April 25, 2017

『空手と太極拳でマインドフルネス』

 武道を心理学的に語る時に、いまや格好の概念があります。
 
 最近注目のマインドフルネスです。
 
 糸東流空手道と楊式太極拳を会得した気鋭の心理学者が、「大人の武道修行者」のために書いた本が、
 
 
 著者のメッセージは一貫しています。
 
 武術を通してマインドフルネスに至る道こそが「武道」である
 ということです。
 
 武道による精神修養効果は、昔から武道指導者、修行者からさんざん言われていることで、だから体育必修化の根拠にもなったわけですが、それがどんな内実を持つかについては、明確ではありませんでした。よく言えば自由に言い放題だったわけですが、多分に根性論、印象論の域を出ませんでした。
 あるいは知的な人は、内田樹先生のように思想的に武道を語るというのはありました。古くは弁証法の空手家・南郷継正なんて人もいましたね。
 
 でも心理学を応用した武道論はあまりなくて、一部の武道家が、精神分析学の防衛機制とかを用いているのを見たことがありますが、、それらは武道の効果のある一面を切り出しただけで、「武道体験」自体には届いていなかったと思います。
 それが、マインドフルネスとフローという概念が出てきて、割といい線いっている表現が可能になりました。ちなみに本書ではマインドフルネスとフローの違いも説明されています。
 
 著者が推すのはフローではなくて、マインドフルネスで、武道は本来何を体験するところか、何を目指すべきがマインドフルネスで明確にできると主張しています。
 これが今の心理学のパラダイムで説明できる武道の最先端だと思います。
 
 

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April 15, 2017

コンテキスト、プロセス、コンテンツ

 前回に続き、 『吉福伸逸の言葉』(コスモス・ライブラリー)より、メモします。
 吉福さんはセラピーを3つの要素から考えて、実践していました。
 
 コンテキスト、プロセス、コンテンツです。
 
 コンテキストはセラピストが作る場、雰囲気です。
 コンテンツはクライエント、セラピーの参加者がセラピーの場で表すもので、内容は十人十色です。
 吉福さんはセラピーにおいて、セラピストがクライエントのコンテンツをあらかじめ決めておくのを禁じていました。それはあくまで本人が自発的に、自然に現すべきものと考えたのでしょう。
 
「吉福さんは、セラピストが唯一、クライエントに本格的に提供できるのはコンテキストだけだと断言しています。 p41」
 
 ではそのコンテキストは何かというと、一般にはセラピストとクライエントの関係性やセラピストの志向する心理学的理論だと思いますが、吉福さんは究極のところ、セラピストの人間観、世界観のようなもので、いうならばセラピストの「人間の器」としかいいようがないものであると考えていました。それが、暗黙にクライエントに強い影響を与えているとしていたようです。
(引用開始)
 例えば、セラピストが怒りとはよくないものだと考えていたとします。するとそのセラピーの場では怒りというものが出てきにくくなります。セラピストが怒りというものに十分向き合っていない場合、セラピーの現場に怒りが出てきたとき、十分に対応することができません。セラピストの限界がそのままセラピーの現場に出てきてしまいます。 p41
(引用終わり)
 これは本当にそうだと思います。いわゆる苦手な人、苦手な問題、苦手な関係性はセラピストならみんな多かれ少なかれあると思います。
 
「セラピストの人間存在そのものがコンテキストなのです。 p42」
 
 そして、セラピーで最重要なのがプロセスです。
 
「プロセスとは、一言で言えば、セラピーの現場で起きるすべてのことです。
 濃密なコンテキストの内側で起きることは、ポジティブなことであれネガティブなことであれ、何らかの治癒的な経過の一つだと考えられます。 p46」
 
 プロセスはその人の自然治癒の経過そのものと吉福さんは考えるので、セラピーでは徹底してそのプロセスを信頼していきます。
(引用開始)
「コンテキストを提供することによって、参加者が、何が起こってこようと恐怖感や拒絶感なしにそれに触れていくことができるような状況を作るのが、セラピストに先ず要求される役割です」と吉福さんは言います。
 実際にはセラピストが用意したゲームや作業を通して、プロセスが起こり始めます。
 大切なことは、それら発言するさまざまな症状(プロセス)に対して、決めつけたり判断したりしないということです。  p47
(引用終わり)
 とにかくそのプロセスをクライエントや参加者がしっかり体験できるように、セラピストはその場にい続ける、という感じだと思います。
 この認識論からは、いわゆる病理論や診断行為は吹っ飛んでいます。
 
