December 23, 2020

騎馬武者は存在した!

 いわゆる歴史通を自称する人たちの中で、「武田騎馬隊なんて存在しなかった」「騎馬による戦闘はなかった」「武士は馬から降りて戦った」なんて言い方をする人がいます。

 その主な理由は、日本産の馬はサラブレッドに比べて小さくて背が低く、今でいうポニーに相当する馬だから、というものです。馬は荷物を運ぶために使われただけだ、なんて言う人もいるようです。

 でも鎌倉や戦国の絵巻物を見ると騎馬武者が突撃している場面が描かれていますし、文献的にも武士たちが馬を大切にしていたことが多々うかがわれるようです。甲府市では武田神社だったか、馬を大切に埋葬した戦国時代の墓も見つかっています。

 そんな騎馬武者否定の、一見合理主義者たちに反論するかのごとく、騎乗による武術は確実に存在していたことを証明する試みがあるようです。

 これを見ると、和種馬こそ山野や戦場を駆け巡るにふさわしいことが、十分にうかがえます。

 むしろサラブレッドのような競争馬では、貧弱過ぎて戦場では使えないでしょう。

 馬上武芸検証「武と馬」1、太刀、打刀の早駆け・紅陽台木曽馬牧場

 軍馬術、武芸のとしての乗馬1 甲冑騎馬武者・紅陽台木曽馬牧場

 新陰流の師範など、乗馬と甲冑武術に心得のある古武術家たちが参画しているようです。

 森の中を疾駆する姿など、これがメチャクチャかっこいい。

 まさに絵巻物の再現。

 昔日の身体能力の高い武士たちなら、きっとさらに巧みに乗りこなし、武器を扱っていたでしょうね。

 この場所はなんと山梨、富士山麓の牧場らしいです。来年、暖かくなったら是非うかがってみたいです。

 馬に乗りたい!

 

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September 10, 2020

太極拳の力

 太極拳独特の動きから生まれる力を「」といいます(中国語、英語の発音では jin)。

 勁により相手の力を受け流し無効化し、勁を発して相手を吹っ飛ばしたり、地面に叩きつける。

 今や武術系の動画は日本や中国、台湾からよいものがたくさん出ていますが、私は英語の勉強もかねて英米発のものもよく見ています。

 けっこう良いものがあって、楽しいです。

 中国系アメリカ人か、アメリカに渡った中国人かよく知りませんが、すごくうまく勁について説明、デモンストレーションをしてくれている動画があります。

 勁はけしてマジックでも神秘な力ではなく、トレーニングで身につけられるものと明言しているのがよいですね。

 そのためには陰陽の陰から始めることを、この老師は冒頭で説いています。すわなちリラックスし内側を見つめ、感じること、徹底的に争わず受け身であることなどが語られているようです。

 字幕付きなので、難しくないと思います

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July 09, 2020

古武術は説教しない

『古神道と古流武術』に、直接古神道とは関係していないけれど、古武術研究家の平上信行氏が私にとって興味深いことを話していたのでメモします。

 よく武道の道場で先生が生徒に長々と説教する場面に出くわすのですが、それは本来の姿ではないとのことです。

 本来の真理は文字にして伝わるものではなく、心と心が通じ合う中で伝わるものであると大宮司朗氏が述べた後で、

平上 わかりますね。精神性を説けば逆に精神の道が壊されることとなる。だから古流武術の稽古では断じて精神的訓話をすることがないのです。

大宮 古流武術の道場ではそうした指導はされないのですか。

平上 少なくとも道場の当主が成すことはありません。あってはならないことだと思います。現代武道では礼儀ということがうるさく言われますが、言えば言うほど精神の道が失われる・・・。それは精神の監査ということができなくなってしまうということです。 p159

 そういえば、私も御年90を超えた中国武術の師匠や今の先生に、「人の道」やら道徳やらを説かれたことはなかったですね。ただひたすら先師の残した型に正確に動くことだけを求められていました。

 少しでも間違うと、

「違います」と穏やかに指摘されたのでした。怒られたことはありません。

 それがかえって恐縮して、冷や汗をかいたものです。

 改めて本当の教えられ方をしたのだと気づいて、感謝しかありません。

 私が普段稽古する武道場は大きなアリーナで、いろいろな武道団体と共有しているのですが、少年剣道や高校の部活の剣道部の先生たちの小うるさいこと、遠くから耳に入ってくる声を聞いていると、

