April 13, 2018

『太極拳全』再版!

 我が師による太極拳の基本テキストが長らく絶版中でしたが、この度再版されました。
 
 
 私は20歳のころからかれこれ30年以上、正宗太極拳99勢という長い太極拳を学んできましたが、全然飽きないでいます。1920年代、南京中央国術館において、当時の太極拳の有名流派を統合してできた太極拳で、いわゆる伝統拳のエッセンスが詰まった素晴らしい型です。健康によいのはもちろん、護身術としても完成度が大変高いといえます。
 
 私が始めたのは若い頃だったので、別に健康志向ではなく、ひたすら強くなりたい一心でいた時に出会いました。特別熱心な生徒ではありませんでしたが、太極拳をすることで得られる気持ちよさと武術的効果が気に入って、今に至っています。
 
 50を超えた最近はさすがに強くなるのはどっちでもよくなって、健康志向寄りになっていますが、このまま死ぬまでこの太極拳を練っていくことになるのでしょう。
 
 一生できるのが太極拳のよいところですね。
 
 本書はその基本テキストです。
 
 売り切れ中の時期は、Amazonのマーケットプレイスでなんと2万円にもなっていましたが、ようやく適正価格で買えるようになりました。
 
 本書だけで太極拳をマスターすることはできませんが正宗太極拳の連続写真や、その歴史、技の解説と内容が豊富で(その分厚いですが)、前記事の王樹金老師のお写真もたくさんあり、資料的価値の高い本です。
 
 「本物」に関心のある方、是非ご覧になってください。
 
 

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April 09, 2018

達人は達人を知る

 フルコンタクト空手の元祖、老舗といえばいわずと知れた極真空手ですが、その中でも現在の極真空手道連盟極真会館館長・盧山初雄氏は最も知られた人でしょう。
 
 若き日は必殺のローキックであまたの試合に勝ち抜き、栄光を得ながら、極真空手以外にも積極的に学び、強烈な剛の空手で知る人ぞ知る中村日出夫氏(甲府に道場を構えていたそうです)や太気拳の沢井健一氏に師事しました。70歳になる今でもひたすら武道修行に邁進しているすごい人です。
 
 その盧山先生が、私の太極拳の師の師、王樹金老師を絶賛しているのが『月刊 秘伝』(2018年4月号、BABジャパン)に載っていたので、記念にメモします。盧山先生の半生をたどる特集記事の一部です。
 
 一般に剛の空手家は、あまりにも柔の太極拳は認めないか理解しないものですが、良いものは素直に認める度量を持ち、そこからもどん欲に学び取ろうする蘆山先生は、意外に狭量な人が多い武道界で稀有な存在です。
 
盧山 私は王樹金先生から直接、太極拳の型や五行拳を習っていたんですよ。あれほど型ができる人はいまだに見たことがないですね。手から発する気が納豆みたく糸を引くようで、身体も上下左右に自在に動く。今ではもう会いたくても会えない名人の方々との縁に恵まれ、私は武道家としてめったにないチャンスをいただいたと思います。  P26
 
 澤井先生のように質問したり、実際に手を交えさせていただいたということはありませんでしたが、王樹金先生は型を通じて、“やっぱり、この人は凄いな”と思いました。そこに居ない敵が空間に見える、三次元的な方(演武)なんですね。あの手の感じは今でも忘れないです。
 p35
 
 王樹金老師の貴重な動画です。
 
 
 

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February 20, 2018

メダルの陰にゆる体操と古武術か

 平昌オリンピックでの日本勢の活躍は素晴らしいですが、ちょっと小耳にはさんだ情報を。
 
 あの羽生結弦君が、ゆる体操の「ゆるゆる棒」を使っていたのが、「めざましテレビ」で映っていたそうです。知人のゆる体操の指導者が教えてくれました。
 
 ゆるゆる棒とは、二本の棒を十字にかませて、その上に両足を乗っけてゆる体操をすることで、全身のゆるみを促進し、センター(正中線)を形成させるものです。私も1セット持っています。全身の脱力と身体の中心部分の適度な緊張感を同時に作ることができる体感があるので、けっこう重宝しています。
 といっても最近、やっていなかったので、羽生君を見習ってゆるゆる棒トレーニングを復活させたいと思いました。
 