 具体的に吉福さんがどのようにプロセスを扱ったかは、本書に印象的なエピソードがいくつもあります。
 私も見たことがありますが、本当に解釈とか説明とかはなく、ただその場で必要なワークは提示して、そこで起こることをできるだけ表に出させようとしているのを側で見届けているように見えました。
 参加者は時に激しい反応を示したのですが、当時私は参加者としてそれを見て、人はこんな風になっても大丈夫なんだと、妙に納得した覚えがあります。以後、多少のことではビビらなくなったのは良かったかもしれません。
 
 もしそんな吉福さんがご存命で、最近の心理療法界をどう見るか聞いたとしたら、「型にはまりすぎている」、「人を本当の意味で自由にしていない」、と一喝するかもしれません。
 
 プロセスを信頼しきるとは、もしその人に症状やトラウマなるものがあったとしても、あくまで大切なのは、それを含めた生命としての治癒プロセスであり、それを促進させよ、ということでしょう。例えばトラウマがあって、過去に何があったかわかったり、脳科学的に脳がどうなっているかがわかったとしても、それはトラウマの原因でも本質でもなく、単なるプロセスに過ぎない、という風に考えたかもしれません。
 
 過激に聞こえるでしょうか。
 
 科学としての心理学は「行動の予測と制御」ですから、「予想するな、制御するな」というのは真逆かもしれせん。
 
 ただ、大きな枠組みでは、制御というか、ワークによって流れを作り、落ち着くところに落ち着くはずだという予測(信頼)はしていたといえるかもしれません。対象としている時間軸が普通のセラピストより長かったとも考えられます。
 また、吉福さんは行動科学としての心理学を否定していたわけではなかったことも念のため記しておきます。本書でも吉福さんは、「9割は認知行動療法で対応できる」と言っていたとあります。
 これは吉福さんが元々、「人間は機械である」という認識論をベースにした20世紀最大の神秘思想家、グルジェフをベースにしていたことがあったと私は推測しています。グルジェフについては、長くなるのでもうここでは言いませんが。
 
 とにかく、是非答えをうかがってみたかったです。
 
 

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April 13, 2017

『吉福伸逸の言葉』

 私にとっては個人的な思い出がわいてくる本です。
 
 80年代、日本にトランスパーソナル心理学、ニューエイジ運動を紹介した立役者、2013年に亡くなった吉福伸逸さんの言葉をお弟子さんたちが集めた追悼本といえます。
 
 
 
 
「吉福さんは、ニューエイジ、ニューサイエンス、トランスパーソナル心理学といった、1970年代にアメリカで起こった新しい思想、学問分野を日本へ最初にもたらした立役者です。
 現在、日本で心理療法、ボディワーク、スピリチュアリティ、エコロジー、ホリスティック医療といった分野で第一人者として活躍している方々の多くが、1980年代に吉福さんの影響を受けています。 p2」
 
 といっても最近の臨床心理士、カウンセラーはその名を知らない人が多いのではないかと思います。吉福さん自身も確かに卓越したセラピストではありましたが、別に学者でもなかったし、何かの資格があるわけではなりませんでした。対外的には翻訳家という感じでした。
 しかし、その語学力と人脈、何より圧倒的な存在感で、80年代の精神世界の渦の中心であったのは間違いありません。
 
 吉福さんは当時玉石混交のニューエイジ運動の「玉」の部分だけを抽出し、翻訳して日本に紹介し、ワークショップを展開し、当時流行していたフランス現代思想に対して「アメリカ現代思想」として、対峙させていました。
 特に物理学者のフリッチョフ・カプラ、トランスパーソナル心理学の論客、天才ケン・ウィルバーの翻訳は大きな功績でした。
 
 その中で、ユング派の泰斗、河合隼雄先生もトランスパーソナル心理学に関心を示すようになり、共編著も出しました(『宇宙意識への接近』(春秋社)。河合先生も、『宗教と科学の接近』(岩波書店)という、トランスパーソナル心理学に共感を示す本を出したりしました。
 
 私は大学生時代、サークルの先輩に吉福さんを紹介されて、ある種「衝撃」を受け、学び始めました。
 ないお金をかき集めて吉福さんの講座やワークショップに足しげく参加していました。
 その結果…大学の心理学に関心が薄れ、劣等生になってしまいました(笑)。
 
