January 16, 2018

霊性修行としての武術

 
 武術・武道の目的には健康や養生、護身、心の鍛錬などいろいろな表現がありますが、著者は本書に登場する武術家のたぐいまれな体験を通して、現代の武術・武道に欠けているのは「霊性」への着目であると主張したいようです。
 武術・武道は明治維新後の近代化、第二次世界大戦の敗戦とGHQの占領によってそれが、徹底的に失われてしまいました。
 
 身体の稽古や心の稽古は、武術を志す者なら誰もが多かれ少なかれ実践している。ところが、もう一つ、霊性の稽古となるとどうだろうか。かつての武術家にとって、霊的な修練、霊性の修業は、おそらく当然のことだった。それは、身体や心の稽古を積むことと同様に、武術と呼ばれるものの不可欠の一部を成していた。ところが、時代を下ると、合理主義の隆盛もあって、武術における霊的な側面はわすれられていくことになる。
 この傾向は近代武道にあっては甚だしい。・・・・  p4
 
 武術はそもそも神霊や異界の存在を前提としていたのだ。となれば、そのような文化的文脈のなかで師範の経験を眺めてみてはじめて得らえる知恵があるかもしれないではないか。 p23
 
 霊媒を介した神霊や異界との関わり。そして、それに伴って経験される複雑な感情。私たちはそうしたあれこれにけして無縁ではない。何十年か前まではまことにありふれた事象だったのだし、それ以前に気が遠くなるほど長い伝統もあったのだ。私たちにはもともと、そのように経験したり感じたり理解したりする傾向が内在しているにちがいないのである。
 何が非科学的といって、この事実を無視することほど非科学的なことはない。少なくとも心的な現実としては、神霊や異界は厳然として存在していた。いや、今でも存在している。私たちは神霊や異界に畏れと期待を抱くではないか。素直に注意を向けてみれば蠢いているのがわかる。私たちの感覚や気持ちのなかにあるものを、あたかも存在していないかのように無視してはならない。未知なるXの存在を否定しない態度こそ、真の科学的態度だろう。 p24
 大変重要な指摘だと思います。
 
 ここでさらに考えるべきは、霊性とは何か、ということですが、著者はユング心理学の「個性化」という概念を軸にしていきます。全体性への回復、という意味ですが、心の奥底にある「集合的無意識」「類心領域」からの働き、あるいはそこへのアプローチが重要になるようです。
 
 深層心理学の真骨頂です。
 
 ただ、私としては、下へ下へ深堀りしていくようなアプローチだけでいいのか、長年疑問を感じていたところでもあります。そうしたい気持ちはわかるけど、果たして「深層」が「霊性」に至る道かというと難しいかもしれないという思いがあります。
 
 トランスパーソナル心理学のケン・ウィルバーが昔、「カテゴリー・エラー」と呼んだ、深層心理と霊的なものを混同しているとユング心理学に対して批判したことを思い出します。私は、その批判はけっこう妥当だと考えてきました。
 
 身体と深層心理と自我(心理)と霊性の関係は、マインドフルネス瞑想が流行った後、ユング心理学以外でも臨床心理学のトピックになるといいと思います。私もいつか、アイデアを出せるようになりたいです。
 
 

| | TrackBack (0)

January 13, 2018

『武術家、身・心・霊を行ず』

 武術、武道と心理学を絡ませるなら昨今はマインドフルネス瞑想ですが、これはユング派からの真逆のアプローチです。
 
 
 これは大変面白い。
 面白いけど、ある意味で臨床心理学のみならず武道系の数ある書籍の中でも「奇書」と呼ばれるかもしれません。
 
 ある古流の武術を修める極めて優秀な老武道家が極限的な修行の過程で、驚くべき神秘体験を重ねていく、その記録を著者が託され、報告したのが本書です。
 
 ただの気の感覚とか、マインドフルネスな気づきなんてものではない。憑依、念写、ポルターガイスト、幽霊などが例え話ではなく、本当の体験として堂々と次から次へと出てきてます。
 
 極めつきは、その武道家の修する流派の江戸時代の先達(流祖)の霊がなんと稽古仲間に憑依して、直接に失われた武術の奥義を伝授したというのです。夢の中に登場して極意を授かった、なんて話はよく聞きますが、これはすごい。いや、そんなこと、あり得るのか。
 