「すごく立派な勇気くじきだなあ」と感心することしきりです。

 説かずに伝えられるような境地になりたいものです。

 

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June 30, 2020

古神道は密教

 前記事の続きですが、私自身かつては神道に全く興味はありませんでした。

 普通に初詣や旅先で神社にお参りするくらいで、何かを真剣に考えたことはありませんでしたね。「女の子にもてますように」なんてレベルのお祈りしかしてませんでした。普通の人はそうなんじゃないかな。

 そのような、私たちが普段接しているのは「神社神道」というそうです。これもいろいろな問題があるみたいです。

 私は、特に障害者や社会的弱者の支援に携わっていると自然にリベラルな考え方になじんでくるので、神道というと戦前までの天皇を現人神に奉った国家神道のイメージが強すぎて、街宣車の右翼も連想したりして、敬して遠ざける存在でした。

 むしろ仏教の方が高尚というか、哲学的なものに関心があると好ましく見えました。実際仏教を背景にした知識人、思想家はいるけど、神道ベースの思想家って見たことがないですね。

『古神道と古流武術』の著者たちによると、神道にもいろいろあって、一般には明治以降の国家神道の前に存在した諸々の流れを古神道と一応分類されるようです。

 そして、古神道は仏教でいう密教に相当する存在とのことです。

 本書の著者(対談相手)の一人、大宮司朗氏によると、

 古神道という概念は、太古日本の霊的な時代から現代まで、非常に秘教的、密儀的な、不可思議な古伝の行法、神道法術を伝承してきた、いわば古伝の伝承というところに眼目がおかれるわけです。ですから、一般の神社神道を表神道とすれば、裏神道と称してもよろしいかもしれません。

 これはちょうど仏教でいえば一般的な顕教に対する密教とでもいえる存在であり、密教神道、秘密神道と称してもよいかもしれません。 p15

 おもしろいですね。

 私たちが普段の生活で接する神道の他に、なかなか知られてこなかった神道の流れがあって、どうも現代においても様々な影響を社会に対して静かに与えているようなのです。

 

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June 26, 2020

『古神道と古流武術』

 久々の武術ネタですが、極めてマニアックかつ本質的な関心が最近の私にはあります。

 日本本来の思想とは何か、ということです。

 空海や禅などの仏教という意見もありそうですが、日本の仏教はインドで生まれた時の元の姿を保っていないことはよく言われており、極めて日本的な消化吸収をされた独自のものといってよいでしょう。

 平安時代に最澄によって説かれて、その後の日本の仏教の基調となった「神仏習合」とは、まさに仏教が日本化したことの象徴であり、もっというと、仏教が神道化したことを示しているといえるでしょう。

 それが日本社会全体に浸透し、今でも日本武道・武術の道場にはよく神社や神様の名前の掛け軸がかかっています。

 多くの武道家が、神仏習合の修行体系である修験道にかかわってきました。

 特に合気道の開祖、植芝盛平は古事記の研究などをしたディープな神道家であり、世界に何百万といる合気道愛好者は神道の行法の一部を楽しんでいることになります。

 そしてパワースポット巡りにいそしむ若い子たちは、まるで巫女であるかのように無意識のうちに神社やその土地に潜む神々に触れて願いをかなえようとしています。

 さらに安倍首相やその背後の勢力に、明治以降の国家神道を信奉する勢力や団体が動いていることは実際にあるようです。それがあれだけ「悪さ」や「無能」ぶりを示しても、なかなか倒れないことに資していると私は見ています。

 また、日本に一神教のキリスト教が結局大勢を占めることができなかったのも、神道の多神教的世界観や先祖崇拝を日本人が手放さなかったから、という考えを聞いたこともあります。

 実は日本人は右も左もノンポリも、神道的なものが大好きなのです。

 では、その神道とは何か。

 これがすごく難しい問いだということは、調べてみて良くわかりました。

 そこで多少馴染みのある武術の世界から、神道を調べてみようとググって手にしたのが、

 大宮司朗・平上信行著『対談 古神道と古流武術』(八幡書店)

 1996年に出た本ですが、私好みのマニアックさでなかなか面白い。

 斯界ではよく知られた神道家と武術家の対談で、文献的にも深く研究されたお二人で、かつ実践家でもあるので思い切った論説や視点があり、とても興味深かったです。

 次回に少し紹介します。

 