 吉福さんは、最近主流の「心の治療」のための心理療法ではなく、「自己成長」のための心理療法を極限まで目指していたと思います。統合失調症のような精神病でさえ、けして「病理」ではなく、「成長」の契機ととらえることを主張されて、統合失調症を治さない、症状のプロセスに任せるという前衛的な運動もしていました。
 
 本書にもありますが、若い頃ジャズミュージシャンだった吉福さんは、ワークショップやグループセラピーでは前もって段取りを決めることがなく、あくまで即興的に、その場でやることを決めていたようです。本書によれば、 「プロセスを徹底的に信頼する」という姿勢だったそうです。
 参加者たちを観察し、その場を感じ取って動き、出来合いのプログラムをそのまま実行するということは絶対にありませんでした。そのための方法として、ブリージングといって一種の過呼吸を意識的に長時間続けたり、サイコドラマをしたり、ボディーワークをしたり、意識変容をおこすためにいろいろやっていました。
 
 一度、合宿式のワークショップで、高名な中国武術家・松田隆智先生を呼んで(吉福さんと友だちだったそうです)、形意拳のワークをしたこともありました。私はもう形意拳を習ってたから難なくできたけど、他の普通の参加者は大変だったもしれません。もちろん、みんな楽しんでました。
 
 とにかく今の心理療法にはない過激さがあった感じがします。最近はこういう心理療法を志向する人は、めっきりいなくなってしまいました。確かに日本人には刺激が強くて警戒されそうだし、即興的過ぎて普遍化、標準化はできないですからね。
 
 私は本書を読んで、吉福さんの、太くて厳しくて優しい声が聞こえてくる気がしました。
 
 キャラも能力も、今やっていることも全然違うし、結局同じような道を歩んだとはいえないけれど、やっぱり若い頃受けた影響は大きい、と本書を読んで感じました。無意識のうちに吉福さんの考え方や、やっていたことをモデルにしている自分が多々あることに気づいたからです。
 
 もし吉福さんに出会っていなかったら、私は今頃、普通の心理学を研究している平凡な学者にでもなっていたかもしれません。よかったのか悪かったのかわからないけど。
 
 本書を見て、吉福さんのお弟子さんたちが、その後を継いで頑張ってくれているようで、心強い思いもしました。トランスパーソナル心理学も近いうちに学び直してみたいと思います。
「普通の心理療法」にマインドフルネス瞑想が入る昨今、次に来るものの中に、トランスパーソナル心理学的なものへの再注目があるかもしれません。
 

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February 24, 2017

『カウンセリングテクニック入門』

 いい加減ドラマから離れて、通常モード(?)に戻ります。
 
 カウンセリングを学んでいる方、既にやっている方にとって非常に良いテキストです。
 
 
 ここのところ私は大谷ファンでして、ワークショップに参加したり、著書を読んだりしてきました。
 
 本書は2004年に出たもので、専門家からの高い評判は聞いていたのですが、私はこの流れでやっと手にして、やはり、「さすが」と感心しました。
 
 主に認知行動理論にのっとってカウンセリングの過程、主要技術が事例を入れて丁寧に解説されていますが、ほとんどすべての主要学派、アプローチにも言及していて、目配せが効いています。
 
 アドラー心理学にもきちんと言及していて、リフレーミングとライフスタイル・アセスメントをアドラー心理学の技法として紹介しています。アドラーの名も6か所で出しています。その辺はきちんとしておられる。アメリカでの臨床心理学で、アドラー心理学が一定の位置を占めていることを表しているのでしょうか。
 
 本書の流れは、
 
 クライエントの観察技法
 傾聴技法
 活動技法
 傾聴・活動技法以外のカウンセリング技法
 クライエントの問題を定義づける技法
 目標を設定する技法
 抵抗とその対応技法
 
 などです。
 
 本書には、先生がアメリカの大学院で教えていることをそのまま伝えようという意気込みがあり、実際後半の章には、アメリカの大学院のカウンセリング技法訓練の様子が詳しく説明されています。これだけでも関係者には参考になるんじゃないでしょうか。
 