 これは普通の心理学者なら絶対に触れないか、言わない領域です。そこをさすが、ユング派の老松先生は老武道家の報告に戸惑いながらも、その人の「心的現実」に入り込んで丹念に追いかけ、ユング心理学的な解釈を試みていきます。その内容もユング心理学の勉強になって面白い。
 
 一言で言ってしまうと、武術を通しての「個性化」の過程ということになるのですが、本書の魅力はそこからもあふれ出るような老武道家の存在感、圧倒的な神秘のエネルギーにあります。
 
 著者の老松先生とは、2010年の東北大学であった心理臨床学会の自主シンポジウム「武術と心理臨床」で、ご一緒させていただきました。私はシンポジストで、先生は指定討論者でしたかね。その頃先生は杖道をされていたように覚えています。
 
 その時以来お会いしていませんが、今度その機会があったら、絶対本書の話をうかがいたいです。
 
 武術・武道家兼心理屋さんは、絶対に読むといいです。立場によっていろいろな思いや解釈がわくでしょうけど、それも思考の訓練になるかもしれません。
 
 私は、心理臨床家としてではなく、武道修行者、神秘主義者として素のままに、解釈よりも体験世界に共感しました。きっとこういうことはあるのだろう、と。日頃、なまくら稽古しかしてないから、こんな体験は絶対ないでしょうけどね。
 

| | TrackBack (0)

December 09, 2017

細かい動き

 忙しくしていたら更新が滞っていました。
 
 12月6日は一日に二つの研修をこなしました。
 
 午前中に山梨県南部の富士川町で、峡南保健所管内保健師定例研究会において、「認知行動療法入門」という研修を担当。これは2回目の研修で、前回認知行動療法の理論を中心に話したので、今回は行動記録法や行動活性化法、リラクセーション法を話しました。
 保健師さんたちが日々の仕事やストレス・マネジメントで使えるものをお伝えしました。
 
 その午後は私にとって古巣である甲府の中央児童相談所に行き、「養育里親更新研修」で里親さんたちに「子どもの発達と心理・行動の理解」をテーマに話をしました。4時間近くいただいていたので、愛着理論から発達障害、そしてアドラー心理学の目的論に沿った行動の理解の仕方について話しました。
 
 難しい子どもたちを親に代って養育する里親さんたちには、アドラー心理学は是非知ってほしいと思って、毎年話をさせていただいています。
 
 さて、太極拳と老子の関連を説明した『老子と太極拳』(清水豊、ビイング・ネット・プレス)から、メモしておきたいところを引用します。
 太極拳がなぜあんなにゆっくり動くのかのよい説明がありました。
 
(引用開始)
 
 むやみに速く動いたのでは、細かに心身の動くシステムを作ることはできない。細かに心身が働かなければ「静」を得ることもできない。
 太極拳のようなゆっくりとした動きであれば、細かに心身のシステムを作りやすい。つまり「静」を感得しやすいのである。たとえば、ひとつの動きをひとつの円で行ったならば、その動きはおおまかであり見えやすい。しかし、多くな細かな円を少しずつ動かして、それらを途切れることなくつないでひとつの動きを作ったならば、その個々の動きは見えにくくなる。これが太極拳の「静」である。
 こうして動きを細かく分けることで、多彩な変化が可能になる。太極拳の「静」とは、多彩な変化をして、変化の少ない強い力を制するためのものなのである。  p99
 
(引用終わり)
 
 多彩な変化とは、外見的には見えないくらいの小さな変化でもあります。それが絶妙に作用することで、はた目にはマジックとかやらせとしか見えないような不思議な技が可能になるのです。
 

| | TrackBack (0)

November 23, 2017

攻防を資とする

 清水豊著『老子と太極拳』(ビイングネット・プレス)からしばらく、時々、メモします。
 
 来年以降、いよいよ武術や気と心理臨床、アドラー心理学を絡めたものを書いてみようという気になってきたから、資料集めを始めようと思います。ブログは私にとって、クラウドの公開メモみたいなものです。
 
 老子には「一」の思想があるといいます。
 
(引用開始)
 使えないような人や物であっても、おおいなる道の悟りを体得した人であれば、棄てて顧みないということはない、というのである。これは、あらゆるものが、全体を構成するたいせつな一部であるとする老子の「一」の思想を如実に示すものにほかならない。
 
