June 06, 2018

『不登校の児童・思春期精神医学』

 先週5月31日(木)は富士吉田市に行き、富士吉田市教育研修所主催の「特別支援教育研修会」で講師をしてきました。小中学校の特別支援教育や気になる子への支援の先生方が参加者でした。

 臨床心理学における子どもの行動のアセスメントに関するさまざまな視点を整理して、アドラー心理学に基づく目的論的アセスメントについて説明させていただきました。

 さて、最近不登校関連の本を書き進めるにあたって、いろいろな本をあたっています。
 精神医学からみた不登校について、おそらく最も充実しているのが、

 齊藤万比古著『増補 不登校の児童・思春期精神医学』(金剛出版)

 不登校自体は精神病の疾患単位ではないものの、その背景にはさまざまなものがあり、精神医学的理解は必須です。本書は日本を代表する児童思春期精神医学者であり、増補とあるように10年ほど前に出たものが元になっています。評価が高いから、増補版になったのでしょう。

 内容は、不登校に見る攻撃性と脆弱性、心の発達、心身相関、入院治療、家庭内暴力、自殺行動など多岐にわたっています。

 私も改めて勉強になりました。

 臨床家、カウンセラーは是非参考にしてください。

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May 22, 2018

『生き心地の良い町』

 ここのところ、アドレリアンはうつになるかならないかみたいな関係者以外はどうでもいい話をしましたが、うつに深い関連のある自殺について、自殺率が明らかに低い地域があるのを知っていますか。
 
 自殺予防研究、コミュニティ心理学の世界では知られた話で、その報告をした本です。
 
 
 四国・徳島の海辺の小さな町が、全国的にも、近隣の市町村に比べても格段に自殺率が低いことに関心を持った研究者が、その街に乗り込んで、調査をしたルポです。著者はこの研究を博士論文にして、学会の賞を受賞したり、その分野で一躍有名になりました。
 
 ただ、本書は全然固くないです。
 
 その町に乗り込んだ著者から見た町の風景、投げかける質問に対する町民たちの意外な反応に対する戸惑い、彼らとのやり取りが丁寧に描かれています。
 結果、著者がその町を好きになるプロセスを私たちは共有できて、「きっといい感じの町なんだな」と思えてきます。
 
 著者の苦労話から、こういう分野の研究の進め方がわかるのも面白いです。
 
 コミュニティにおいて自殺を予防する因子は何か、本書には研究結果として、5つが抽出されていますので、是非本書をあたっていただきたいのですが、それは一見当たり前のようでいて、とてもユニークです。
 
 よくメンタルヘルスや教育分野で使われる言葉に「絆」があります。皆さん、ご承知の通り、震災以降の現在、あっちこっちで「絆」が「横行」しています。でも、本書で私は、絆はけしてその字義通り、ただ単に人と人がつながればよいのでないということに気づかされました。
 
 例えば、その町では赤い羽根募金がなかなか集まらなくて、町の担当者は苦労するそうです。
「だいたいが赤い羽根て、どこへ行って何に使われとんじぇ」と問い詰められて、担当者はたじたじとするそうです。
 普通の農漁村と違って、老人クラブの加入も拒む人もいて、「他人と足並みをそろえることにまったく重きを置いていない」人たちだといいます。
 
 では都会のような人々との接触が希薄で冷たい人たちかというと、そうではなく、よそ者にも多大な関心を寄せてきます。基本、穏やかで優しい人たちで、困ったことがあればすぐに専門家に相談し、行政にもどんどん要求します。精神科の受診率は実は高いそうです。これは早めに受診する傾向があるかららしいです。普通、田舎も都会も、精神科は二の足を踏む人が多いはずですが、ここはなぜか違うらしい。
 
 その町には「病は市に出せ」という言葉が古くから伝えられているそうです。病、病気やつらさや苦しみは、どんどん人々に明かしてしまえ、というようなことです。とてもいい言葉ですね。人々や共同体を信じていなければ、できないことでしょう。
 
 どうしてそんな町ができたのかは、本書を読めばわかります。なんと、戦国末期にさかのぼるそうですよ。
 
 本書のプロセスも結論もすべて省いて、著者が主張していることをアドラー心理学に引きつけていえば、その町の人々は、共同体感覚を持ちながらも、課題の分離(そして協力)が徹底的に実践されて、両者がうまい具合のバランスになっているといえそうだと思いました。
 アドラー心理学も勉強してないのにねえ。
 