 私も原点回帰じゃないけど、大谷先生からなら改めて基礎を学びたいなと思いました。
 

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January 08, 2017

『オープンダイアローグとは何か』

 
 北欧フィンランドで「対話の力」によって、統合失調症の治療に素晴らしい成績を上げているとして、精神医学、臨床心理学の世界に衝撃を与えているオープンダイアローグの入門書です。
 著者はひきこもりや若者文化の分析、精神分析家ラカンについての著書で知られています。正月のNHKEテレ「100分de名著」の手塚治虫特集にも出ていましたね。
 
 心理臨床の世界にも流行り廃りがあり、100年前は精神分析学、戦後はロジャーズのクライエント中心療法、ここ数年は認知行動療法であり、最近はマインドフルネス瞑想でした。その前は解決志向ブリーフセラピーだったり、家族療法だった時代もありました。アドラー心理学はこれまでもこれからもないでしょうね(笑)。
 
 知人の臨床家は、「これから(心理臨床界で)来るのはオープンダイアローグだ」と断言していました。
 本書の斎藤環氏も、「ラカンは実は治療が下手だ」と曝露までして、オープンダイアローグにかなり入れあげている感じです。
 家族療法、ベイトソンの思想がベースにあると言われるオープンダイアローグは、一読して私には親近感がありました。
 徹底的な対話によって、深刻な精神症状が変わっていくのは、カウンセラーや臨床家の理想とするところです。その実態はどうなのか。本書でオープンダイアローグのアウトラインがつかめます。
 
 私は昨年はマインドフルネス瞑想に関心を持って学び、臨床で使ってきて手応えを感じたので一段落し、今年は「対話の力」を高めたいと思います。オープンダイアローグ、ナラティブにエネルギーを向けようかな。内から外、内面志向からコミュニケーション志向へとシフトチェンジします。
 
 これでまた一つ、達人に近づいた・・・。
 

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December 22, 2016

『不登校・ひきこもりに効くブリーフセラピー』

 不登校やひきもりに関するカウンセリングをしているカウンセラーは多いと思いますが、ブリーフセラピーの立場から、実践的な報告をしてくれています。
 
 
 総勢12人の先生が書いていますが、みんな日本ブリーフサイコセラピー学会の会員で、いつも学会や研修会でお目にかかっている先生ばかりです。個人的には、「あの先生、こういう感じで実践しているんだ」と推測できて興味深かったです。
 
 不登校・ひきこもりの問題(本人、家族、関係者を含む)にどうアプローチするか、その発想のポイントと実践例が出ています。
 現場も精神科やスクールカウンセリングといったよくある臨床現場だけではなく、受験予備校、高校、スクールソーシャルワーカー、開業といろいろあります。
 具体的な方法も、解決志向アプローチみたいなブリーフセラピーの代表格だけでなく、認知行動療法や対人関係療法も出ています。
 実践領域もアプローチも幅広くて柔軟なブリーフセラピーらしい本です。
 
 文体も肩ひじ張らないエッセイのような感じが多く、自由で気楽な雰囲気のブリーフセラピストらしさが良く出ています。
 
 臨床を楽しくしたいカウンセラーさんは是非。
 
 

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December 09, 2016

『マインドフルネス入門講義』

 今や心理療法界も武道界も大注目のマインドフルネス瞑想ですが、最も良質で専門的な本があります。
 
 
 臨床催眠、マインドフルネスの世界的権威で、長くアメリカで活躍していた大谷先生が、日本人臨床家向けに懇切丁寧に説明しています。
 大谷先生は前記事にある通り、先日のトラウマ治療のシンポジウムに登壇していました。専門性の高さと同時に自らも熱心に仏教瞑想を修行している先生に私最近、隠れ追っかけファンです。
 
 本書で、仏教とマインドフルネスがアメリカに受容される歴史から、ニューロサイエンスによる瞑想中の脳の知見、第三世代の認知行動療法と言われる潮流の中にいかにマインドフルネス瞑想が入っているかなどが詳しくわかります。
 
 私的にはアメリカの仏教受容の過程のところで、その昔トランスパーソナル心理学の吉福伸逸さんから教わったことが思い出されて、懐かしかったです。
 本書にも出てくるチベット仏教をアメリカに伝えたチョギャム・トゥルンパ師のところへ、私の先輩が渡米してその寺に入っていました。今も修行をしているみたいです。うらやましかったですね。自称瞑想ジャンキーの私もちょっと選択が違って帰郷しなかったら、今頃西海岸辺りに渡って、禅センターかエサレン(有名なセラピーセンター)にでも入り浸っていたかもしれません。
 ちなみにオートポイエーシス(自己組織化)で有名な認知科学者フランシスコ・ヴァレラもトゥルンパ師の弟子らしいです。
 