 どのような部分でも、それを欠いては、全体である「一」が完成されないのである。老子は言う。使えないと思われるものでも、「資」となり得るのであると。「資」とは、いうなれば資材のことであり、そのままでは使えないが、手を加えれば、十分に有効なものとなる、ということである。
 
 この「一」の考え方こそが、太極拳のベースなのである。あらゆるものが、調和の中にある。それは、すべてのものが、連関性をもって存しているからである。こうした「一」なる感覚のことを、太極拳では「太和の気」という。・・・(中略)・・・
 
 武術も同様で、闘争のための技術を身につけるような「武術」は、この宇宙の中にあって存すべきではないのである。しかし、本来あるべきではない「攻防」も、我々の世界には確実にある。しかし、これは老子の教えるところによれば、「攻防」も「資」ということになるのである。一部の宗教のように「攻防」を、ただ否定しても意味がない。大切なことは、現実にある「攻防」を「資」として、本来の道である「調和」をいかに学ぶかにあるのである。
 
 太極拳にあっては、「攻防」を通して、その中にある「調和」を見いだそうとするわけである。この発見が、太和の気の発現となるのである。  p101
(引用終わり)
 
「一」の思想はアドラー心理学の「全体論」に、「資」の発想は「大切なのは持っているものをどう使うか」という考えに通じますね。
 
 太極拳は基本的に戦闘術に過ぎないのですが、どうしてそれがマインドフルネスとか「悟り」の道につながるかというと、老子の思想をバックボーンにしたからこそということができます。
 
 
 

| | TrackBack (0)

November 15, 2017

『老子と太極拳』

 太極拳は老子や荘子の老荘思想、道教と深いかかわりがあることは、太極拳を多少なりとも学ぶ人なら知っていることでしょう。
 
 ではその中身は、というと相手が中国古典であることもあって、なかなか詳しく学ぶ機会はありません。いざ挑戦しても中国語も漢文はもちろんわかりませんし、現代訳もわかりやすいわけではないので、歯が立たないことが多いでしょう。研究者も普通武術の専門家ではありませんから、武術のような身体文化から老子を見るという発想はありません。
 
 また、『よくわかる老子入門』『ビジネスに役立つ老子』みたいな一般向きの、どちらかというと自己啓発的な本を見ても、実際に太極拳や武術とどう絡むのかわかるものではありません。あくまでも雰囲気を味わうにとどまります。
 
 私も『老子』は持っていますが、昔ざっと読んだだけに過ぎず、とても消化できていません。
 
 つまり、老子の思想と太極拳を高度に学んだ人による解説が必要なわけです。
 
 清水豊著『老子と太極拳』(ビイング・ネット・プレス)は、まさに太極拳などの伝統武術(日本の合気道なども含む)と老子の両方の思想を味わうにはうってつけです。
 
 著者は10代より楊家太極拳、合気道、新陰流などを修め、國學院大學大学院や国立台湾師範大学などで神道や中国思想の研究を行ってきた人です。
 『老子』に記されていることは、まさに太極拳の考え方そのものである。…(略)…
 
 目先の闘争ではなく、おおいなる道(タオ)との合一を視野に入れた武術のことを、とくに「道芸」ということがある。太極拳や八卦拳、形意拳それに合気道も、みな「道芸」に属するものなのである。そうであるから、どれも、『老子』の内容と共通性を有するわけである。いうならば『老子』は、道芸の奥義書といってもよいのである。  p4
 
 
 含蓄のある文章で、太極拳がいかに老子の思想を具現化し、身体化したものかが非常によくわかりました。太極拳の先人たちは、ただの雰囲気で老子を取り入れているわけではないのです。
 私にはとても勉強になりました。
 
 本書を読むと、きっと太極拳や武術の理解が深くなり、日頃の稽古が一層愉しくなるでしょう。
 
 ここでも時折、大事と思ったところは引用、メモさせていただこうと思います。
 

| | TrackBack (0)

April 27, 2017

大人の稽古

 湯川進太郎『空手と太極拳でマインドフルネス』(BABジャパン)では冒頭に、中年期を過ぎた人たちが目指すべき心得が提出されています。
 
「大人の稽古」をしようということです。
 
 若い頃のように筋力、力を中心にした稽古によって、より早く動き、より強くなることを目指すのではなく、加齢による身体の変化に応じた、あるがままの心身を活かした稽古をするべきということです。
 