 

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May 16, 2020

ステイホームで集中稽古

 前回、コロナによる自粛強制下における武道・武術団体の苦境について述べましたが、学習者個人にとっては必ずしもこの事態は悪いものではないかもしれません。生活や経済的な問題を除けば。

 ステイホームしていれば、一人稽古をする時間が山ほどあるからです。

 都会の人は部屋が狭かったり、音を出せないアパートなどに住んでいると難しいかもしれませんが、私のような田舎で、室内のスペースもある程度あったり、家の外が何の密もない環境ではけっこう練習できます。そういう人は、意外に多いと思います。ただ下手に「外でやってます」と言えないだけで(言うと非難されかねない)。

 山ごもりならぬ家籠りで、普段できないことができているかもしれません。

武道やっててよかったな」とこの時期に思うのは、何の道具も器具も要らないこと。せいぜい剣と棒っきれぐらい。身一つできること。それでいて効率よく全身を使った運動になることです。太極拳が改めてよくできていることを実感しています。

 そもそも本格的な伝統武術は基本殺人技なので、人に見せることはなく家の中でひっそりと伝授されていたところもあるので、元々ステイホーム向きなのです。

 私からの提案は稽古の中に、普段の生活の中ではなかなか意識できない体の細かい部分を意識化して、動きの精度を高める稽古をすることです。

 例えば股関節などどうでしょう。

 高岡英夫先生の『キレッキレ股関節でパフォーマンスは上がる!』(カンゼン)のワークで股関節を意識しながら、体を動かすと深いところが感じ取れるようになれて、実に快適ですよ。

 お勧めです。

(私も老眼になってきたので、フォントを大きくしました。読みやすくなりましたかね)

 

 

 

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May 13, 2020

コロナと武道

 この感染防止のためとされる自粛生活、ステイホーム、「新しい生活様式」でダメージを受けているところは数限りなくあるでしょうけど、武道、武術界もそうだと思います。

 賑わっている道場はまさに三密状態、人と人が近距離や密接状態で組み合ったり、技をかけ合い、「えい、や!」などと叫ぶ空間は汗や唾液が飛び交う空間です。どっかの警察の剣道活動で何人も感染者が出たということがありましたよね。柔道、空手、少林寺拳法、総合格闘技、もうすべてリスクだらけです。

 居合とかの古武道や太極拳などは一人稽古が主体なので、距離を開けたりすれば、あとは仲間同士が了解し合っていればやってもよいと私は思います。大体死を覚悟してでも修行するのが、本来の武道の心の在り方ではないか。コロナぐらいなんだ!

 とはいうもののこのご時世、自粛という名の強制的圧力下ではなかなか教室を開けないのもわかります。

 私の太極拳、中国武術も一般的なイメージと違って、組んで実践的な護身術の稽古をよくするので、リスクを指摘されれば仕方ないですね。私の所属する団体も今、休校状態です。

 ということで、今ほとんどの武道活動が止まっていると思いますが、これからどうしていくのでしょう。

 多少収束しても、第2波、第3波なんていわれれば、組んでいても「お主、感染しているかも」と一瞬でも思えば、身を入れて稽古できないですよね。

 一人稽古が中心になっていくのかな。すると太極拳などの型武道は有利ではあります。日本武道は古流剣術も現代武道も、基本的に二人で組んでやる形なのでやっぱり気になりますかね。

 そこで、これまであまりメジャーではなかった遠間の武道、弓道とか、手裏剣術なんかいいかも。中国武術でも数多くの武器術があります。私も長棍と呼ばれる長い棒を振り回す型も学んでいるので、それをよく稽古しようかな。

 相手に近づいて倒すというより、「お前、こっちくるな、あっち行け、シッシッ」みたいなのが今の時代にフィットしているかもね。

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January 27, 2020

中国武術のリアル

 中国武術の実戦性は、護身という状況、言ってしまえばあまりよくないことですが、喧嘩やストリートファイト、といった何でもありという状況でこそ現れるものなので、なかなかスポーツ的な試合では表現されにくいところがあります。それ故に誤解を受けやすいところでもあります。特に太極拳とかはそうですね。

 ネット社会になって、それを積極的に発信する人も現れてきています。沖縄在住の中国武術家で指導者、宮平保老師(天行健中国武術館)です。

 とても男前なのに、その動きと技を見ると「怖っ」と思われるでしょう。

 このリアルさがいいですね。

 空手や格闘技界の猛者たちも認める人です。

 宮平先生の言う、「武術は避難訓練」というのはまったくその通りで、強く同意します。

 先生の動画はいくつもありますが、どれも一見の価値がありますよ。

 

 

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October 03, 2019

伝統中国武術演武会、開催迫る!