 私も自分の地域で自殺予防の研修会を依頼されることがあるので、大いに参考にさせていただこうと思いました。
 
 

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May 01, 2018

『中1ギャップと不登校』

 世間はゴールデンウイークだというのに、私は5月3日から6日まで研修会場に缶詰めです。
 
 今、全国の心理屋さんがあちこちで受けている、現任者講習会です。公認心理師の第1回国家試験の受験資格を得るために、私のような現場でやってきた者には必須の研修会です。
 
 私が参加する講習会は、午前9時から午後7時まで、みっちりあるようです。午後8時半までなんて日もある。
 
 まったく遊べそうもない。
 
 多動の私には、まったく動けず1日過ごすのは拷問に等しいのではないか。
 
 ああ、今から憂鬱。
 
 そんな公認心理師の勉強と並行して進めているのが、不登校のアドラー臨床本。何とか今年中に出したい。
 アドラー心理学に限らず、いろいろな文献をあたっていますが、現場の先生や臨床家の様子がよくわかるのが、
 
 
 入学して1か月がたって新入生たちは様々な思いを抱いていることでしょう。
 私もスクールカウンセラーとして勤務先の学校で、中1生の全員面接を始めたところです。本書も参考にして進めたいと思います。
 
 中でも面白かったのが、認知行動療法で著名な神村栄一先生(新潟大学)の記事(「中1ギャップの正しい理解と対応」)。
 
 集団の中でのいじめの機能を「実利」「制裁」「集団の興奮」「個人の保身」の4つに分けて対応法があるのも参考になりますが、「中1ギャップ」の他に「中2スロープ」という言葉を提案しえ要るのが興味深かったです。
(引用開始)
 
「中2スロープ」は筆者の造語でwebで検索しても0件である。徳川家康が残した言葉に、「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」というのがある。筆者には、中学2年の1年間に、「重荷を負うて『勝負の中3』までの長い坂道を登る」のイメージがある。
 
「壮絶な仲良し関係獲得バトル」の末に獲得した居場所がクラス替えで失う。部活動は活躍できたらできたなり、できないならそれなりに、楽しさよりも負担が大きくなる。学習内容は難しくなり、英語や数学など一度苦手になると回復が困難な科目を中心に自信を失いかける。 p34
 
(引用終わり)
 まったくそうですね。
 
 私も中2から中3には、好きな女の子のこと以外はあまりいい思い出がないな。
 
 
 

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April 24, 2018

『上手な登校刺激の与え方』

 ここのところの記事のように、アドラー心理学の海外講師招聘の大仕事が終わって、やや虚脱状態でした。平常に戻ってきていますが、暇になるわけではなく、これから公認心理師の現認者講習会が待っています。
 
 それ以上に、これから取り組むのはアドラー心理学に基づく不登校の支援者向けの本の企画。実は少しずつ進んできていましたが、ようやく本格的に取りかかれます。
 アドラー心理学の数ある本の中で、不登校を真正面から扱ったものはなかったと思うので、その意味では意義のあるものになると思います。
 
 そのために、アドラー心理学に限らず、不登校に関する心理臨床本をいろいろ当たっているところです。
 
 
 今でこそ違うと思いますが、昔は不登校児に対して「登校刺激を与えない」「受容する」一辺倒の主張が通っている時期がありました。現場では必ずしもそうではなかったのですが、カウンセリングの主流がロジャーズ・ベースの非支持的なものだったので、表に出た言説はそうなりがちだったのでしょう。
 
 しかし、登校する、しないにかかわらず、学校関係者は適切なタイミングと方法で子どもや家庭と学校をつなげる働きかけをするべきです。
 
 本書はその実践方法を学ぶ好著だと思いました。
 
 子どもの気持ちを理解するだけでは学校復帰は難しいのです。不登校の子どもへの援助には、まず不登校についての基本的な知識(不登校の一局面だけではなく全体的な状態像を把握しておくとともに、不登校状態から学校復帰までの道筋を理解すること)が必要です。
  p3
 
 具体的な事例が豊富で、学校教員向けですが、スクールカウンセラーにも大変役立つ内容だと思います。
 
 

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March 13, 2018

『興奮しやすい子には愛着とトラウマの問題があるのかも』

 虐待やトラウマの問題について、カウンセリングのみならず、研修や講演を話をする時に絶好の本です。
 
 
 著者たちは児童相談所や情緒障害児短期治療施設などで心理職として働いてきたバリバリの臨床家みたいです。
 
 一般の方、教育・保育関係者に、「扱いにくい子」の背景に虐待やトラウマの問題があるかもしれないこと、そういう子どもにどう考えて関わったらよいかをわかりやすく説明してくれています。
 