 確かに羽生君の演技中のゆるみっぷりは半端ないものね。
 
 羽生君がゆる体操を習ったかわかりませんが、何かやそれ的なものをやりこんでいたのかもしれません。
 
 そしてスピードスケート金メダリストの小平奈緒さんは、なんと古武術を学んでいるそうです。これはニュースになりました。
 ゆる体操も武術由来だし、武術をやっている者としてやはり、うれしいですね。
 
(転載貼り付け)
 平昌五輪スピードスケート女子1000メートルで銀メダルに輝いた小平奈緒。強さのベースには、古武術がある。びわこ成蹊スポーツ大の高橋佳三教授(43)が約10年にわたって教える。「小平奈緒という選手を形づくるピースとして役に立てたとしたらうれしい」と活躍を見守る。
 小平は氷に乗る前、歯が1本しかないげたを履き、スケートを滑るように尻を落とす姿勢を保つ。体の感覚を確かめるため、古武術にヒントを得て取り入れた独自の調整法だ。
 古武術は明治維新前の日本の武術の総称で、高橋教授はスポーツへの応用を研究している。小平との出会いは2007年。筑波大大学院の先輩で小平を指導する結城匡啓コーチに頼まれ、信州大氷上競技部で講習したことがきっかけだった。その後は数年に一度、古武術に基づく体の感覚を伝えている。一本歯のげたもその一つ。「げたの上でも地面と同じ感覚で立つ感覚を紹介した」
 昨年6月には、肘と尻を意識しながら一定の姿勢を維持するポーズを教えた。厳しい負荷がかかるが、小平は男子よりも軽々とこなした。オランダ留学中も古武術の講習のネット動画を見ていたという。
 あるとき、「相手がいても、いなくても一緒」という中国武術の言葉を紹介した。500メートルで5位だったソチ五輪を「メダルがちらついた」と振り返っていたことを知り、「相手やゴール、タイムを目標にすると、その目標の手前で止まってしまう」と伝えた。
 小平は14日の1000メートルで銀メダルを獲得した後、「しっかりと諦めずに、ゴールラインの先まで、実力を出し切れたかなと思う」と語った。その言葉を聞いた高橋教授は「伝えたことが彼女の言葉として出たのを聞くと役に立てたと思う。500メートルも力を出し切れば、結果はついてくる」と期待する。

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February 07, 2018

武術瞑想

 心理学者で空手家の湯川進太郎先生(筑波大学准教授)が、マインドフルネス瞑想としての武術をわかりやすくイラスト入りで解説してくれている本です。
 
 
 湯川先生は空手道糸東流6段だそうで、大学は私の後輩にあたるようです。お会いしたことはありませんが、大学では落ちこぼれだった私と違って、学術的にもすごく優秀な経歴の方です。
 先生は、武道の本義を心理学的に説明するには、マインドフルネス瞑想と重ねることが最も良いと確信しているようです。
 
(引用始め)
 
 武術稽古という営みは、武という基準に照らして動作が有効かどうか、という観点で技を磨きます。それ自体は武の稽古です。ただ、その営みそのものは、要は自身の呼吸と身体を絶妙にリンクさせ、それを内側から観察するという行為です。つまり、今ここにある呼吸と身体と意識を一つにつないでいく営みです。これはまさにマインドフルネス瞑想以外の何ものでもありません。  p33
 
 マインドフルネスとフローの決定的な違いは、気づきを保っているかどうかです。 p41
 
 瞑想性をふまえた身体術の修行となってはじめて、武術は「武道」となりえます。 p44
 
(引用終わり)
 