 私が30年以上お世話になっている全日本柔拳連盟の演武会が、10月6日(日)に開かれます。

 詳細はこちら。

http://taikyokuken.co.jp/news/2019Enbukai.pdf

 実は日本に初めて太極拳を紹介したのが、我が流派の創始者、王樹金老師です。1959年、昭和34年だそうです。前回の東京オリンピックよりも大分前ですね。今年はその来日60周年記念ということで、台湾政府の要人も臨席される予定らしく、大変貴重な武術が数多く披露されると思います。

 王樹金老師は中国の天津出身、戦後蒋介石と共に台湾に渡って、本物の伝統武術を守り続けていました。

 台湾政府から日本の人間国宝のような扱いを受けていたほどです。形だけではなく大変な強さで知られ、当時日本でも数多くの人から挑戦を受け、無敵の強さを示した上に、彼らを感服させた上で、数多くの弟子を育てられました。

 王老師から学んだ方の中には、武道を始め各界で著名な方もけっこういらっしゃいました。ご自身が公にしているところでは、極真空手の盧山初雄先生や西田幸夫先生がいらっしゃいます。

 作家のC・W・ニコル氏は、来日中の王老師の様子を著書に印象深く書き留めています。

 関心のある方、是非足をお運びください。

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September 09, 2019

『古の武術に学ぶ無意識のちから』

 武術研究家で著名な甲野善紀氏と、幸福学の研究者の前野隆司氏との対談本です。

『古の武術に学ぶ無意識のちから』(ワニ・プラス)

 この7月末に出たばかりです。

 徹底的なアナログの甲野氏と、実証主義で科学者魂を持つ前野氏との対話で、かみ合わないと思いきや、けっこう面白くてひきこまれました。それは知識人との対話に慣れている甲野氏の語りが哲学的な趣を持ち、前野氏も普通の心理学のパラダイムから飛び出そうという志向が強い方だからのようでした。関心が重なるのでしょう。

 そもそも甲野氏は、強くなりたいから武術を志したのではなく、「人にとって自由とは何か、運命とは何か」という解きようもない問いを人生の課題にして、それを解く手掛かりに武術を選んだので、こういう深い対談にはとても向いています。

 お二人とも楽しそうに語らっている様子がうかがえます。

 内容ですが、フローとかヒモトレとか、AIとか新宗教とか、出てくる話題は多彩で飽きることはありません。

 キーワードの無意識も本書に出てくるのは、精神分析学的な無意識でもなく、ユング的な無意識に近いですが厳密には違う気もします。あえて言えば、ポランニーの暗黙知とかミルトン・エリクソンの無意識観に近いものが感じられます。本書にもエリクソンの逸話が一つ出てきます。

 無意識の叡智を信じるという態度とそこから生まれる技術です。単にそれを信じるというだけでは足りません。武術ですから、できてなんぼの世界です。

「表の自分」と「そうではない自分」を操ることで全力で打ちかかてくる木刀をなんなく躱せるようになると、甲野氏は言います。最近会得した意識操作法だそうです。どういうことなんでしょうか。普通の型稽古の中にはそういう技もありますが、ガチで振ってくる刀をさばくのは容易ではありません。

 70歳を超えても高度な術理を求めて、体現してしまう甲野氏は凄いですね。ある人から聞いたことがありますが、甲野氏の良いところはそういう高度な技の体現だけではなく、稽古中に自分ができない、技が利かない場面になっても、素直に「利かないね」と認めて、威張らず、間違いから謙虚に学ぼうとする姿勢だといいます。

 とかく、武道家や格闘家は劣等感の裏返し、アドラー的には優越コンプレックスで、誤りを認めず威張る人が多いですからね。

 年をとっても若々しいお二人から、我々「後輩」も刺激を受けるでしょう。

 

 

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