 それはともかく本書では、マインドフルネスを本来の「ピュア・マインドフルネス」と「臨床マインドフルネス」に分けています。
 最近はマインドフルネスがあまりに社会に浸透した結果ビジネス的になったと、ピュアマインドフルネスの人たちから苦言を呈されることもあるようです。わかる気もしますが、それだけ少なからぬアメリカ人が熱心に学び、有効な方法と認めたということでしょう。
 
 臨床マインドフルネスとしては、情動調整、ストレス対処、うつ、不安、疼痛、薬物依存、パーソナリティー障害などへの適用について論じられています。
 
 マインドフルネス瞑想を臨床やカウンセリングで使うセラピストには、必須の基本文献です。
 

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October 21, 2016

『上達の法則』

 私はアドラー心理学に限らずカウンセリング・心理療法の上達と武術の上達を切に願い続けてきたわけですが、それがどのくらい達成できたかというとまだまだなのが実感です。
 だから、ものごとの「上達」にはとりわけ関心があります。
 
 岡本浩一著『上達の法則 効率のよい努力を科学する』(PHP新書)はそんな人向け、特に中級者から上級者レベルを目指したい人向けの本です。
 
 でも誰にでもわかるように簡単に解きほぐした自己啓発系ではなく、新書にもかかわらずかなり本格的な心理学書です。このくらいは理解しないと上級にはいけないのかも。
 
 著者は、この8月に私が参加した日本ブリーフサイコセラピー学会で招待講演をされた先生で、企業や組織の問題に心理学を駆使して解決させてきたエピソードをたくさんうかがいました。専門のリスク心理学で一流の実績のある学者であるだけでなく、茶道を極め、将棋も4段、禅もけっこう修めているらしく、何事にも優秀な人で、「こんな人がいるんだな」とうらやましく思いました。きっと物事の上達に並々ならぬ関心がある人なのでしょう。著者実践のお墨付きだから、説得力はある。
 
 本書はなぜかヒューマンギルドの書籍コーナーにあったのを発見して、「あの先生の本だ!」と即買いしたのでした。
 
 例に出されているのは、将棋や囲碁、語学、カメラ、テニスなどのスポーツ、楽器などなど多岐にわたります。多分、この先生はいろんな分野に手を出して、「検証」していたのだろうと感じましたね。心理学の日常生活の応用の好例だと思います。
 
 本書は「上達の方法論」「スランプの構造と対策」「上級者になる特訓法」などが詳しく説かれ、読むだけで上達しそう。少なくともそんな気分になれます。私は「精密に学ぶ」ために理論書の重要性が強調されているのが印象的でした。
 
 何かの分野で上達したい人は、参考にしてください。
 

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September 20, 2016

身体系個性化

 
 ユング心理学の観点から、アスリートや武術をする人の心の発達に迫ろうという本書は、ユングの最重要概念、「個性化」について、新たな修正を提案しています。
 
 個性化は、意識と無意識など様々な内的対立が統合、合一される「全体性の実現」を人生の最大の目標とすることです。一生をかけて、その人の実現されていないもの、隠されてきたもの、育ててこなかった可能性を改めて取り込んで統合することで、人生は完成すると考えるようです。大変魅力的な考えと思います。
 
 しかし、著者はその個性化の概念では十分ではないと考えたようです。どうしても心理学に関心のある人は、心の方に注目をしがちで身体の方からの個性化の道を射程に入れていなかったと、「身体系個性化」という概念を提案します。
 私も非常に共感するところなので、紹介します。
 
(引用開始)
 したがって、心と身体の調和を目指す試みは個性化のプロセスの一側面といえる。そのとき人のたどりうるルートは二つあるだろう。一つは、心のほうから入っていって身体との和解に向かうルート、もう一つは、身体のほうから入って心の統合に向かうルート。従来、前者を中心に、また後者をなんとなく含めて、漠然と個性化と呼んできた。心の専門家は一般に前者のほうにずっとなじみがあるからである。
 しかし、これではちょっと大雑把すぎないか。私は、後者には後者の独自性があるように思う。そこを区別してみると、特徴がもっと見えてきて、その種の個性化の促進につながるのではなかろうか。ここでは、前者のルートを心系個性化プロセス、後者のルートを身体系個性化プロセスと呼ぶことを提案したい。アスリート、あるいはスポーツや武道やボディーワークの愛好者は、基本的に身体系個性化プロセスを歩む人と見てよいだろう。 p11 
(引用終了)
 