 武術・武道・格闘技は、とにかく「勝つこと」「どっちが強いか」「何が強いか」に終始したり、見た目の派手さや高い採点を得ることを中心にしてしまいがちです。特に競技系の武道はそうですが、意外に合気道や中国武術でもその傾向はうかがえます。
 人は、特に若いうちは、他者との比較優劣、他者からの評価にこだわってしまうものだからです。『嫌われる勇気』が売れる所以です。
 
 著者は、武術の稽古はそれではいけないといいます。
 
 (引用開始)
 稽古の内容は、年齢とともに変わっていくのです。加齢(エイジング)の流れに沿って、稽古の質を意識的に変えていく必要があるのです。「青年(若者)の武術」の稽古をするのではなく、40歳を超えたら「大人の武術」の稽古をしていくべきです。そうでなければ身体を壊しますし、稽古もいつまでも続きません。 …(中略)…
 
 そうして変わっていく技の内容や質は、一つの技術的な成熟であり、武術という伝統文化に対する思想的な成熟であるともいえます。そしてそれは、加齢に伴う身体的な仕様の変化に柔軟に対応した、心身の変化でもあるでしょう。 …(中略)…
 
「大人の武術」は、他者と比較したり他者の評価を気にしたりしません。私が私として、年齢に合った術を練る。そして、年齢に合った身体の調整をする。年齢に合った身体操作をする。それこそが「大人の武術」の稽古です。    p24-25
 (引用終了)
 全くその通りです。
 
 特に高齢化社会になった今では、護身術を身につけたり強くなることも当然大事ですが、そのためにも今の年齢の心身の状態に合ったやり方で稽古するべきです。
 
 50を過ぎた身としては、私は太極拳などの内家拳をやっていてほんとに良かったと思います。特に頑健でも運動好きでもなかった私が、今でも若い頃以上に相当元気に動けているのも、「無理しない武術」を習ってきたからであることを実感しています。
 
 元々空手家の著者は40を過ぎてからぎっくり腰になったショックと太極拳との出会いが、そのような発想の転換を生んで、本書につながったみたいなので、特に空手系の激しい武術を学ぶ人に向けてメッセージを送っているように感じられました。
 
 中高年の武術家同志諸君、是非、参考にしてください。
 
 

| | TrackBack (0)

April 25, 2017

『空手と太極拳でマインドフルネス』

 武道を心理学的に語る時に、いまや格好の概念があります。
 
 最近注目のマインドフルネスです。
 
 糸東流空手道と楊式太極拳を会得した気鋭の心理学者が、「大人の武道修行者」のために書いた本が、
 
 
 著者のメッセージは一貫しています。
 
 武術を通してマインドフルネスに至る道こそが「武道」である
 ということです。
 
 武道による精神修養効果は、昔から武道指導者、修行者からさんざん言われていることで、だから体育必修化の根拠にもなったわけですが、それがどんな内実を持つかについては、明確ではありませんでした。よく言えば自由に言い放題だったわけですが、多分に根性論、印象論の域を出ませんでした。
 あるいは知的な人は、内田樹先生のように思想的に武道を語るというのはありました。古くは弁証法の空手家・南郷継正なんて人もいましたね。
 
 でも心理学を応用した武道論はあまりなくて、一部の武道家が、精神分析学の防衛機制とかを用いているのを見たことがありますが、、それらは武道の効果のある一面を切り出しただけで、「武道体験」自体には届いていなかったと思います。
 それが、マインドフルネスとフローという概念が出てきて、割といい線いっている表現が可能になりました。ちなみに本書ではマインドフルネスとフローの違いも説明されています。
 
 著者が推すのはフローではなくて、マインドフルネスで、武道は本来何を体験するところか、何を目指すべきがマインドフルネスで明確にできると主張しています。
 これが今の心理学のパラダイムで説明できる武道の最先端だと思います。
 
 

| | TrackBack (0)

March 28, 2017

木村政彦と合気道2

 前記事、前々記事から続いて『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(増田俊也、新潮社)から、木村政彦の強さの背景を探ります。
 