 武術・武道と心理学といえば、以前紹介したユング派からの視点で語っている老松克博『武術家、身・心・霊を行ず』(遠見書房)と本書は対極にあります。この本もとても面白かったです。
 
 湯川先生は実証主義、老松先生は内面主義というか、ユング心理学ですからあえていうと神秘主義。
 
 心理学は約100年前に成立してからずっとこの二つを両極として発展してきたといえるでしょう。
 
 ちなみにアドラー心理学は、その二極のちょうど真ん中、中庸に位置しています。本当だよ。
 
 

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January 16, 2018

霊性修行としての武術

 
 武術・武道の目的には健康や養生、護身、心の鍛錬などいろいろな表現がありますが、著者は本書に登場する武術家のたぐいまれな体験を通して、現代の武術・武道に欠けているのは「霊性」への着目であると主張したいようです。
 武術・武道は明治維新後の近代化、第二次世界大戦の敗戦とGHQの占領によってそれが、徹底的に失われてしまいました。
 
 身体の稽古や心の稽古は、武術を志す者なら誰もが多かれ少なかれ実践している。ところが、もう一つ、霊性の稽古となるとどうだろうか。かつての武術家にとって、霊的な修練、霊性の修業は、おそらく当然のことだった。それは、身体や心の稽古を積むことと同様に、武術と呼ばれるものの不可欠の一部を成していた。ところが、時代を下ると、合理主義の隆盛もあって、武術における霊的な側面はわすれられていくことになる。
 この傾向は近代武道にあっては甚だしい。・・・・  p4
 
 武術はそもそも神霊や異界の存在を前提としていたのだ。となれば、そのような文化的文脈のなかで師範の経験を眺めてみてはじめて得らえる知恵があるかもしれないではないか。 p23
 
 霊媒を介した神霊や異界との関わり。そして、それに伴って経験される複雑な感情。私たちはそうしたあれこれにけして無縁ではない。何十年か前まではまことにありふれた事象だったのだし、それ以前に気が遠くなるほど長い伝統もあったのだ。私たちにはもともと、そのように経験したり感じたり理解したりする傾向が内在しているにちがいないのである。
 何が非科学的といって、この事実を無視することほど非科学的なことはない。少なくとも心的な現実としては、神霊や異界は厳然として存在していた。いや、今でも存在している。私たちは神霊や異界に畏れと期待を抱くではないか。素直に注意を向けてみれば蠢いているのがわかる。私たちの感覚や気持ちのなかにあるものを、あたかも存在していないかのように無視してはならない。未知なるXの存在を否定しない態度こそ、真の科学的態度だろう。 p24
 大変重要な指摘だと思います。
 
 ここでさらに考えるべきは、霊性とは何か、ということですが、著者はユング心理学の「個性化」という概念を軸にしていきます。全体性への回復、という意味ですが、心の奥底にある「集合的無意識」「類心領域」からの働き、あるいはそこへのアプローチが重要になるようです。
 
 深層心理学の真骨頂です。
 
 ただ、私としては、下へ下へ深堀りしていくようなアプローチだけでいいのか、長年疑問を感じていたところでもあります。そうしたい気持ちはわかるけど、果たして「深層」が「霊性」に至る道かというと難しいかもしれないという思いがあります。
 
 トランスパーソナル心理学のケン・ウィルバーが昔、「カテゴリー・エラー」と呼んだ、深層心理と霊的なものを混同しているとユング心理学に対して批判したことを思い出します。私は、その批判はけっこう妥当だと考えてきました。
 
 身体と深層心理と自我(心理)と霊性の関係は、マインドフルネス瞑想が流行った後、ユング心理学以外でも臨床心理学のトピックになるといいと思います。私もいつか、アイデアを出せるようになりたいです。
 
 