 なるほど、です。
 アドラー心理学の「全体論」について考えるときにも参照できる視点と思いました。
 
 

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September 11, 2016

『身体系個性化の深層心理学』

 スポーツと心理学は、メンタルトレーニングやコーチングなどによって最近かなり密接な関係になっていますが、ユング心理学と結びついた大変稀有な本です。
 
 
 ユング派最強の技法といわれるアクティブ・イマジネーションを通して、一人のアスリート(トライアスロン)が成長をする事例を物語っています。
 私は大変興味深く、面白く読みました。
 
 精神分析学はリビドーという概念で、アドラー心理学は全体論で、身体性とある程度接続しようという方向性はありますが、ユング派はどちらかというと観念論的な印象がありました。「元型」や「集合的無意識」も身体的といえばそうですが、どうも実感しがたいものです。
 
 しかし、著者によれば、それはこれまでのユング派の人たちの関心のあり方の問題で、ユング自身は本来非常に身体性の強い人で、ユング心理学は深く身体の世界を探ろうという動機が強かったはずだというのです。
 実際ユングは、非常に凝った装飾と革張りの分厚い本を手作りしたり、大工仕事が大好きだったそうです。
 身体作業、物理的作業といえば、ユングの別荘作りも半端なものではなかった。彼はやはり数十年の歳月をかけ、自力でコツコツと別荘を建て、改築を繰り返している。石を切り出して、刻み、積むために、ユングは石工のギルドに入りさえした。この石造りの別荘はボーリンゲンの塔と呼ばれている。そこには電気も水道もなく、原始的な生活を送ることが想定されていた。この究極的とも言えるDIYに注がれたエネルギーを取ってみても、ユングは職人的な身体系個性化の人である。  p133-134
 これは確かに半端ない。だからこそ、当時にして錬金術、煉丹術(気功)、クンダリニー・ヨーガなどの東西の身体技法に並々ならぬ関心を持ったのでしょう。ユングが今の時代にいたら、中国か台湾で武術や気功の修業をしに来たかもしれません。
 
 ユング自身はどちらかというと、書斎にいて執筆に精を出すフロイトと、毎晩ウィーンのカフェで集う社交的なアドラーとは違うタイプだったのは明らかのようです。
 
 実際編み出した概念も、お坊ちゃんでお母さん大好きなフロイトは「エディプス・コンプレックス」だし、友達が多いアドラーは「共同体感覚」で、内向的で霊感が強そうなユングは「集合的無意識」だったりします。
 技法も、患者を寝椅子に横にさせるフロイトと、対面して活発な会話をするアドラーと、一人(もしくはそれを見守るもう一人と)イメージの世界に沈潜させるユングと、個性が際立っています。
 
 私自身はタイプとしてはユングに近いと思います。でもユング派にならなかったのは(大学のユング研究会に一時いたこともあるのに)、どうも肌合いが合わないというか、実践的でないというか、観念的な印象があったからです。
 
 実際、日本のユング派の先達は、ユングのこの辺りのところはあまりにも妖しい領域なので避けてきたような印象が私にはありました。それよりも、ユングの哲学的、ファンタジーなところを強調したり、箱庭などとっつきやすい技法を紹介することで日本に根付かせようと努力されてきたようにはた目には見えました。それは成功したといえます。まず、知識人、読書人層に受け入れられ、女性臨床家に多く受け入れられました。
 日本人は(特に女性は)、ユング好きが多いです。
 
 著者の老松先生は、現代のユング心理学の欠けているところを補おうと立ち上がった(?)のかもしれません。実際著者は、合気道や杖道をやっていた武術家です。さもありなん。
 
 実は6年ほど前の日本心理臨床学会の「武術と心理臨床」の自主シンポジウムにシンポジストとして出られ、私もご一緒したことがあります。私は今年と同じく太極拳を紹介し、先生は本書のモチーフにつながることを語られていたように思います。
 
 
 今回このような実践と研究の集大成を出されて素晴らしいと思いました。
 
 

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