 木村政彦は阿部謙四郎という合気道家でもある柔道家との敗戦をバネに飛躍しましたが、阿部が合気道を身につけていたとは知らなかったようです。
 
 しかし、木村の側に超有名な合気道家がいました。
 
 後の養神館館長、塩田剛三です。
 
 木村と塩田は拓殖大の同期生で、大親友でした。まさに実戦合気道の代表格、木村と仲良しなのもうなづけます。
 
 驚くべきは、身長170センチ、85キロ、驚異の腕力を持つ木村に、身長154センチ、47キロの塩田がなんと腕相撲で圧倒したことです。それは木村も認め、方々で話していました。
 
 常識的にはありえない現象ですが、私を含め武道マニアには有名な話です。
 
 著者の増田氏は自ら北海道大学で柔道(寝技重視の高専柔道の系列)を鍛錬し、職業柄たくさんの格闘技に精通しているので、このエピソードに戸惑いながらも、率直に著わしています。
(引用開始)
 柔道や空手、総合格闘技の書籍を書く場合、合気道に触れることはある意味タブーでもある。目の肥えた読者の失笑を買いかねない。
 だが、阿部謙四郎が植芝盛平に組み伏せられたことも、木村政彦がその阿部に試合で弄ばれたことも、そして木村が腕相撲で塩田剛三に敗れたこともすべて事実なのだ。
 もう一つ、合気道には離れた間合いで相手をコントロールする技術があるからこそ嘉納治五郎は「これぞ理想の武道」と非常に興味を持ち、富木謙治らに「技術を学んでこい」と言って植芝の内弟子として送り込んでいるのだ。簡単に切り捨てていいものではあるまい。実際に木村政彦と塩田剛三の同期の空手部員で当時「拓大三羽烏」といわれた空手家が「柔道や合気道など大したことない」と吹聴することに頭にきた塩田が体育館で喧嘩し、これを一蹴していることも木村×塩田の対談で明らかになっている。
(引用終わり)
 そして、「とにかく木村は阿部と塩田を通して植芝盛平という巨人の影と戦っていたのは間違いない」としています。
 
 実際に木村が塩田を通して合気道にどのような影響を受けたのかは不明ですが、二人は飲んだり遊んだりしながら、何らかの示唆を与えあったことがあったかもしれません。
 
 この二人の交友は終生続き、木村が力動山戦のまさかの敗北により地位も名声も失い、、失意のどん底に苦しみ続けた後々まで、塩田は友を心配し声をかけ続けたそうです。
(引用開始)
 拓大同期で親友だった塩田剛三(合気道養神館)も木村のことをずっと気にかけていた。
 戦前はもちろん木村政彦の方が圧倒的にネームバリューがあったが、戦後、合気道ブームがやってきて「不世出の達人」として武道界で地位を確立し、大山と同じく、忘れ去られていく木村の名声をいつしか逆転してしまっていた。
 だが、養神館の何らかの写真を見ると、そこに、よく老年になった木村が写っているのを見つけることができる。
 何か行事があれば必ず呼んで木村を弟子たちに紹介し、いかに強い柔道家だったかを弟子たちに繰り返し話した。
 塩田は木村をかばい続けた。
「木村政彦って男は本当にたいしたもんだよ。拓大もすごい男を出したもんだ。木村のような武の真髄を極めた男をだした大学は拓大以外にない。拓大はもっと誇りを感じるべきだな」
 若い頃から共に過ごしてきた男だからこそ、木村の気持ちがよく分かったのだ。
(引用終わり)
 武道家の鏡となるエピソードですね。
 
 ここを含め本書の最後の方は、私は涙なくしては読めませんでした。
 

| | TrackBack (0)

March 26, 2017

木村政彦と合気道

 前記事で木村政彦の強さに、なんともいえぬ柔軟な思考・行動傾向(遊び好き、いたずら好きといった感じで人々に記憶されている)があることを、 『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(増田俊也、新潮社)から引きました。
 
 もう一つ、木村の柔道を飛躍させたものがあったようなのです。
 
 それはなんと、合気道です。
 
 木村が合気道を学んだわけではありません。
 
 拓大予科2年の若い頃、既に中学時代に柔道日本一を経験していた木村は無敵の勢いを示し始めた頃でしたが、合気道を学んだことのある柔道家にもてあそばれるようにして負けたのです。昭和11年6月1日、宮内庁主催の選抜試合でした。
 