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January 13, 2018

『武術家、身・心・霊を行ず』

 武術、武道と心理学を絡ませるなら昨今はマインドフルネス瞑想ですが、これはユング派からの真逆のアプローチです。
 
 
 これは大変面白い。
 面白いけど、ある意味で臨床心理学のみならず武道系の数ある書籍の中でも「奇書」と呼ばれるかもしれません。
 
 ある古流の武術を修める極めて優秀な老武道家が極限的な修行の過程で、驚くべき神秘体験を重ねていく、その記録を著者が託され、報告したのが本書です。
 
 ただの気の感覚とか、マインドフルネスな気づきなんてものではない。憑依、念写、ポルターガイスト、幽霊などが例え話ではなく、本当の体験として堂々と次から次へと出てきてます。
 
 極めつきは、その武道家の修する流派の江戸時代の先達(流祖)の霊がなんと稽古仲間に憑依して、直接に失われた武術の奥義を伝授したというのです。夢の中に登場して極意を授かった、なんて話はよく聞きますが、これはすごい。いや、そんなこと、あり得るのか。
 
 これは普通の心理学者なら絶対に触れないか、言わない領域です。そこをさすが、ユング派の老松先生は老武道家の報告に戸惑いながらも、その人の「心的現実」に入り込んで丹念に追いかけ、ユング心理学的な解釈を試みていきます。その内容もユング心理学の勉強になって面白い。
 
 一言で言ってしまうと、武術を通しての「個性化」の過程ということになるのですが、本書の魅力はそこからもあふれ出るような老武道家の存在感、圧倒的な神秘のエネルギーにあります。
 
 著者の老松先生とは、2010年の東北大学であった心理臨床学会の自主シンポジウム「武術と心理臨床」で、ご一緒させていただきました。私はシンポジストで、先生は指定討論者でしたかね。その頃先生は杖道をされていたように覚えています。
 
 その時以来お会いしていませんが、今度その機会があったら、絶対本書の話をうかがいたいです。
 
 武術・武道家兼心理屋さんは、絶対に読むといいです。立場によっていろいろな思いや解釈がわくでしょうけど、それも思考の訓練になるかもしれません。
 
 私は、心理臨床家としてではなく、武道修行者、神秘主義者として素のままに、解釈よりも体験世界に共感しました。きっとこういうことはあるのだろう、と。日頃、なまくら稽古しかしてないから、こんな体験は絶対ないでしょうけどね。
 

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December 09, 2017

細かい動き

 忙しくしていたら更新が滞っていました。
 
 12月6日は一日に二つの研修をこなしました。
 
 午前中に山梨県南部の富士川町で、峡南保健所管内保健師定例研究会において、「認知行動療法入門」という研修を担当。これは2回目の研修で、前回認知行動療法の理論を中心に話したので、今回は行動記録法や行動活性化法、リラクセーション法を話しました。
 保健師さんたちが日々の仕事やストレス・マネジメントで使えるものをお伝えしました。
 
 その午後は私にとって古巣である甲府の中央児童相談所に行き、「養育里親更新研修」で里親さんたちに「子どもの発達と心理・行動の理解」をテーマに話をしました。4時間近くいただいていたので、愛着理論から発達障害、そしてアドラー心理学の目的論に沿った行動の理解の仕方について話しました。
 
 難しい子どもたちを親に代って養育する里親さんたちには、アドラー心理学は是非知ってほしいと思って、毎年話をさせていただいています。
 
 さて、太極拳と老子の関連を説明した『老子と太極拳』(清水豊、ビイング・ネット・プレス)から、メモしておきたいところを引用します。
 太極拳がなぜあんなにゆっくり動くのかのよい説明がありました。
 
(引用開始)
 
 むやみに速く動いたのでは、細かに心身の動くシステムを作ることはできない。細かに心身が働かなければ「静」を得ることもできない。
 太極拳のようなゆっくりとした動きであれば、細かに心身のシステムを作りやすい。つまり「静」を感得しやすいのである。たとえば、ひとつの動きをひとつの円で行ったならば、その動きはおおまかであり見えやすい。しかし、多くな細かな円を少しずつ動かして、それらを途切れることなくつないでひとつの動きを作ったならば、その個々の動きは見えにくくなる。これが太極拳の「静」である。
 こうして動きを細かく分けることで、多彩な変化が可能になる。太極拳の「静」とは、多彩な変化をして、変化の少ない強い力を制するためのものなのである。  p99
 