 私も最近、この手の研修をする時にとても役に立っています。
 
 トラウマというとアドラー心理学と関係ないと思われるかもしれませんが、アドラー心理学的に見ても本書のアプローチは共通するところが多く見られます。
 
 アドラー心理学の子育てのモットーに「やさしく、毅然と Kind & Firm」というのがあります。
 本書では「職員は威力よりも魅力」という表現でそれが表されています。
    • 援助関係は支配関係の対極にあるべきで、恐怖感や威圧感によるコントロールは不適切
    • しかし、指示や制止が効果を発揮する際に、子どもの中に「コワイから言うことを聞こう」という考えが介在することも事実
    • ここでの「コワイ」とは、戦慄する恐怖ではなく、信頼する大切な大人が見せる真剣みへの驚き
    • 「この人との関係は大切だ」子どもに思われるような魅力的な職員でありたい  p31
 
 愛着障害については、
 
 「愛着障害」と言われると、とても大変で複雑な問題を抱えていて、何か特別なことをしないといけないような気がしてしまうのですが、「体験不足」と考えると話は単純になり、大人が何をすればいいのかわかりやすくなると思います。彼らは赤ちゃんの頃から、普通はもらえるであろう優しい関わりや楽しい思い出をもらい損ねてきたので、遅まきながら、今それを欲しがっているのではないでしょうか。  p37
 
 として、トラウマを持った子どもを勇気づけて自立するための関わり方について教えてくれています。
 子どもの臨床や教育にかかわる方はご参照ください。
 

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February 16, 2018

『オープンダイアローグを実践する』

 最近、アドラー仲間の八巻先生やブリーフセラピーの白木先生に感化されて、オープンダイアローグの本を読んだりしています。
 
 
 本書は日本にオープンダイアローグを紹介し普及に努めている先生たちと、フィンランドのオープンダイアローグの開発者とのシンポジウムを書籍化したもののようです。
 
 オープンダイアローグの要点や、日本の精神医療に果たしてどのくらい導入できるのか、率直に話し合っています。薄い本なので、私のような初学者でも、オープンダイアローグを巡る今の状況がうかがい知ることができます。
 よかったら読んでみてください。
 
 印象的なところを二つだけ引きます。
(引用開始)
 つまり我々人間は誰もが主観的にならざるを得ない生き物なのです。客観的にはなれないのが人間というものなのです。「私たち専門家は主観的であるべきだ。私たちは主観的に考え、さらに考え、そして結局のところ自分たちが主観的であることに気がつくのだから」。これはヤーコではなく、別の私の同僚が語ったことですが、この気づきがダイアローグの最初の扉なのだと思います。  p19
 
 では、未来語りのダイアローグのよいところはどこかというと、これはトムが言っていることですが、「人間とは、未来を語ることで楽観的になりうる存在だ」ということです。「楽観的になりなさい」ではなく、未来を語ることで「楽観的になれる」構造を持っているということです。  p85
(引用終わり)
 
 つまり、アドラー心理学でいう、認知論と目的論そのままの姿勢ですね。
 
 

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January 13, 2018

『武術家、身・心・霊を行ず』

 武術、武道と心理学を絡ませるなら昨今はマインドフルネス瞑想ですが、これはユング派からの真逆のアプローチです。
 
 
 これは大変面白い。
 面白いけど、ある意味で臨床心理学のみならず武道系の数ある書籍の中でも「奇書」と呼ばれるかもしれません。
 
 ある古流の武術を修める極めて優秀な老武道家が極限的な修行の過程で、驚くべき神秘体験を重ねていく、その記録を著者が託され、報告したのが本書です。
 
 ただの気の感覚とか、マインドフルネスな気づきなんてものではない。憑依、念写、ポルターガイスト、幽霊などが例え話ではなく、本当の体験として堂々と次から次へと出てきてます。
 
 極めつきは、その武道家の修する流派の江戸時代の先達(流祖)の霊がなんと稽古仲間に憑依して、直接に失われた武術の奥義を伝授したというのです。夢の中に登場して極意を授かった、なんて話はよく聞きますが、これはすごい。いや、そんなこと、あり得るのか。
 