 木村を翻弄したその相手は、阿部謙四郎という武道家でした。
  しかしその名前は、合気道史によほど詳しい人でないと知らないと思います。当時から天才と称され、のちにイギリスに柔道と合気道を広めた人だそうです。私は、阿部が極めて実戦的で強い人だったという話を、以前ある合気道の本か雑誌で読んだ記憶があります。本書でその具体的なエピソードを知って、とても興味深く思いました。
 
 阿部は既に柔道で相当の力があった20歳前後、偶然汽車内で出会った合気道開祖・植芝盛平に簡単に組み伏せられ、その場で弟子入り、10年間合気道を修行したとのことです。
 
 木村の自伝の言葉です。
「彼と組み合ってまず驚かされたのは、ふんわりとしか感じられない組み手の力と柔軟さだった。試合ともなれば誰しもがある程度両手に力を込めて握ってくる。当然、肩や足腰にも、相手の動きに対する警戒感から多少の力が入るのだが、彼の場合はどこにも硬さというものが感じられなかった。文字どおり掴みどころのない感触で、どんな技でも簡単に吹っ飛びそうな気さえした。
 これはたやすい。私は思い切って得意の大内刈り、大外刈りを放った。ついで一本背負い。しかしどうだろう。まるで真綿に技をかけたようにフワリと受けられ、全然効き目がない。かける技、かける技すべて同じ調子で受けられてしまう。グンと弾ね返されるならまだしも、これではまるで一人相撲ではないか・・・・。私は焦った。その瞬間、ビュンと跳ね上げられた。ようやくのことで腹ばいになって逃れる。跳ね腰だ。次に大外刈り。これも私は、危うく半身になって難を逃れた。しかし阿部五段の攻撃は矢継ぎ早に続く。私はかろうじて腹ばい、半身になるのが精一杯であった。相手の技に対して戦々恐々、防戦一方で試合は終わった。結果はもちろん、私の判定負けである」
 
 木村は筋骨隆々、すさまじい腕力の持ち主で、その大外刈りはあまりに強烈で相手が後頭部を強打して失神してしまうことも少なくなかったそうです。だから稽古では相手が怖がって、木村が大外刈りを打とうとすると、「それだけはやめてくれ」とその場で座り込んでしまうほどだったそうです。
 
 それを柳に風のごとく、まさに「柔(やわら)」というにふさわしく、剛力の木村を難なく制してしまった阿部は相当な手練れだったと間違いなく言えるでしょう。
 
 ところが木村は、阿部が合気道をやっていたことを死ぬまで知らなかったようです。
 
 しかし、木村も天才、阿部に弄ばれたことにかなりショックを受けて一時は柔道をやめようかとさえ思ったものの、師匠の牛島辰熊にさとされ(というか怒られ)、自分に足りないものを分析し、柔の要素を入れた独自の稽古を工夫して猛特訓し、1年後、今度は阿部を何度も投げ飛ばすことができ、リベンジを果たしました。
 
 心は子どものように柔らか、体の動きも柔らかくなった木村は、以後無敵となっていったのです。
 
 武道家の上達プロセスとして、大変興味深いですね。
 
 そして実は、木村に影響を与えた合気道家がもう一人いました。(続く)
 

| | TrackBack (0)

March 23, 2017

木村政彦の強さの秘密

 最強にして悲劇の柔道家、木村政彦の生涯を追った『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(増田俊也、新潮社)は、素晴らしいルポルタージュとして評価は定まっていますが、ストーリーの本筋とはやや関係のないところの、私なりに興味深いところをメモします。
 
 なぜ、木村政彦は現代でも最強と言われるに至ったのか、どうやって強くなったのかということです。
 
 もちろん、健康で頑丈な体に生まれ、貧しい家庭で育ったので幼いころから肉体労働をしていたとか、「努力3倍」と自称するくらい、凄まじい稽古を積み重ねたからであることは間違いがないのですが、本書で知った木村政彦にはそれだけでない側面があります。努力家でひたすら武士道を追及する、いかにも武道家、体育会系なところばかりではないのが、彼の魅力であることがわかりました。
 
