論、話題提供者への質問と、アドラー心理学とご専門のコミュニティ心理学の共通性と統合の可能性について説明していただきました。コミュニティ心理学は既に臨床心理系の大学院では授業等に入っているところも多く、専門家の認知も進んでいるので、アドラー心理学と重ねていただいたことで、フロアの方々の理解も深まったと期待できます。

 終わってみれば2時間はあっという間でした。

 新しい学会もできたことだし、地道に毎年こういう活動は続けていった方がいいと改めて実感しました。

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June 07, 2019

ツーソンから帰還

    私としては、長いこと更新していませんでした。

 5月29日~6月5日まで、アメリカのアリゾナ州ツーソンという都市にいました。私にとっては4度目の訪米。今回は、北米アドラー心理学会に参加するためです。この学会には2回目の参加になります。別に自分が発表するわけではないのですが、3年前にミネソタ州ミネアポリスでの大会に参加したときに、その雰囲気がとても良くて、また行きたくなったのでした。同行の士は今回もミネソタのアドラー心理学大学院を卒業された梶野真さん、彼がナビゲーター兼通訳的役割を果たしてくれてとても助かりました。頼りない旅の友で申し訳なかったです。

 学会の話は追々するとして、旅の見聞録を。

 成田空港からロスアンゼルス経由でツーソンへ、合計13時間ほどのフライトでした。

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 ツーソンはアリゾナ州南部の砂漠に囲まれた街で、とにかくとても暑かったです。外気温は30度後半から40度を超えていたようです。

 焼けつくような暑さですが、空気はドライなので日陰は涼しかったです。

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 サボテンが大きくてびっくり。

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 フリータイムにツーソン郊外のサビノキャニオンということろに行きました。たくさんのサボテンと枯れた大地、水を携行していないと乾ききってしまいそうでした。ツーソン市民のピックニックコースらしいですが、なかなかハードです。

 いろいろな種類のサボテンが原生していて、アドレリアンで多肉植物好きのS先生ならきっと喜ばれるかもしれません。

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 アリゾナ・ソノラ・デザート・ミュージアムというところにも行きました。

 ソノラ砂漠の中に忽然とある博物館です。砂漠を歩く体験もできますが、子どもや家族も楽しめるように動物園や屋内展示施設も充実していて、なかなか勉強になりました。

 砂漠は死の土地ではなく、実に多様な爬虫類、植物、プーマやクマなどが生きる場所だということがわかりました。

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 学会会場のホテルは私たちも宿泊したのですが、その隣がアリゾナ大学。ここも素晴らしく美しく、広大なキャンパスでした。

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 この中にアリゾナ州立博物館があって、アメリカ先住民、インディオの歴史が詳しく展示されています。

 昔はたくさんの先住民の部族がこの一帯で生活していました。彼らの豊かな文化と、侵入してきた白人との壮絶な戦いの歴史をうかがい知ることができました。

 私は若い頃、インディオの歴史や、人類学者カルロス・カスタネダの本などからシャーマニズムにも関心があったので、名前だけは知っていたジェロニモとかホピ族とかの実際の道具や写真を見ることができて、大変興味深かったです。

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 アメリカですから、食べ物はなんでもでかい。アジアンレストランに入って、ラーメンを頼んだら、とても辛い焼きそばが出てきました。間違いではなく、ここではそういうものだそうです。

 ステーキやメキシコ料理、そして日本料理もいろいろ楽しみましたね。

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 これは日本料理店で注文したマグロ丼。左奥にはアボカドがびっしり。最初は美味しかったけど、量が多くて飽きてきて食べきれなかったな。

 学会の内容は次回以降に。

 まだ時差ボケっぽいですが、日本心理臨床学会が始まっているので、これから横浜に出かけます。

 6月9日には、アドラー心理学の自主シンポジウムを仲間とします。アメリカ学会の成果が出るといいのだけど。

 そんなんで、この二週間まったく仕事をしていません。

 更新もそれ以降になるでしょう。

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May 29, 2019

旅に出ます

 なかなか更新がままならない中で、ちょっと長期の出張に行ってきます。

 行先はなんとアメリカ。

 また戻ってきたら報告します。

 朝の甲府発の高速バスで成田へ。もう出なきゃ。

『旅先で役立つかんたん英会話』みたいな本、空港で買わなきゃ(遅い)。

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May 19, 2019

論理と勇気

 内田樹先生がブログで、文科省の「論理国語」という新しい科目を批判して、とても重要な考えを説明しています。

 論理的であることは、その先の飛躍、跳躍を果たすためであり、そのためには「勇気」が必要である。教育の目的は、子どもに「勇気」を育てることである、という主張です。

論理は跳躍する

 まったくその通りで、強く同意します。

 論理を突き詰めて開ける世界とは、単純な因果律に従うことではなく、飛躍、跳躍をすることです。そこでは失敗するリスクを引き受ける必要、すなわち勇気があります。

 アドラー心理学的教育論とばっちり符合します。

 ただ、あえて言わせてもらえば、内田先生、「勇気」を言いながら、ここでもフロイトを例にとりだし、「勇気の心理学」アドラーへの言及は全くありません。別にフロイトだっていいけれど、まったく知らないというのはどうなんだろうという気がしてなりませんね。あるいは知っていてもフロイトの威光に逆らえないのでしょうか、あるいは、どっかのアドレリアンと何かあったのか。仲良しの名越康文先生はれっきとしたアドラー派出身ですけど、彼との対談本でさえフロイトしか持ち出さなかったですからね。