 これは普通の心理学者なら絶対に触れないか、言わない領域です。そこをさすが、ユング派の老松先生は老武道家の報告に戸惑いながらも、その人の「心的現実」に入り込んで丹念に追いかけ、ユング心理学的な解釈を試みていきます。その内容もユング心理学の勉強になって面白い。
 
 一言で言ってしまうと、武術を通しての「個性化」の過程ということになるのですが、本書の魅力はそこからもあふれ出るような老武道家の存在感、圧倒的な神秘のエネルギーにあります。
 
 著者の老松先生とは、2010年の東北大学であった心理臨床学会の自主シンポジウム「武術と心理臨床」で、ご一緒させていただきました。私はシンポジストで、先生は指定討論者でしたかね。その頃先生は杖道をされていたように覚えています。
 
 その時以来お会いしていませんが、今度その機会があったら、絶対本書の話をうかがいたいです。
 
 武術・武道家兼心理屋さんは、絶対に読むといいです。立場によっていろいろな思いや解釈がわくでしょうけど、それも思考の訓練になるかもしれません。
 
 私は、心理臨床家としてではなく、武道修行者、神秘主義者として素のままに、解釈よりも体験世界に共感しました。きっとこういうことはあるのだろう、と。日頃、なまくら稽古しかしてないから、こんな体験は絶対ないでしょうけどね。
 

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September 16, 2017

トラウマと瞑想

 マインドフルネス瞑想を使ったトラウマ治療を解説した大谷彰『マインドフルネス実践講義』(金剛出版)の最後の方に、トラウマ治療の今後について示唆的なことがサラっとあります。
 
 マインドフルネス瞑想を治療に使う臨床マインドフルネスは、トラウマの苦痛を和らげ克服し、ポストトラウマ成長(Posttraumatic Growth : PTG)を目指すのに対して、本来のマインドフルネス瞑想を継承してきた仏教側(本書ではピュアマインドフルネス)の見解が引用されています。
 
(引用開始)
 
 ピュアマインドフルネスのパラダイムでは仏教の教える無常(amica)と無我(anatta)の観点からトラウマ体験を捉えます。これは大パリニッタパーナ経仏典にある次の偈に明示されています(中村,1980)。
 
 つくられたものは実に無常であり、生じて滅びるきまりのものである。
 生じては滅びる。これら(つくられたもの)のやすらいが安楽である。
                          (中村元=訳,pp160-161)
 
 トラウマ体験とそこから生じるPTSD症状も「つくられたもの」であり、「生じては滅びるきまり」に従います。この原理を理解し、トラウマからの苦痛ををありのままに捉え、それから自由になることが「安楽」となるのです。これはけしてトラウマを否定したり、PTSD症状を忍従することではありません。むしろマインドフルネスによって・・・
                                         p145
(引用終わり)
 
 やさしい大谷先生は臨床家らしく最後の方に、「これはけしてトラウマを否定したり…することではありません」と注釈を入れていてその通りなのですが、でも、ある意味で否定と言ってもいいことにもなり得ると思います。別にそれは悪い意味ではありません。
 
 瞑想の果てに「すべてはつくられたものである」「すべては空である」と世界の空性を自覚することが「悟り」であるなら、当然その境地からすればトラウマだって「空」のはずです。
 
 トラウマには本当は根拠はない、と悟ったときに真の解放が来るのは、論理的に必然のように思われます。
 
 その道には慈悲、コンパッションというのもありますが、別に瞑想も仏教もヒューマニズムではないと私は思います。生命の実相を悟る道に過ぎません。ただそれで食っている坊さんたち始め、その業界人は、いろいろ継ぎ足して言うでしょうけど。
 
 だからトラウマに苦しむ人は、瞑想や何らかのスキルで症状や辛さを処理できるようになったら、次はここを目指せばいいのです。
 
 今のトラウマ学の最先端はトラウマの脳を含む身体への影響らしいですが、その緩和のために瞑想を使うのは、ボディーワークの一つとして扱っているということになるでしょう。別にそれが悪いわけではなく、今の臨床マインドフルネスの在り方であり、限界ということです。私もそのために使っています。しかし、身体に縛られていては空には至れません。
 
 これは私の妄想ですが、マインドフルネス瞑想を始め効果的なトラウマ治療が出尽くした後に臨床家が至るのは、あるいは気づくのはこの境地かもしれません。
 
 ということは、その昔、アドラーがいみじくも言った、「トラウマは存在しない。ショックがあるだけだ」という考え方に近づくことになりそうです。またもアドラーさん、先走っている。
 