(引用終わり)
 
 多彩な変化とは、外見的には見えないくらいの小さな変化でもあります。それが絶妙に作用することで、はた目にはマジックとかやらせとしか見えないような不思議な技が可能になるのです。
 

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November 23, 2017

攻防を資とする

 清水豊著『老子と太極拳』(ビイングネット・プレス)からしばらく、時々、メモします。
 
 来年以降、いよいよ武術や気と心理臨床、アドラー心理学を絡めたものを書いてみようという気になってきたから、資料集めを始めようと思います。ブログは私にとって、クラウドの公開メモみたいなものです。
 
 老子には「一」の思想があるといいます。
 
(引用開始)
 使えないような人や物であっても、おおいなる道の悟りを体得した人であれば、棄てて顧みないということはない、というのである。これは、あらゆるものが、全体を構成するたいせつな一部であるとする老子の「一」の思想を如実に示すものにほかならない。
 
 どのような部分でも、それを欠いては、全体である「一」が完成されないのである。老子は言う。使えないと思われるものでも、「資」となり得るのであると。「資」とは、いうなれば資材のことであり、そのままでは使えないが、手を加えれば、十分に有効なものとなる、ということである。
 
 この「一」の考え方こそが、太極拳のベースなのである。あらゆるものが、調和の中にある。それは、すべてのものが、連関性をもって存しているからである。こうした「一」なる感覚のことを、太極拳では「太和の気」という。・・・(中略)・・・
 
 武術も同様で、闘争のための技術を身につけるような「武術」は、この宇宙の中にあって存すべきではないのである。しかし、本来あるべきではない「攻防」も、我々の世界には確実にある。しかし、これは老子の教えるところによれば、「攻防」も「資」ということになるのである。一部の宗教のように「攻防」を、ただ否定しても意味がない。大切なことは、現実にある「攻防」を「資」として、本来の道である「調和」をいかに学ぶかにあるのである。
 
 太極拳にあっては、「攻防」を通して、その中にある「調和」を見いだそうとするわけである。この発見が、太和の気の発現となるのである。  p101
(引用終わり)
 
「一」の思想はアドラー心理学の「全体論」に、「資」の発想は「大切なのは持っているものをどう使うか」という考えに通じますね。
 
 太極拳は基本的に戦闘術に過ぎないのですが、どうしてそれがマインドフルネスとか「悟り」の道につながるかというと、老子の思想をバックボーンにしたからこそということができます。
 
 
 

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November 15, 2017

『老子と太極拳』

 太極拳は老子や荘子の老荘思想、道教と深いかかわりがあることは、太極拳を多少なりとも学ぶ人なら知っていることでしょう。
 
 ではその中身は、というと相手が中国古典であることもあって、なかなか詳しく学ぶ機会はありません。いざ挑戦しても中国語も漢文はもちろんわかりませんし、現代訳もわかりやすいわけではないので、歯が立たないことが多いでしょう。研究者も普通武術の専門家ではありませんから、武術のような身体文化から老子を見るという発想はありません。
 
 また、『よくわかる老子入門』『ビジネスに役立つ老子』みたいな一般向きの、どちらかというと自己啓発的な本を見ても、実際に太極拳や武術とどう絡むのかわかるものではありません。あくまでも雰囲気を味わうにとどまります。
 