 一つは、とても愛嬌のある、というにはおとなしすぎるくらいのど派手ないたずら好き、遊び好きであったようです。著者は「悪童」と本書の中で呼んでいます。
 
 戦前、戦中の昭和の時代の男ですから、その内容は先ず「飲む」、「打つ」はないようですがそして「買う」で、その様子は破格でした。女性読者のために、ここではそのエピソードは細かく書きませんが、興味のある人は本書を開いて下さい。面白過ぎるエピソードがいくつもあります。
 
 彼と接し、行動を共にした人はたくさんいましたが、その多くが著者の取材中に彼を慕った様子を語り、彼との思い出を懐かしがり、木村はもう亡くなっていたにもかかわらず、格闘技や武道を極めた大の男たちが時に「木村さんに会いてえなあ」と、感極まって泣いたそうです。
 
 それはライバルというか終生の敵となった力動山が、弟子のジャイアント馬場やアントニオ猪木からさえも、「力道山には人間的に良いところは一つもなかった」と言われたのと対照的です。
 
 面白かったのは戦争中、24歳の青年だった木村は当然兵役に就いたのですが全然まじめな兵士でなかったことです。彼は既に柔道日本一で全国的なスーパースターだったので、当然「お国のために命を捧げます」というくらいの愛国精神を発揮した、ということは全然なかったみたいです。強くなることには執念を燃やしても、戦争は嫌いだったのかもしれません。実際、柔道家としての全盛期となるはずの貴重な20代を戦争に奪われることになってしまいましたから。
 
 木村は福岡の防空隊に配属されましたが、初年兵に鞭をふるったり理不尽な暴行を加えていた曹長に頭に来た木村は、とんでもないいたずらをしました。木村の言葉です。
 
(引用開始)
 こんなことがあった後で、また私に不寝番が回ってきた。大沢(曹長=ブログ主注)は例によって口を大きく開け、往復いびきをかいている。よし、今夜こそ復讐してやろう・・・・
 復讐と言っても寝ている相手を殴る蹴るような卑怯な真似はしない。まず下半身にかかっている毛布を静かにはぎとり、大沢の○○を露にする。その小さくしぼんだ奴を中村(仲間=ブログ主注)と交代でしごく。だんだん勃起してくる。次にはそいつを、タンポのついた木銃の先で軽くついてやる。ポーン、ポーンと、突くたびに勃起した○○がはね返ってきて、ボクシングのパンチングボールのような具合だ。なんともユーモラスでぶざまなものだ。それでも大沢はいっこうに目をさます気配もなく、こちらは十分に楽しませてもらった。  
(引用終わり)
 
 面白いなあ。
 
 著者によると、木村の戦争時代の思い出話は前後や事実関係が不明瞭で、本によって矛盾がひどいそうで、いかに彼が戦時中ちゃらんぽらんな態度だったかが推測できると言います。そして、メチャクチャ体が丈夫なはずなのに、怪しい理由で病院にかかり、入院し、結局除隊してしまいました。
 
「木村にとって戦争はどうでもいい過去なのだ」
「木村は大日本帝国に命を捧げようなどとは微塵も考えていなかったのだ」
 と著者は考察しています。
 
 木村は戦前の天覧試合での優勝など、今なら国民栄誉賞をもらえるべき立場でありながら、デンデン安倍首相、自称愛国右翼の連中なら許せない態度ということでしょうけど、これも真正武道家のあるべき姿の一つかもしれません。
 
 自分にとって大事なこと以外のくだらないことには、関心を持たない。
 
 普通の武道家なら国家や権威を信じ、その命令に従い、ガチガチの人間になるところを、何とかかいくぐって遊びまわる木村の柔軟というか、いい加減さに好感を持ちました。物事のとらえ方の柔らかさ、屈託のなさに強さの秘密があるような気がしました。
 
 ゆる体操の高岡英夫先生の理論、あるいは太極拳のような内家拳の見方からすると、認識の世界がゆるんでいれば、身体運動は身体意識を介して必ずそのゆるみを反映するはずだからです。ただの剛ではない、剛柔相済となります。
 
 しかし同時に、それが後の力道山戦でだまし討ちにされた悲劇につながったと言えます。あまりに彼は素朴だったのかもしれません。
 
 

| | TrackBack (0)

より以前の記事一覧