 ただ、それは簡単な道ではないでしょう。だって坊さんたちが何年も山で修行して悟るようなことだから。
 
 しかし、これも未来は意外に簡単に至れるようになるかもしれません。実はその方法の青写真は私にはあるのですが、あまりにも現代臨床心理学のパラダイムの外なので、いつか確信を得たら発表したいと思います。いや、ないかなあ。
 
 

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September 12, 2017

『マインドフルネス実践講義 マインドフルネス段階的トラウマセラピー』

 マインドフルネス瞑想を臨床でさらに実践的、効果的に使うための必読書です。
 
 
 以前大谷先生のWS体験(マインドフルネスの基礎と実践)や著書をアップしましたが(マインドフルネス入門講義)、本書は前作の続編であり、さらに詳細に心理療法でいかにマインドフルネス瞑想を使うかを説いています。
 
 マインドフルネス瞑想の全体像と科学的エビデンスをできるだけ網羅しながら、トラウマ治療にどうやってこれを用いるかを説明しています。
 それをマインドフルネス段階的トラウマセラピー(Mindfulness-Based Phase-Oriented Trauma Therapy : MB-POTT)と呼びます。
 
 私には、以前からこのやり方でいけるのではないかと思っていたこととほぼ同じ内容が書かれてあって、権威からお墨付きをいただいたみたいで、勇気づけられました。
 
 瞑想を使ってセラピーをやるには、けっこうセンシティブな感覚と、瞑想や変性意識に関する詳しい知識や経験が必要だと思います。やはり相応の瞑想体験はあった方がいいのはいうまでもありません。
 ただ、別に悟りを目指すわけではないのだから、ある程度経験のある人には、意外に難しいことではないと思います。
 
 本書を読むことは、マインフルネス臨床のエッセンスを受け取る契機になるかもしれません。
 

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August 26, 2017

『ディスコースとしての心理療法』

 長く日本の家族療法、ブリーフセラピー、ナラティブ・セラピーをけん引してきた児島達美先生(長崎純心大学教授)の論文、記事をまとめた本で、これらの分野に関心のある私には大変面白く、参考になる内容でした。
 
 
 ディスコースは「言説」とセラピーや現代思想界隈で訳されることが多いと思います。ただの言葉や文章というより、言葉によって出来上がる思考の枠組み、意味づけ、現実のあり方なども含まれている思います。いわゆる社会構成主義といわれる立場でよく使われます。
 
「心理療法は内面の何かを明らかにしたり、行動をあつかうものではなく、つまるところ、ディスコースである」という筆者の立場がそのまま書名になっています。
 
 なんか難しそうに聞こえるかもしれませんが、臨床やカウンセリングをやっている人ならとても実践的な内容であることが本書を読むとわかっていただけると思います。
 
 本書では入門書にありがちな、家族療法やブリーフセラピーなどをわかりやすく解説するというより、それらを筆者がどう思っているか、どう付き合ってきたか、自身の臨床歴と共に語られています。ナラティブ・セラピーに至っては、いまだ「輪郭を明瞭につかめないでいる」とまで告白しています。
 その上で、それらの最新のセラピーの魅力について十分に語ってくれています。
 
 確かにナラティブ・セラピーの本は、文字がやたら多くてページに詰まっているものが多く、読んでもすっきりした感じがしないので、わかりにくいと感じてしまうことは私にもよくあります。解決志向アプローチに比べて、つい敬遠してしまう。
 
 私は本書で、ナラティブ・セラピーの見取り図ができました。
 
 本書の後半は、筆者と筆者の友人の和田憲明先生(故人)がスーパーヴィジョン(SV)をしている章がけっこうあり、とても興味深いものばかりでした。うつ病、統合失調症、小学生の子どもの3つのケースですが、逐語録と共に、かなり丁寧に参加者が語り合っています。
 その中でSVを受けた人がまとめたところが面白かったのでメモします。
①面接を構造化しなくてはならない。 → 必ずしもそれが役に立つとは限らない。
②患者の言動・行動には心理的な意味がある。 → 聞いてみないとわからない。
③妄想を症状として捉える。 → 妄想には文化がある。
④面接の解釈。 → 患者とのやりとりから見出す。
⑤行き詰った面接 → 楽しく・気持ち良く・おもしろおかしく。  p195
 
 ほんとにその通りですね。
 中級者向けの本かもしれませんが、自分のセラピーを見直すのに役立つと思います。
 

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