 私も『老子』は持っていますが、昔ざっと読んだだけに過ぎず、とても消化できていません。
 
 つまり、老子の思想と太極拳を高度に学んだ人による解説が必要なわけです。
 
 清水豊著『老子と太極拳』(ビイング・ネット・プレス)は、まさに太極拳などの伝統武術(日本の合気道なども含む)と老子の両方の思想を味わうにはうってつけです。
 
 著者は10代より楊家太極拳、合気道、新陰流などを修め、國學院大學大学院や国立台湾師範大学などで神道や中国思想の研究を行ってきた人です。
 『老子』に記されていることは、まさに太極拳の考え方そのものである。…(略)…
 
 目先の闘争ではなく、おおいなる道(タオ)との合一を視野に入れた武術のことを、とくに「道芸」ということがある。太極拳や八卦拳、形意拳それに合気道も、みな「道芸」に属するものなのである。そうであるから、どれも、『老子』の内容と共通性を有するわけである。いうならば『老子』は、道芸の奥義書といってもよいのである。  p4
 
 
 含蓄のある文章で、太極拳がいかに老子の思想を具現化し、身体化したものかが非常によくわかりました。太極拳の先人たちは、ただの雰囲気で老子を取り入れているわけではないのです。
 私にはとても勉強になりました。
 
 本書を読むと、きっと太極拳や武術の理解が深くなり、日頃の稽古が一層愉しくなるでしょう。
 
 ここでも時折、大事と思ったところは引用、メモさせていただこうと思います。
 

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April 27, 2017

大人の稽古

 湯川進太郎『空手と太極拳でマインドフルネス』(BABジャパン)では冒頭に、中年期を過ぎた人たちが目指すべき心得が提出されています。
 
「大人の稽古」をしようということです。
 
 若い頃のように筋力、力を中心にした稽古によって、より早く動き、より強くなることを目指すのではなく、加齢による身体の変化に応じた、あるがままの心身を活かした稽古をするべきということです。
 
 武術・武道・格闘技は、とにかく「勝つこと」「どっちが強いか」「何が強いか」に終始したり、見た目の派手さや高い採点を得ることを中心にしてしまいがちです。特に競技系の武道はそうですが、意外に合気道や中国武術でもその傾向はうかがえます。
 人は、特に若いうちは、他者との比較優劣、他者からの評価にこだわってしまうものだからです。『嫌われる勇気』が売れる所以です。
 
 著者は、武術の稽古はそれではいけないといいます。
 
 (引用開始)
 稽古の内容は、年齢とともに変わっていくのです。加齢(エイジング)の流れに沿って、稽古の質を意識的に変えていく必要があるのです。「青年(若者)の武術」の稽古をするのではなく、40歳を超えたら「大人の武術」の稽古をしていくべきです。そうでなければ身体を壊しますし、稽古もいつまでも続きません。 …(中略)…
 
 そうして変わっていく技の内容や質は、一つの技術的な成熟であり、武術という伝統文化に対する思想的な成熟であるともいえます。そしてそれは、加齢に伴う身体的な仕様の変化に柔軟に対応した、心身の変化でもあるでしょう。 …(中略)…
 
「大人の武術」は、他者と比較したり他者の評価を気にしたりしません。私が私として、年齢に合った術を練る。そして、年齢に合った身体の調整をする。年齢に合った身体操作をする。それこそが「大人の武術」の稽古です。    p24-25
 (引用終了)
 全くその通りです。
 
 特に高齢化社会になった今では、護身術を身につけたり強くなることも当然大事ですが、そのためにも今の年齢の心身の状態に合ったやり方で稽古するべきです。
 
 50を過ぎた身としては、私は太極拳などの内家拳をやっていてほんとに良かったと思います。特に頑健でも運動好きでもなかった私が、今でも若い頃以上に相当元気に動けているのも、「無理しない武術」を習ってきたからであることを実感しています。
 
 元々空手家の著者は40を過ぎてからぎっくり腰になったショックと太極拳との出会いが、そのような発想の転換を生んで、本書につながったみたいなので、特に空手系の激しい武術を学ぶ人に向けてメッセージを送っているように感じられました。
 
 中高年の武術家同志諸君、是非、参考にしてください。
 
 

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