 リベラル派知識人はいまだにフロイトが好きであり、それが限界という気がいつもしています。

 跳躍したのは別に「死の本能」のフロイトだけでなく、「共同体感覚」のアドラーや、影響力という点では「条件反応」のパブロフやスキナーの方が絶大です。知識人には精神分析学が高尚で、アドラーや行動科学のような実際的な心理学が嫌いなのかもしれません。

 思わず、内田先生をdisってしまいましたが、主張は素晴らしいのでご一読ください。

(引用始め)

論理的にものを考えるというのは「ある理念がどんな結論をみちびきだすか」については、それがたとえ良識や生活実感と乖離するものであっても、最後まで追い続けて、「この前提からはこう結論せざるを得ない」という命題に身体を張ることです。
 ですから、意外に思われるかも知れませんけれど、人間が論理的に思考するために必要なのは実は「勇気」なのです
 学校教育で子どもたちの論理性を鍛えるということをもし本当にしたいなら「論理は跳躍する」ということを教えるべきだと思います。僕たちが「知性」と呼んでいるのは、知識とか情報とか技能とかいう定量的なものじゃない。むしろ、疾走感とかグルーヴ感とか跳躍力とか、そういう力動的なものなんです。
 子どもたちが中等教育で学ぶべきことは、極論すれば、たった一つでいいと思うんです。それは「人間が知性的であるということはすごく楽しい」ということです。知性的であるということは「飛ぶ」ことなんですから。子どもたちだって、ほんとうは大好きなはずなんです。
 
 今回の「論理国語」がくだらない教科であるのは、そこで知的な高揚や疾走感を味わうことがまったく求められていないことです。そして、何より子どもたちに「勇気を持て」という論理的に思考するために最も大切なメッセージを伝える気がないことです。
 そもそも過去四半世紀の間に文科省が掲げた教育政策の文言の中に「勇気」という言葉があったでしょうか。僕は読んだ記憶がない。おそらく文科省で出世するためには「勇気」を持つことが無用だからでしょう。
 官僚というのは「恐怖心を持つこと」「怯えること」「上の顔色を窺うこと」に熟達した人たちが出世する仕組みですから、彼らにとっては「勇気を持たなかったこと」が成功体験として記憶されている。だから、教育の中でも、子どもたちに「恐怖心を植え付ける」ことにはたいへん熱心であるけれど、「勇気を持たせること」にはまったく関心がない。それは彼ら自身の実体験がそう思わせているのです。「怯える人間が成功する」というのは彼ら自身の偽らざる実感なんだと思います。だから、彼らはたぶん善意なんです。善意から子どもたちに「怯えなさい」と教えている。「怯えていると『いいこと』があるよ。私にはあった」と思っているから。
 でも、知性の発達にとっては、恐怖心を持つことよりも勇気を持つことの方が圧倒的に重要です。
「勇気」というのは、知性と無縁だと思う人がいるかも知れませんけれど、それは違います。スティーヴ・ジョブスはスタンフォード大学の卒業式で、とても感動的なスピーチをしました。いまでもYoutubeで見ることができますから、ぜひご覧になってください。その中でジョブスはこう言っています。
The most important is the courage to follow your heart and intuition, because they somehow know what you truly want to become. 「最も重要なのはあなたの心と直感に従う勇気を持つことである。なぜなら、あなたの心と直感はなぜかあなたがほんとうに何になりたいのかを知っているからである。」
 ほんとうに大切なのは「心と直感」ではないんです。「心と直感に従う勇気」なんです。なぜなら、ほとんどの人は自分の心と直感が「この方向に進め」と示唆しても、恐怖心で立ち止まってしまうからです。それを乗り越えるためには「勇気」が要る。
 論理的に思考するとは、論理が要求する驚嘆すべき結論に向けて怯えずに跳躍することです
「論理が要求する結論」のことを英語ではcorollaryと言います。日本語ではこれを一語で表す対応語がありません。僕はこの語を日本の思想家では丸山眞男の使用例しか読んだ記憶がありません。でも、これはとても重要な言葉だと思います。それがどれほど良識を逆撫でするものであっても、周囲の人の眉をひそめさせるものであっても、「これはコロラリーである」と言い切る勇気を持つこと、それが論理的に思考するということの本質だと僕は思います。

(引用終わり)

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May 11, 2019

アドラー心理学は宗教ではないが

 前記事で、心理臨床家はいわゆるスピ系や宗教について、同意はしなくても理解はしておいた方がいいということ書きましたが、実はアドラー心理学を宗教のように扱うのは反対です。

 アドラー心理学の理論や技法は、何も特別のものではなく、既存の臨床心理学の大部分と連携可能であり、別の立場からも十分に接近可能なものです。ところがまだその辺が、日本では未開拓でした。この辺を、私は公認心理師や臨床心理士の世界で活動していきたいと思っているところです。これはこれまでのいわゆるアドラー心理学ムーブメントでは、先ず届かないところです。実際、ここ40年近く、日本のアドラー心理学はその分野で、まったくといっていいほど目立った貢献はありませんでした。むしろ外部からは、排他的な印象があるとよく聞きました。

 つい最近まで、専門家のほとんどがアドラー心理学をろくに知らなかったのがその証拠です。その点で、岸見一郎先生の功績は偉大です。けしてN先生ではありません。

 ではスピリチュアリティ―や宗教的なものと無縁かというとそうでもないところが、アドラー心理学の面白いところで、ユング心理学みたいに宗教どっぷりでもなく、精神分析学みたいに宗教批判でもなく、認知行動療法みたいに宗教を科学するわけでもないのです。

 スピリチュアリティや宗教的なるものと日常の心の在り方を結ぶ働きが、アドラー心理学にはあるように思います。もちろん、「全体論」や「共同体感覚」がそのキーワードにはなるでしょう。

ここをどう表現するかが、考えどころです。

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